宇宙飛行士を目指す22歳男のブログ

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ただいまロケットエンジンと格闘中

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二週間前に東北地方を中心として甚大な被害をもたらした東日本大震災。
いまだかつて誰も経験したことのなかった未曾有の大地震や津波によって、数え切れないほど多くの方々の生命が奪われ、残された方々も厳しい環境下での避難生活を余儀なくされています。
"あの日"を境に世の中が大きく変わってしまった、もはや"あの日"よりも前の世界に戻ることは出来ない…
そう感じます。

今回の震災は社会のいたるところに目には見えない"断層"を残してゆきました。

地震や津波、原発事故の被害を直接に受けた人々と被災地から遠く離れた場所に暮らす人々との間の"断層"。
被災地から送られてくる悲痛なニュースを目の当たりにすると、心からいたたまれない気持ちになります。
しかし、
そうしたニュースを目の当たりにして30分も経たないうちに、日常の雑事に溺れ、友達や家族と笑い合う自分に気づき、
被災地に暮らす方々から自分の気持ちが大きく離れてしまっていることに何とも言えない虚しさを感じます。
やはり直接被害を受けた訳ではない自分が、震災により多くを失った方々の気持ちを理解することは出来ないのかも知れません…

そして、もう一つの"断層"。
それは次から次へと絶え間なく流れ込んでくる情報の渦の中で慌て戸惑う人々の間に生じた"断層"。
ある時は情報の真偽を巡り、またある時は情報の解釈を巡って互いの見解の相違が次第に感情的な対立を招く。
そんな現象も見られました。

ある程度"共通の土台"を共有している(と思われていた)私達の間に突如生じたこうした断層のおかげで、
今後しばらくは、この、どことなくピリピリとした張り詰めた空気の中で暮らさなければならないのかも知れません。

決して"あの日"よりも前に戻ることは出来ません。
だからこそ今はただ願います。
亡くなられた方々の御冥福、そして被災地に暮らす方々に一刻も早く平穏な生活が戻ってくることを。

さて本日、
おかげさまで僕は東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、四年間の学業の一つの結果として学位を頂くことが出来ました。

あっという間の四年間でした。

宇宙工学をやりたい一心で上京したものの、
決して順風満帆という訳ではなく、幾度も迷い悩み、失敗もしました。
理工系の研究が本当に世の中の役に立つのか疑心暗鬼に陥り、宇宙工学の夢を捨てかけたこともありました。

出会いもあれば別れもありました。
人には言えないような恥ずかしい思いをしたことも。
もしかすると誰かの気を悪くしてしまったこともあったかも知れません。
学部卒業後の進路も本来希望していた米国大学院への進学は叶いませんでした。

そういう意味では僕は決してこの四年間の自分に満点をつける訳にはいきません。
むしろ及第してるのかどうか疑問です。
どうしても自分のことになると、こうやって減点法で評価してしまうのです。

だけどふと加点法で評価し直してみると、少し救われた気分になります。
大学での勉強やサークル、インターンシップやバイト、ボランティア、そして異国への旅…
全てに共通して僕が誇れることがもしもあるとすれば、それは僕がこうした活動を通して出会った仲間達です。
とりわけ自分とは考え方や生き方の異なる仲間との出会いは机上で得る知識以上に貴重な財産になりました。
ともすれば独りよがりに天狗になってしまいがちな僕には仲間の存在は常に不可欠でした。

数々の失敗がありながら、
それでもなお後悔ではなく充足感をもってこの四年間を振り返られるのは苦楽を共にしたみんなのおかげです。

そして最後にもう一つ。

以前、
社会福祉の第一線で活躍しておられる方の講演会に行った時に大変印象に残った言葉があります。

"感謝の気持ち…
今の時代に最も忘れられている感情ではないだろうか。
良い大学に入って、良い会社に就職出来たこと。
それは自分が頑張ったから、人一倍努力したから?
違う。それはたまたま自分が周りの環境に恵まれていたからだ。
衣食住に気を遣うことなく安心して努力出来る環境があったからだ。
「自分は頑張ったから成功した」という思考はやがて「あいつがみじめな生活をしているのは努力を怠ったからだ」という結論を導く。
現代社会の病理はここに根ざしている。
たまたま環境に恵まれていた人と恵まれなかった人の間に高い壁が築かれる原因となっている。"

