日本大学鶴ヶ丘高等学校 柔友会! | 春日部工業高校柔道部監督のブログ

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春日部工業高校柔道部ならびに監督の柔道に関する活動を報告します♪

今日は、新宿にあるハイアットリージェンシー東京で、標記・柔友会(OB会)が行われました。この会は、今年6月15日に逝去された恩師・齋藤辰夫先生の偲ぶ会を兼ねています。

私の母校は柔道としては全国的には無名ですが、それでも長らく名城大学の監督をお務めになった関巌先生、東京都で優勝してインターハイ個人戦に出場した久保徹夫先輩、日本中学校体育連盟柔道競技部長をお務めになった故・金坂茂先生などを輩出しています。

今日は冒頭の総会で、私が3代目の会長に選任されました。初代会長の関巌先生、二代目の熊野真司先生に続いてで荷が重いのですが、母校に柔道部がなくなり、恩師の齋藤先生がお亡くなりになった今、柔友会として何ができるのかを考えていきたいと思います。

恩師の齋藤辰夫先生は宮城県角田市のご出身で、日本体育大学を卒業されてすぐに日大鶴ヶ丘高校に着任されました。

毎日、必ず柔道衣に着替えて生徒たちと稽古する姿は今の私のお手本であり、左の跳腰と、それをこらえた時にやってくる右の体落にはずいぶん畳に叩きつけられました。

齋藤先生と同じく宮城県角田市出身の角張力先生(天理高校・天理大学OBで世界学生チャンピオン)に会いたくて、昨夏に角田市を訪れた時の話が思い出されます。

「天理高校1年生の時に夏の解散で角田に帰ったら、聞いたこともないような高校が角田高校で合宿していたから、よおし、いっちょうもんでやるかと思ってそこに乗り込んだら、見事に鼻をへし折られたんだよ」
「当時の鶴高に、角張先生を投げるような方がいたんですか?」
「何を言ってるの。猿渡先輩」

確かに猿渡栄一先輩は強かったそうで、齋藤先生もよくその話をしておられました。ところがその猿渡先輩も昨年1月にお亡くなりになっていることが、今回の柔友会の出欠返信のハガキでわかりました。

私はこの話を角張先生から聞いた時に「今度、齋藤先生のお見舞いに行ったら、この話を絶対にしなくちゃ」と思っていたのですが、それはかなわぬこととなりました(本当に残念)。

母校に柔道部がなくなり、恩師もお亡くなりになりましたが、鶴高の道場で、齋藤先生の指導のもとで汗を流した思い出は永遠です。

卒業生の皆様、汗を流したくなったら、いつでも春日部工業高校にお越しください。春日部には温泉もあるし、美味しいお店もたくさんあります。

皆様のお越しを、きっと齋藤先生も見守ってくださっていることでしょう。
「なあんだ、みんな小池のところで練習してるのか。自分の弱い気持ちに負けないで頑張れよ。相手を投げるのに重要なのは、釣りと開きだぞ」

齋藤先生、これからもよろしくお願いいたします。合掌。

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出席者全員での記念撮影