今回は、タオとタントラについて触れます。ちょっと深いのですが、できる限りまとめます💡

タオとは、“道”の意味で、中国の老子が説いたとされる教えを指します(道教、神仙思想)

タントラは、仏教のひとつの捉え方で、男女(陰陽)のエネルギーの結合により、仏の領域へと至ることを目指します(ヨーガ、チベット仏教、歓喜天、真言宗立川流)

何事についてもいえるのですが、すべてはエネルギーです。エネルギーには、さまざまなバイブレーションがあります。また、レイヤー(層)やチャンネルもあります。同じ場所(空間)に、過去現在未来あらゆる情報があるのですが、しかし、みんなが見えているもの、感じているものは同じではありません。それぞれのアンテナに応じたエネルギーから、見たいもの、感じたいもの、知りたいものを拾っているにすぎないからです。

その中には、高い低い、直か曲かみたいなものがあります。高いから良いとか、低いから何だとかはないです。ただ、そこにある。やることをやる。そのまま。ありのまま。
それが、タオ~道、老子の思想です。自然体、平常心、泰然自若、上善如水。教えとしては、ずっとあるけども。現代では、簡単なようで難しい。なぜなら、マインドが働き、欲がわいたり、不安や恐怖に怯えたり、また、感情に囚われたりして、自然であることができないから。

老荘(老子と荘子“胡蝶の夢”)思想は、帝王学や兵法にも取り入れられており、豊臣秀吉の右腕であった黒田官兵衛は、優秀すぎる官兵衛の能力に嫉妬した上司・秀吉の疑念を取り払うために出家し、黒田如水と名乗ったとされます。如水は、上善如水(上善水の如し=最も善いのは、水のように流れにまかせることである)意味ですから、背景には老子がいます。
帝王学とは、国のトップになるには、またどのように振る舞ったらよいかをまとめたもの。最近、スピ友の影響で算命学に触れてるのですが、三國志で知られる諸葛孔明が兵法として、巧みに用いていたとされます。神仙思想である老子の教えを、兵法や帝王学として、実践して活かしたのです。龍脈、奇門遁甲など、いわゆる風水ですが、国家レベルのものです。

自然である、平常であるためには、中庸であることが望ましいとされます。中庸とは、片寄らないこと、真ん中にいること。望ましい、というのは、マインドと感情(エゴ)が邪魔するのが前提だから。
中庸を言葉にしたのは、孔子。儒教は好きではありませんが、中庸はタオに通じると思います。

タオ~道、中庸は、色に例えるなら、緑=グリーン。グリーンは、天の意志であるブルーと個人の意志イエローが混ざりあった色。ちょうど、身体の真ん中、ハートに位置します。チャクラを、下から1~7としてとらえた時、4なのも面白い。4は安定、土台、ベースだから、揺るがないことでもあります。迷っているとき不安なとき、胸に手を当てて~は、そこには揺るがない道があるからではないでしょうか。

と、ここまで書いて、でも、究極、老子が見ていたのは、タントラであったのだと思います。陰陽和合によって、解脱する、神仙となる。

先ほど、タオは、色に例えるならグリーンと書きました。色には補色という見方があります。グリーンの補色は赤=レッドです。
陰陽としての表現に、太極図があり、今は、多くが白と黒ですが。かつては、グリーンとレッドで表されていたそうです。
レッドは、物質、身体、ルート、根っこ、本能、生命力、攻撃性、反発などを意味します。
グリーンは心=精神です。ゼロポイント。感情ではないので、間違えないでくださいね。
陰陽=男女とすれば、身体を結合するときは、レッドを使いますね?
たいがい、最初の情報交換は目と口👄次に胸💚(ハートでつながるって、女子にとって大事でしょ❤️)
そのあとに続くものは、本来、聖なるエネルギースポットです(クンダリニーがとぐろを巻いているところ)性は聖。身体の結合(セックス)は、神や宇宙とつながる聖なる儀式なわけです。というのを、老子も知っており、だからこそ、自然=陰、母性、女性性を敬った。宇宙とつながれるのは、陰のエネルギーなのですよ。いわゆる、性的にイクとは、逝くー死ぬこと、自我を失うこと、トリップすることです。女性はね、逝っても帰ってこれるんです。なんなら、神の言葉を降ろすことができる。そのために、聖娼、神殿娼婦という制度があったのです。ディープな話ですが(今さら😶)聖娼は処女として扱われました。処女とは、未経験の乙女を指しますが、同時に神につながる娼婦を指します。そして、守護として女神を信仰し、浄めの儀式で、生まれ変わりを続けました。