こういう趣旨のご発言だったと記憶しています。

あまりにも多くの人々に背中を押されたからこそ今の自分がある。
僕自身、はっと気づかされたことが何度あったことか。

そうした意味で、
今日僕が頂いた卒業証書は僕一人のものではなく、
班太郎という人間を応援し、いっしょに多くの思い出を作ってくれた皆さんの卒業証書です。
この場を借りて改めて感謝致します。
とりわけ両親には幾ら感謝しても感謝しきれません。

宇宙飛行士として有人火星探査に参加する。
内閣総理大臣として日本の福祉・教育・外交・安全保障を建て直す。
二つの夢を叶えるまでには、まだまだ想像もつかないほど長い道のりが待っています。

班 太郎
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昨夜.
二回目となる映画"ソーシャル・ネットワーク"の鑑賞中,ふと思った.

最近になって俺が取り組み始めた
大学生同士の学際交流をそっくりそのままSNSに出来たら面白い
んじゃないかって.

ご存知,世の中には既に無数のSNSが乱立しているがアカデミックな交流に特化したSNSは俺が知る限りまだない.
しかしもしそのようなSNSが出来れば非常に面白い現象を我々は垣間見ることが出来る.

このような例を考えてみて欲しい.
宇宙工学を勉強している学生Aと宇宙物理学を勉強している学生B,宇宙法の勉強をしている学生Cがいたとしよう.
学生A,学生B,学生Cの三人とも宇宙開発を関わりの深い学問を勉強している.

しかし彼らは学部学科が異なるため,
もともと直接の知り合いでない限り,お互いの知識を共有することは非常に難しい.
ましてや大学が異なる場合,居住している地域が異なる場合はなおさらである.

彼ら三人とも将来的に宇宙開発に関わる可能性の高い,将来的にお互いに協力し合って働く可能性の高い学生たちであるのに!

そこでSNSの出番である.

従来のSNSとは一線を画したアカデミックな学際交流に特化したSNSを構築すれば,
専門分野を超えた知の交流が容易となる.

異なる大学に通っていても専門分野が一見離れていても,
オンラインでお互いの知識を共有し,議論し,結果として新たな知見を得ることが出来る.

上記の宇宙開発の事例の他にも,
例えばゲーム理論を学ぶ数学科の学生と経済学を学ぶ学生が出会うメリット,
考古学を学ぶ学生と地球科学を学ぶ学生が出会うメリットは計り知れない.

素晴らしいことじゃないだろうか!!!

よし,それならばさっそくやってみよう!

そう思い昨夜,映画館から帰宅してからさっそくSNS構築に取り組み始めた.
オリジナルSNSの開発にはザッカーバーグらがFacebookの開発に用いたのと同様のオープンソースを用いた.
PHPとMySQLで動作しレンタルサーバーで動かすことが出来る.
とりあえずオープンソースをいじり,自分で多少のコードの改変を行ってアカデミックなSNSに仕上げたてるのだ.

レンタルサーバの選定やドメインの取得を昨夜から今日昼にかけて行い,
超簡易ではあるがオリジナルSNSを立ち上げることが出来た.

新たに俺が構築するソーシャル・ネットワーキング・サービス,その名はずばり"Campus"だ.
キャンパスライフをそのままデジタルに持ち込もうという俺の構想を表している.

ロゴも用意した.(某女の子にはちょっとダサいと言われたがw)
$宇宙飛行士を目指す22歳男のブログ-logo

ロゴの意味を説明しよう.
赤・青・黄,それぞれの原色,すなわち異なる専門分野の学生が出会うことで新たな色,すなわち新たな知見が生まれることを意味している.

大学生同士の専門分野を超えた学際交流を促すという目的を果たすため,"Campus"は以下のような点に留意して製作を行う.

1. SNSの参加者は大学生・大学院生に限る
(登録メールアドレスはacドメインのものに限る)
2. SNSのデザインは全体的にクールでアカデミックで上品なものに保つ.
すなわちアカデミックな交流に関係のないコンテンツは一切加えない.

また"Campus"上でユーザーが行うことの出来るアクティビティは以下のようにする.

1. Profile
自分のAcademic Profileを作成し,他のユーザーに公開する.
【例】
名前: Taro Han
大学: 東京大学
学部学科: 工学部航空宇宙工学科
専門分野: 航空宇宙工学
研究テーマ: 電気推進工学

2. Report
日々の講義内容や研究内容を他のユーザーに公開する.
もちろん著作権や機密保持に反しない限りではあるが,
自分の学んだことを自分と同じ分野,あるいは関連分野を学ぶ他のユーザーと共有するということである.

【例】
タイトル: 3月10日の推力測定実験
本文: 今回の実験では当初予想されていた以上のCm値が得られた.その理由は...

