GIFT続きです
(SOIまでにはとりあえず走り書きを終えたい(>_<))



ゆづの語りが終わって

notte stellata



正直ね、現地で見ている時は、心が陰のエネルギーに引っ張られすぎて、たくさんの重い言葉たちを処理できなさすぎて、混乱していたので演技をこと細かくは覚えてないの

若干、心が感覚を失っているような…放心状態に近い感じでリンクのゆづを見つめ…


それでも演技に心が惹かれていくのは自分でもはっきりわかった


覚えているのは…

氷上で動くゆづが美しすぎて…涙が出たこと


美しいものを見ると涙が出るんだなと思った



理由はわからない

と言うか、理由なんてないんだよね


ただただ美しくて…


それに触れた時に、人の心が自然に起こす摂理が涙なんだなと思いました



途中でゆづがポンポンって両腿に触れるじゃんね

『持ってくれよ』って
『いくぞ』って
『頑張ってくれよ』って言っているみたいでね(;_;)


こうして自らの体に語りかけることができる人、共に苦楽の道を歩んできた肉体を大切にしている人(;_;)ほんとに好きだなと思ってね(;_;)

たくさんの、数々のプログラムはゆづの心魂が大元になって生み出されているけれど、何よりその体がなければ表現できないものね

心・技・体を地で行っている人だなと思います



そして、

気づいたら光がドーム内いっぱいに舞っていて…



あれ…?

もしかして…?と思って、


よく見ると…



スノードーム…!




うわぁ…


きれい…



スノードームの中に入ったの…初めてだ…と思いました



なんだかあの光の舞と浮遊感がすごく心地よくて…


自分の顔を見ることはできないけれど、きっと目をキラキラと輝かせながらその光に包まれる私がそこにいたと思いますw


演技が終わりに差し掛かり、『スノードーム、いつまでも続けばいいのに…』と名残惜しくなったのを覚えている


そのくらい夢のあるきれいな光景でした



GIFT様、スノードームの中に入れてくださり、ありがとうございました(*^^*)❅*°



フィニッシュ後、ゆづの語りが入る

僕の行く道に、何があるかなんてわからない

僕らの目指す先に、何が待っているかわからない
 

私はね(;_;)←

この時のゆづの顔がめちゃくちゃ好きなの(;_;)

スクリーンに向かって右手を掲げて、何かが憑いてるかのようにも見える強く鋭い目で…ゆづは何かを喋っているよね
(セリフを言っているのかな?)


このゆづが本当に好きで、ああ…この人からこの公演の演技たちは生まれてきたんだなと、すごく納得する姿でもあって…

と同時に、これからもそのスケートを見たいなと、この人から生まれるものに触れたいなと自然に心が動くような姿でもあるの


『僕ら』って…言ってくれたことが嬉しいね

(…え?ファンのことで合ってる?Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)めっちゃ勘違いしてる!?wwΣ(゚Д゚;≡;゚д゚))



でも、続けていこう


走っていこう


GIFTを届けに行く旅を



スクリーンに映し出された巨大な白い翼がきれいで…これからのゆづの物語の可能性の広大さを感じさせるものでした


そして、冒頭の真っ赤に燃え上がる炎の『火の鳥』から対照的にも見えてね


それはまるで、GIFTという一つの公演を通して、ゆづ自身の心情の変化を表しているようにも感じました


あの透明感のある澄んだ色合いの光の翼が私はすごく好きです^^*


ゆづの未来を暗示しているよう





優しい音楽がかかる


ディズニープラスの映像では、ここでドーム全体の映像に切り替わるよね


会場いっぱいに充満した光たち…


点灯されたシーリングライトが本当にきれいで…


私はここでもう涙が止まらなくなってしまって(;_;)(;_;)(;_;)



このシーンにこのBGMを当てたの誰?(;_;)


ほんとに素晴らしい演出だと思う(;_;)

 


BGMとシーンの合致性がこれ以上なくて、見ている者の感情を一気に溢れさす(;_;)


