八丈島を含む伊豆諸島地区が、
富士箱根伊豆国立公園に指定されたのが1964年。
島の風習や南国の植物景観、火山や海が造る自然の景観が大きな特色です。
1866年、流罪の憂き目にあい 八丈島に流れてきた鹿島則文が、同じく
八丈島流罪の近藤富蔵とで、その流罪中、八丈島の景観から
、近江八景をちなんで、八丈八景を選びました。
当時と今では景観が様変わりしてるので、八丈八景のなごりを残している
場所は少なく、消えてしまった八景もいくつかあります。
八丈八景西山暮雪がその一つ。
八丈富士に雪が降り積もって初めて成立する景色なので、
雪の降らない今の八丈島では、もう見る事ができない八景の一つです。
大賀郷地区の大里にも、八丈八景の一つ大里晩鐘がありますが、
これも見る事のできない八景の一つで、今では跡地と解説が残るのみです。
今は草ぼうぼうの跡地 :周りは玉石垣が残り、散策路もあります。
これで草刈りをすれば、沖の八丈小島が見える場所です。
当時、この場所に宗福寺と言う名のお寺があり、
そのお寺の鐘が、この島の島民に朝、夕の時刻を知らせてました。
夕暮れの 秋のあはれに 添ひてまた
入相告ぐる 大里の鐘
宗福寺、玉石垣、沖に見える八丈小島の景色に、秋の夕暮と鐘の音が
重なる、、これが八丈八景大里晩鐘に選定されます。
宗福寺
八丈島に源為朝伝説が残ってますが、為朝の息子次郎が創建した、と
言われています。実際は不明。
1208年に創建され、当時は八丈富士の麓にありました。
その為、火山の噴火で焼失。その後、大賀郷の大里に移り、八丈八景の一つに
選ばれますが、昭和6年、別の場所に移動。最終的に
三根地区に移り、現在にいたってます。
宗福寺は移動しましたが、、大里晩鐘の名称も
同時に移動したわけではなく、、元の場所でなごりを残すだけです。
八丈八景、残り6つです。