3. Forum
いわゆる掲示板である.
もちろん"宇宙工学"や"行政学"などのように従来の専門分野区分でForumを立ち上げても良いが,
本SNSで最も期待されるのはもっと包括的なテーマ,例えば"宇宙"などといった大きな括りでForumを結成し,
そこで異なる専門分野の学生たちが出会い,議論を深めることである.

4. Event
各種学術イベントの予定をユーザー同士が共有する.

基本機能は現在のところ上記の4項目のみである.
非常にシンプルであるし,見方によってはつまらないかも知れないが,
アカデミックな学際交流に特化したSNSの趣旨からするとあまり機能が多過ぎない方が良いであろう.

しかしせっかくなのでユーザーからのフィードバックを積極的に受け入れながら,どんどんと進化するSNSでありたいとは思う.
まだまだ発展途上ではあるが学生の勉強・研究活動に一石を投じることになれば本望だ.

"Campus"の公開は今月下旬を予定している.

班 太郎


こんばんは!
今日は東京周辺は3月とは思えない天気,非常に寒かったですね!!

今夜はずばり児童養護施設についてお話しようと思います.

大学に入学してから僕が一貫して取り組んでいることの一つに児童養護施設でのボランティアがあります.
これまでに幾つかの施設で学生ボランティアとして御世話になってきました.
実は今夜もそのボランティアの仕事を終えたばかりなのですが^_^;

そもそも僕と児童養護施設との"出会い"は高校3年生の大学受験間近の頃にさかのぼります.
たまたまテレビ番組で当時社会的に認知され始めていた"ワーキングプア現象"の特集が組まれていて,
その中に児童養護施設で暮らす子ども達の生活の様子が取材されていました.

現在はすっかり使われなくなった言葉ですが"孤児院"という言葉があります.
イギリスの作家ディケンズ作の"オリバー・ツイスト"やシャーロット・ブロンテ作の"ジェーン・エア"のような古い小説,それも海外の小説でこの孤児院のイメージはそれとなく抱いてはいた僕でしたが,現在の日本で様々な理由で家族と暮らせない子ども達が存在するという事実を恥ずかしながらそれまでほとんど意識することはありませんでした.

そして僕が最も強く衝撃を受けたこと.

それはこうした施設へ子ども達が入所する理由を調べると,
実の親からの家庭内暴力,いわゆる児童虐待が圧倒的大多数を占めるという事実でした.
旧来ならば例えば両親との死別等の理由により施設に入所する子ども達が主だったそうです.
そして現在はそうではく,実の親からの虐待からある意味逃れるため,施設に入所している子ども達がほとんどなのです.

そのテレビ番組を見た夜のことは忘れられません.
番組の最後に施設の子ども達が七夕の行事で,それぞれの願い事を書いた短冊を笹の葉に結び付けている情景が今でも脳裏に浮かんできます.

たまたま家庭環境に恵まれた自分にはあまりにも当たり前の願い事が真摯につづられていました.
ぐっときました.

そして出来ることなら受験が終わって無事に大学に入学出来たら,
是非とも児童養護施設でボランティアなり何かしらのお手伝いをしようと決意しました.

大学に入学してからの4年間,これまで僕は3つの施設で実際に学生ボランティアとして御世話になってきました.

今振り返ると,色んな意味で僕は間違っていました.

ボランティアを始める前,僕は
"どうにかして過酷な環境にいる子ども達の力になりたい,助けてあげたい!"
そんな思いでいました.

皆さんも児童養護施設というときっと暗くて,何となく陰気で,可哀想だとそういうイメージを持たれる方が多いでしょう.
僕もそうでした.

しかしたまたま僕が御世話になった施設がそうだっただけかも知れませんが,
そこにいたのは明るく元気でいたずらもする普通の子ども達でした.

例えば僕が今,御世話になっている施設では
授業や部活を終えて学校から帰ってきたばかりの子ども達,
それも小学校1年生から高校3年生と幅広い年齢層の子ども達8人みんなで僕も一緒に夕食を頂きます.

夕食も施設の職員さんが心を込めて作って下さった栄養満点の料理です.