最高の作品に仕上がる重要なシーンだよ

(どうしても筋金入りの映画オタクなのでこういう視点で絶対に見てしまうの)




私はね、現地でのこの瞬間をすごく鮮明に覚えていて…


きれいで優しく、美しい音色のBGMの中、ドーム内いっぱいに光が充満した



私の中では、GIFT内では最も光の壮大さを感じた場面でした



そして同時に、その光たちを目にした時に、『ああ…こんなにも痛みがあるんだ…』と思ったの


なんだか、ただの光に見えなかったというか…一人ひとり、無数の膨大な光の数一つひとつが、生きている存在だと実感したんだよね


それも、みんな痛みや辛さ悲しさ、傷、寂しさ、孤独感…を内包しているように見えてね


それでも、誰かのためにって、自分のためにって、より良く生きようって、前を向いて歩もうって、懸命に生きる中でその痛みや傷が発する光に見えたんだよね


なんて言うか…傷や痛みを抱えながらも懸命に生きる人から生まれている光に見えたの



『ああ…だからこんなにも美しいんだ…』って現地で思いました




その独特の光の壮大な光景は、私はきっと一生忘れないと思っています




そして、今だから思うけれど…あの光たちが私にそう見えたのは、GIFTの世界観、ゆづの演技に触れたからじゃないかと



あの時間と演技、空間を体感したからこそ、心が見た光景かもしれないなと感じています




元気に毎日過ごしていますか

辛い気持ちになっていませんか

一人で悲しくなっていませんか

どこにいても、いつだっていいです

疲れて、心が干からびた時に帰ってきてください


こんなくだらない物語と、とっておきの物語が、ずっとここにいます

あなたのこれまでと、これからの物語のために
 
 
不思議なんだけど、この時のゆづの声は未来のゆづの声に聞こえてね

未来から現在の私たちへのメッセージのようにも感じるし、または未来の私たちがこのGIFTという場所に帰ってきた時に、さらに未来のゆづからの声にも聞こえそうだなと想像ができた
 
なんだかそんな不思議な感覚になるの…

時空が入り混じっているような独特の感覚になります
 


ゆづは、『こんなくだらない物語』と言うんだよ(;_;)(;_;)(;_;)

こんなに壮絶で凄まじい人生なのに、こんなにも苦しみと孤独と葛藤と自問自答を続けた日々なのに(;_;)(;_;)(;_;)

自分で自分のことを『こんなくだらない物語』と表現する



ゆづはnotte stellataで、明日はいつもと変わらない、くだらない日々が続くと言ったよね

私はあれを聞いた時に、ゆづ自身の経験からの言葉だと思いました

ゆづは、もうわかっているんだと

表に出るショーという場が終わると、明日からはまた苦しい苦しい練習の日々、自己と向き合う日々、得ては失う日々であることを、もう理解しているんだと思いました


GIFTを見たらわかるように、得ては失う日々に何の意味があるんだと、何の意味もないように感じる日々に、人生も命も懸けるような思いで、ひたすら努力を重ね続けている

心も体も壊れそうな極限の状態に自分を追い込み、無意味だと虚無感を味わい続けるような日々を、『こんなくだらない物語』『くだらない日々』と表現する

そこには自嘲も感じられてね(;_;)


これは、何気なく日々を過ごしている人と、ゆづのように心血を注いで日々を過ごしている人とでは、まったく意味が違う言葉だと私は思っています
 

ゆづが言うから意味を含んでいるんだからね


たった一つの言葉でも、言う人によって全然重さが違う


GIFTという、とても重いものに触れた後で聞く『こんなくだらない物語』とは、まるでゆづ自身の心が表されているようでした


それでも、すべてに意味があったとゆづ自身が思えるような、今後の歩みが進められるといいなと願っています



今日はここまでッス!
(…ッス?Σ(゜Д゜;≡;゜д゜))
 


ポチッと…押してくださいますか?
↓↓↓


フィギュアスケートランキング


いつもありがとうございます✲*゚