女神の時代から、男性優位に傾き、キリスト教が広がるにつれて(教えを盾にしたにすぎないが)、異教は邪教=悪魔が支配するとされ、聖娼の地位は堕ちていきました。これは、日本にも当てはまりますよ(ということは、日本人の源流って🤔❓)
日本ではヨーロッパ以上に、長らく聖娼システムが残っていました。さすらいの巫女や尼として。エリアとして(多くは寺社。伊勢もね、そうですよ。)少なくとも江戸まではありました。しかし、時の権力者はその力が持つ意味を知っていますから、隠すことにします。地位や考えを貶め、卑猥なもの、汚いもの、邪なものにしてしまえ。自由度も奪おう。囲おう。遊廓の出来上がりです。

遊廓といえば、吉原。吉原には、タントラの神~歓喜天がいらっしゃいます。こういうところが、完全に排除しない日本のゆるやかさ。

ただ、西洋と日本の間である、インドでは、独自の宗教であるヒンズー教に仏教が混ざり、タントラという蜜の教えが生まれていました。蜜とは、秘す、というか、出さないというか、下手に一般には広めないというか。
空海が持ち込んだ“密教”は、そういう意味ですね。真理につながるものには授けるような。カバラ(受けとるもの)と同じです。タントラはカバラと似ていますね。身体(物質)と心(精神)の結合でもって融合・和合し、宇宙の叡知・叡智を得る、完全体になる、神となる、仏となる。西洋ではカバラ錬金術となり、賢者の石を求め、インドから東洋圏ではタントラとなり、愛の陰陽和合を求めたわけですね。

“密”で思い出すのが、コロナ禍で何度も酸っぱく言われた“三密を避けよ”というお達し。三密とは、そもそも密教の言葉。コロナ禍では、距離を取れ、ソーシャルディスタンスだ、の意味でした。正直、意味はないと思いましたが(医療的にね)。私なりに感じたのは、プラスにとれば、他者に影響されないことによって(日本人は特に影響されやすいから)内省内観を促し、風の時代に備えて、自分軸を立てる時間にしましょうだったってこと。浄化=クリアリングもできるし。孤独に強くなれよ。まさに、仏の教えではないですか。

そんな私に、ホームステイなんてのは、一瞬もなかったです🤣

タントラに戻ります。聖娼システムもそうですが、本来は聖なる儀式であっても、扱い方によっては堕落しうることがあります。そのひとつが真言宗立川流。詳しくは割愛しますが、闇落ちした例かと。

真言宗を開いた空海は中期仏教を学び、理趣経という教えで、陰陽和合に触れていたのですが、タントラは後期仏教なので触り程度だとか。それでも、密なので、かの天台宗開祖・最澄にさえ、貸し出すのを渋ったとされる教えです。

その意味が掴めるか、真理が分かるか。見極めが必要ということだからでしょうか。

そんな空海は実践されていたようですね、タントラ。
このことについては、また触れましょう。

長くなりました。
でも、これでも一部です。

求めよ、然らば与えられん。

囚われすぎは良くないけれど、正当に求めていると、ヒントやサイン、メッセージはあちこちに散りばめられていて。そこにアンテナが向くかどうか、つながるかどうかで。目の前にあるのに、知らぬ存ぜぬで、あまりに反応がないと😑
優しい高次の存在は💕
好きなものや夢中なものから、気づかせてくれたりします。

私は、このネタ、ずっと探求してきているんですよ。でも、自己満足だし、誰かに伝えたいとかまでではなかったのですね。

しかし、推しを布教するためならやりますよってことで🤩

獣と薔薇(Hey! Say! JUMP)



初めて聞いたとき、タントラじゃん🐺❤️💚🌹と、涎を垂らしそうになった曲🎵
歌詞全体、そのイメージだけど、白と黒、紅と緑、密とあるのでね。獣は陽、薔薇は陰。
それに、最初のsmellの意味は匂う、なのだけど、ここでは深く感じて、としても使われていて。スメルはシュメール=スメラ=皇👑でもある。heavenにたどり着ける境地。

だけど、MVではそれを感じさせず、世界観を作りきっていて、それも💮(こっちはこっちで深くて、古代核戦争と失われたなんとやらを感じさせていて、好き🥰❗)
エースといのちゃんの衣装は、マタギにしか見えないけど………マタギ好きだから、いいの😙

ですが、この曲の歌詞の真髄は以下にあると思っています。

東ノ果テヲ
染メタHorizon
葛藤に陽が差したら
奇跡を舞え

そのままでも分からなくはないけど。これ、暗号な気がしてましてね🔑深いところを開くための❤️そういう意味でも、タントラのエネルギーが入っている感じがするのです。

ちなみに、🎵奇跡を舞え~❗のところがとても好きでして、理由は、やぶやまパートで、薮くんがハモり(この曲は、ほぼ、ハモり担当✨)なのですが。ライブバージョンを聞いたときに、薮くんのハモりのバイブレーションに揺さぶられ、感動して涙してしまったのです🥺

ということで、タオとタントラと「獣と薔薇」についてでした🤗✨



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