そして食卓での会話が弾むこと,弾むこと!
その日一日の学校での出来事や今流行りのアイドルやドラマのこと,ゲームやアニメのこと,つまんない駄洒落,将来の夢,恋バナ...

聞いてる僕も思わず笑顔になってしまう,そんな楽しい食卓です.

何より子ども達の元気が良い!

こんなにも年齢関係なく和気あいあいとしてて,しっかりとした子ども達はいないんじゃないかと思うくらいです.

確かに食事のマナーやその他生活習慣の指導は多少厳しいような気もしますが,温かい職員さんと共にそこには笑顔の絶えない生活がありました.

それでは僕は学生ボランティアとして施設で何をしているかと言うと,
これまでは基本的に小さい子と遊んだり,小学校高学年以上の子の勉強の指導を中心に行ってきました.

"子ども達の力になりたい,助けてあげたい!と思っていた僕は逆に彼らに多くの笑顔と元気をもらいました.
これは決してレトリック,修辞なんかではありません!
心からそう思うのです.

それでも確かに子ども達と接していると時々,
お父さんお母さんとごくたまにしか会えないことや児童相談所での辛い思い出などが思わずもれる,そんな時もあります.
あくまで僕は学生ボランティアであり,プロの職員ではありませんので,そうした敏感なメンタルの問題には触れないようにしてはいます.
それでもやはり普段はあれだけ快活で元気そうな子ども達の心の奥に辛く悲しい思い出があることを感じざるを得ません.

先日,若者ホームレスの問題についてのシンポジウムに足を運ぶことがありました.
近年急増している若年層のホームレス.
そのシンポジウムで僕は若者ホームレスのかなりの部分を児童養護施設出身の子ども達が占めることを知り,大きなショックを受けました.

こうして今,自分と一緒に笑ったり将来を夢見たりしている子ども達がホームレスになってしまうとしたら...

子ども達には何の罪もありません.
天真爛漫な子ども達の将来がたまたま生まれついた家庭の問題だけで握りつぶされてしまう事態を放置すべきではないと僕は考えます.

"実の子どもを虐待する親なんてあり得ない."
と言うのは簡単ですが,それではどうやってこの問題を根本から解決していくのか.
これは社会全体で考えるべき課題ではないでしょうか.

タイガーマスク運動によって一躍世間の注目を集めた児童養護施設ですが,やはりその注目も一過性のものだった感が強くあります.

僕も今はまだ答えが出ている訳ではありませんが,
社会福祉をも志す人間として常に心に留めておきたいし,出来るだけ早く一人でも多くの子ども達が将来の夢を心置きなく描くことの出来るよう努めたいと考えています.

皆さんのお知恵を是非とも拝借したいので,御意見お持ちの方はどうぞよろしくお願い致します.

班 太郎

宇宙に関する分野横断型勉強会"ispace",準備進めています!
http://i-space.jimdo.com/


今日は僕が大学院修士課程で御世話になる予定の
宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所(ISAS)
http://www.isas.jaxa.jp/j/index.shtml
國中・西山研究室
http://www.ep.isas.jaxa.jp/eplab/
を訪ねました.

さてまず宇宙科学研究所とはどこにあるでしょうか?

大きな地図で見る

所在地は神奈川県相模原市由野台,最寄り駅は横浜線の淵野辺駅です.
東京都心の自宅からはざっと1時間といったところです.

宇宙科学研究所はその名の通り,
JAXAの中でも特に宇宙科学分野(天文観測,太陽系科学,宇宙環境利用科学)に重点を置いた宇宙開発を担当しています.
そしてその研究活動の一環として僕が来月から所属する東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻を含む大学院生を受け入れ,
まさしく日本の宇宙開発の第一線で活躍されているJAXAの研究者の先生方が指導に当たるという大学院教育が行われています.

学部時代,僕は本郷キャンパスを中心に講義や演習,実験を通して航空宇宙工学全般,とりわけ推進分野を学びました.
そして今年度の卒業研究では柏キャンパスにおいてパルス型レーザー推進ロケットの推進性能に関する実験を行い,卒論をまとめました.

去年夏の大学院入試を経て,引き続き電気推進分野に関する研究をJAXAという最前線で行いたいと考え,宇宙研の國中研究室を志望しました.

