八丈八景から八丈島 | 住み地:八丈島編

住み地:八丈島編

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その第一弾が伊豆諸島の八丈島。


第二弾がタイを中心に各地を紹介するブログ、滞在地:"Bangkok"バンコク編 http://ameblo.jp/astoriany11103/

八丈島を含む伊豆諸島地区が、

富士箱根伊豆国立公園に指定されたのが1964年


島の風習や南国の植物景観、火山や海が造る自然の景観が大きな特色です。




1866年、流罪の憂き目にあい 八丈島に流れてきた鹿島則文が、同じく

八丈島流罪の近藤富蔵とで、その流罪中、八丈島の景観から

、近江八景をちなんで、八丈八景を選びました。


当時と今では景観が様変わりしてるので、八丈八景のなごりを残している

場所は少なく、消えてしまった八景もいくつかあります。


八丈八景西山暮雪がその一つ。


八丈富士に雪が降り積もって初めて成立する景色なので、

雪の降らない今の八丈島では、もう見る事ができない八景の一つです。




大賀郷地区の大里にも、八丈八景の一つ大里晩鐘がありますが、

これも見る事のできない八景の一つで、今では跡地と解説が残るのみです。

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今は草ぼうぼうの跡地 :周りは玉石垣が残り、散策路もあります。

これで草刈りをすれば、沖の八丈小島が見える場所です。



当時、この場所に宗福寺と言う名のお寺があり、

そのお寺の鐘が、この島の島民に朝、夕の時刻を知らせてました。


   夕暮れの 秋のあはれに 添ひてまた

                     入相告ぐる 大里の鐘


宗福寺、玉石垣、沖に見える八丈小島の景色に、秋の夕暮と鐘の音が

重なる、、これが八丈八景大里晩鐘に選定されます。




宗福寺

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八丈島に源為朝伝説が残ってますが、為朝の息子次郎が創建した、と

言われています。実際は不明。


1208年に創建され、当時は八丈富士の麓にありました。


その為、火山の噴火で焼失。その後、大賀郷の大里に移り、八丈八景の一つに

選ばれますが、昭和6年、別の場所に移動。最終的に

三根地区に移り、現在にいたってます。



宗福寺は移動しましたが、、大里晩鐘の名称も

同時に移動したわけではなく、、元の場所でなごりを残すだけです。



八丈八景、残り6つです。