アイスジュエルズ最新号での萬斎さんの言葉が、私はすごく印象的でね
萬斎さんもご自身が肉体を酷使する職業から、その限界を知っており、でもその肉体・体力のピークを過ぎた美しさを独特の表現をされていて
『時分の花』
『真の花』
『老木の花』
『幽玄』
その時その時の段階的な美があると…
ゆづのこれからがすごく楽しみになる言葉だなと思いました(*^^*)
また萬斎さんが今のゆづを見ていて、この言葉たちを思い浮かべるという事実も嬉しくなった^^*
狂言の世界でも、萬斎さんの息子さん、萬斎さん、萬斎さんのお父様が同じ演目を演じても、まったく違ったものになると仰っていて…
なるほどなぁと思ったの
年齢的なものもきっとあるだろうし、経験もあるだろうし、何より年齢を重ねた時に出るのはその人自身なんじゃないかと思って
その人が歩んできた人生そのものが抽出されるのが演目であり、その時間であり、表現なんじゃないかなと想像した^^*
だから、ある意味誤魔化しが効かないというか…その人自身を映し出す浮き彫りのようなものなんだろうなと思った
これ、私は映画オタクなのでどうしてもそっち方面で当てはめて考えちゃうんだけれど、確かに映画の世界でも同じようなことってあって
たとえば俳優さんが若い時は、肉体や体力に比重を置いた演技はできるわけで
多少粗が目立っても、派手な動きや映像の効果等で誤魔化しが効くんだよね
それが年齢を重ねた時に、走ったり激しい動きをしたりはできなくなってくる
でも、味が出てくるんだよね
人によってはそこにいるだけで演技になる
存在感になる
たった一つの目線だけで物語を掴んでしまうし、一瞬の間だけで観ている者の心を離さない
若い人には絶対できない凄みのようなものがそこにはあって…
そういう変遷が、私が映画を好きな理由の一つでもあります^^*
だから、萬斎さんが仰ることがなんとなくわかって、そこにいるゆづも想像の線上にいて…嬉しくなった\(^o^)/
あとは、衣装のことね!
「肉体を封じているようで、実は肉体を拡大する装置にもなっている」
「体の線を見せずして体を感じさせることもある」
「これ、喜ぶと思うな、彼きっと、ふふふ。」
これを聞いた時に、
わーーーーー!ほんとにゆづ喜びそう!と思ったんだよね!
ゆづ、好きそうな話だなぁと
興味津々というか、新たな視点と課題をもらった気分になるんじゃないかと思って…
これを仰り、ゆづに投げかけたように見えた萬斎さんはやっぱりさすがだなと思った!
聞いている私がワクワクしたもん!
確かに…フィギュアスケートも衣装を作る際は動きやすさや軽さが重視されているよね
ゆづもそこはすごく気にしているのは知っている
加えて、バレエダンサーが『ボレロ』を舞う際に体の線が見えることで意志がはっきりするという視点も、フィギュアスケートでも加味されているのかもしれない
でも狂言では敢えて肉体をさらさない、肉体を小さく使ってでも大きく見せるものとして衣装があると
狩衣の袖があんなに大きいのは意味があると
ここにも西洋と東洋の思考の相反があるのかなと、ちょっと感じたり…
動きにくさ(肉体を封じる)があっても、実は舞台上ではその人自体や演技自体が大きく見えているということだよね
それこそ萬斎さんが仰っていた空間を支配するに近いのかな…
そういう点でいうと、直近だと『あの夏へ』は動きにくさというのが他の衣装に比べるとあるのかもしれないなと想像したり…
すごく頷ける(*^^*)
それでも既存のフィギュアスケートの衣装は軽やさ動きやすさ重視なんだろうけれど、競技を離れたこれからのゆづの表現を想像するにつけ、びっくりするような大きな衣装や重い衣装を纏うこともあるかもしれないな!とワクワクしたよ
肉体を封じているようで、実は肉体を拡大する装置…
体の線を見せずして体を感じさせる…
なんとも深い言葉だなぁと思います
年齢的な開花も感じる…
研究熱心で多角視点から今表現というものを追求しようとしているゆづにとっては、とても興味深い言葉なんじゃないかなと思いました(*^^*)
こうしてたくさんの方々からの栄養が抽出されて、『羽生結弦』という大木が生成されていくのかな…なんて想像するインタビューでした^^*
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