ドラマチックな帰還劇に日本中が沸いた
小惑星探査機"はやぶさ"
は皆さんの記憶にも新しいかと思いますが,
その"はやぶさ"の帰還を支えたのが國中研究室が研究開発,そして製作を行った
イオンエンジン
だったのです.

イオンエンジンはプロペラント(推進剤)を電離して得られた陽イオンを電解中で静電力により加速し,
後方に噴射して推力を得る仕組みのエンジンで,
皆さん御馴染みの化学ロケットと比べると推力がとても小さいため最も華々しい地上からの打ち上げに用いることは出来ませんが,
代わりに比推力(単位流量当たりの推力)が高い,すなわち少ない推進剤流量で大きな加速を得ることが出来るため,まさに"はやぶさ"の例に見られるような深宇宙探査への使用(そして軌道上の衛星の姿勢制御)において有望視されている技術なのです.

教養課程を終えて航空宇宙工学科に進学してまだ2年ちょっと,研究に至ってはまだスタートラインに立てたかどうかもおぼつかない未熟者の僕ですが今のところ,宇宙工学界における自分自身の専門領域は電気推進分野にしていこうと考えています.
その電気推進分野に実用化に最も近い場所で携わることが出来る.
大きな期待を胸に今日は相模原の地を目指しました.

相模原市は我がふるさとの岡山市と同じく最近,政令指定都市となった街です.
つまり平成の大合併の恩恵を受けた街ですね^_^;
この4年間,東京都心に慣れきった(むしろ飽きた?)僕にはちょっと岡山と似た雰囲気がして懐かしくもありました.

淵野辺駅から少し行くと宇宙科学研究所は見つかりました.

$宇宙飛行士を目指す22歳男のブログ-宇宙科学研究所

正門を入るといきなりM-3SとM-Vによるお出迎えです.
$宇宙飛行士を目指す22歳男のブログ-M-3S

食堂もあるようですが残念ながら3月は休業とのこと.

$宇宙飛行士を目指す22歳男のブログ-宇宙研食堂

ちなみに購買には宇宙食が...宇宙研に来たからには昼食も宇宙食を食べろという訳か.
いやいや冗談です,普通の食べ物もちゃんとあります^_^;

さて僕たちの研究室のメンバーは基本的に敷地内の本部棟,もしくは実験棟で多くの時間を過ごすことになるわけですが,
この本部棟の1階は一般の来場者の方々のために展示コーナーが設けられています.
非常に面白いんで是非来てみてくださいね!
何たって"はやぶさ"のふるさとですから.

展示コーナーで御年配の方に声をかけられました.
聞くところによるとJAXAで長年研究に携わってこられた方で,退職後はこの展示コーナーでガイドをされているそうです.
"はやぶさ"のイオンエンジンの模型やオーストラリアの砂漠でのカプセル回収の話,そして宇宙研での暮らしなどを伺いました.
そして心強いことに,その方の話では宇宙研では岡山出身者が大活躍されているとのこと!
岡山出身者は宇宙開発に適性があるのかも知れませんね!

↓"はやぶさ"のイオンエンジンの模型
$宇宙飛行士を目指す22歳男のブログ-イオンエンジン

↓宇宙開発に寄せる子ども達の夢がエンジニアの原動力になるんだね!
$宇宙飛行士を目指す22歳男のブログ-夢

そしていよいよ来月から指導教員となる國中先生とのお話.
僕自身のアカデミックな場でのキャリアプランや電気推進にかける思い,イオンエンジンに関して疑問に思っていることを一通りお話しました.
先生には本当に驚くほど親切丁寧にお答えいただき,予想もしていなかったようなアドバイスまで頂戴しました.
アカデミックな場での身の処し方というものが少しは分かったような気がします.

もちろん修士課程での研究テーマについても相談させて頂きました.
そしてものすごく面白いテーマを提示して頂きました.
これは相当面白いです!

今すぐにでも御紹介したいところですが,現在特許申請中とのことでまだ公にはお教え出来ません!
今月中には特許を取られるそうなので,また御紹介出来るとは思いますが.

とにもかくにもこうして先生御自身が新規性と実用性の両面を非常に重視され,更にはこうして大変チャレンジングな研究テーマを僕に下さったことで,モチベーションがかなり上がってきました!
さっそく関連文献等を調べて来月の正式な配属を前に少しでも前に進めておきたいです.

そして研究室の先輩や他大(横浜国立大学)の同級生とも顔合わせをしました.
何だか皆さんとても落ち着いたシックな感じの方々ばかりで,とても良い雰囲気だなぁっと思いました.
これから2年間,御世話になります,よろしくお願いします.

研究室の実験設備(様々な口径のイオンエンジン,各種真空チャンバー,光学系など)も見学しました.
いよいよ来月,早ければ今月中旬から研究に取り組もうと思います.

最後に宇宙研全体をもう一度回ってから,記念すべき初訪問を終えました.

↓テニスコート発見!フットサルコートもあった.

$宇宙飛行士を目指す22歳男のブログ-テニスコート

近くには淵野辺公園という良い感じの公園もありました.
今日はここで弁当食べて,散歩して,ノリでギターも弾いてしまいました.

という感じでまとめると...

宇宙研最高!
てことです.

更に言うと
相模原最高!
です.

誰しも新しい環境での新生活を始める時はわくわくすると思いますが,僕も一瞬でここが大好きになりました.

はっきりと根拠を言葉には出来ないけど,何だか全てが上手くいきそうな,そんな気がします.
進路が決まるまでには確かに紆余曲折があったけど,今日から僕はここでイオンエンジンに懸ける日々を送ろうと心から思いました.
ファイト,俺!!

そうそう,今日歌った福山雅治の"心color"て歌のサビだよ,まさに.

"百花繚乱 生命の花
この街の中でどんな色をした
自分の花を
咲かせることができるのかな
心color"

相模原の街で大きな花を咲かすことの出来るように,
ひたすらに頑張る!

班 太郎
戦いは終わりました.
そして来月四月からは
東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻の修士課程の大学院生として宇宙航空研究開発機構(JAXA)相模原キャンパスの宇宙科学研究所(ISAS)で電気推進を研究することになりました.

来月から僕を指導して下さることになる研究室の先生は小惑星探査機"はやぶさ"のイオンエンジンの研究開発のまさに当事者でおられた方で,
電気推進分野においてまさに世界的に高名な先生です.

明後日,相模原キャンパスにおいて先生とお会いして今後の僕の修士課程における研究課題やアカデミック・プロフェッショナル両面における僕のキャリアプランについての相談をさせて頂く予定ことになっています.

振り返るとこの一年間,
これほど自らの進路について悩んだ一年はなかったと思います.

幼い頃から抱いてきた宇宙への夢.

宇宙飛行士になりたい!
そんな夢のおもむくまま勢いに任せて東大を受験し,希望通り航空宇宙工学科において学ぶことが出来ました.

だけどそこからは決して順風満帆という訳ではありませんでした.
理系分野,とりわけ工学分野で生き抜くということは自分が想像していた以上に厳しく,机上の学問では到底まかなえない様々な才能を求められるということを実感しました.

それは例えば物作りの才能であり,
例えば物理現象と工学機構をつなぎ合わせる想像力であり,例えば研究室や学科の仲間・先輩とのチームワークでした.

センチメンタルな夢だけでやってきた未熟者の僕には色んな意味で"現実"を見せつけられた,そんな学部生活でもありました.

そして今冬のアメリカ大学院受験.
残念ながら希望していた大学院への入学は叶いませんでした.

今現在の自分の持てる全てを海の向こう側の教授達を相手に出し切ったという感があっただけに,
なおのことショックでした.

今の心境を一言で表すことは出来ません.
あまりにも色んな感情が渦巻いているからです.

アメリカの大学院への挑戦が終わり,
当初希望していたような結果が出なかったことは紛れもない事実です.
競争に負けてしまったこと,これも紛れもない事実です.

最初から容易ではない挑戦であるとは分かっていたとはいえ,
心のどこかでは今回も成功する,きっと上手くいくという期待がありました.

残念ながら壁は厚かった,自分はまだまだでした.

そして今,JAXA宇宙研という新たなフィールドで僕は再出発を図ろうと心に決めています.
ここですっきりと心を入れ替えて,今まで以上に全力で成長していかなければならないと覚悟を決めています.
博士課程から再びアメリカを目指すならば尚更,今後二年間に積み上げるべき目に見える実績も求められるでしょう.
背水の陣です.

考えてみると人生,この先まだ長いです.
何があるか分かりません.

この今という時が後々振り返った時に良い意味で岐路だったんだなぁとそう思えるように,
ちょっとずつ歩幅を広げながら一歩ずつ進んで行きます.

宇宙飛行士になるという夢,ゴールを常に胸に.

班 太郎