さあ!GIFT後半書いていこ!

来週になったらSOIモードになってくだろうし、(私も人事異動で異動があればブログどころじゃなくなると思うので(>_<)) 、ちょっぱやで走り書きしてくー!


実は私、GIFTはまだ3回しか見てないんだよね

なので解釈あまいかもしれないし、ここに書いてあることは私個人の受けとめ方や感じ方なので、それを前提に読んでね!


ほんとは一気に最後まで書きたいけれど、そんな時間もなく細切れ記事になってしまうけれど、とりあえず今日は途中まで^^*
 
 


休憩が入って

後半が始まる



私は前半の衝撃をかなり引きずりながらも、クレイジーがかかって、だんだん気持ちが陽になってきて…

まるでライブみたいだった^^*

 
ゆづはいつ出てくるんだろう!?なんてドキドキしながら待って



いよいよリンクに登場したゆづの姿に場内のボルテージは一気に上がったように思う
(余談だけど、私の隣の方がかなり激しい方でね^^;うちのお母さんよりも歳上に見えたけれど、動きがめちゃくちゃ激しすぎて私の座席までグイングインガタガタ揺れて大変だたヽ(;▽;)ノ酔いそうになって、あまりに酷く長くなったら声かけようかと悩んでたわヽ(;▽;)ノ楽しいのは何よりですがね!)



レミの白衣装!初めて見る!

嬉しいなぁ!なんて思いながら、リンクのゆづを見つめ続け…


ヘランジ逆ーーーーーーーーっ!って思いながら後ろ姿の『ヘ』を見つめことはここだけに書いておこうww
(3塁側1階スタンドσ´Å`o)オイラ)

 


GIFT前半の陰の部分に気持ちが引っ張られつつも、後半初っ端のクレイジーとレミに心が明るい方へと誘導されている感覚になり…


そこから、機械的な音楽が始まる


まだ、何か楽しくワクワクするようなことが始まるのかなと予感してた…


でもそこから始まったのは…真逆のもので、また一気に陰の部分に引っ張られ、闇の中に引きずり込まれるようだった
 


楽しい
楽しい

たーのしい…

楽しいよね…
楽しくないわけなんかない

楽しいでしょ

ねぇ、楽しいでしょ



「ウン、タノシイ」


これを現地で聞いていて、レミは楽しくなかったんだなと思って…なんだかとてもすんなり腑に落ちた感覚になったんだよね

レミはコロナ禍の中でどん底を経験しながらも、ゆづは『皆さんの気持ちが湧き上がり、楽しんでいただけるようなものを』という気持ちで作り出してくれたプログラム

私はその気持ちが嬉しいなと思いつつも…当時のゆづはなんだかとても頑張っている感があるなと感じていて…それでも、ゆづが楽しくなるようにと心を込めてくれているのだから、楽しい記事を書こうと私も頑張っていた


ロビー・ウィリアムズさんの曲でもあるし、彼のファンの方々も世界中にいる

大切にしなきゃって、尊重して楽しまなきゃって思う気持ちもあった


でも本当は…ゆづは頑張っていたのかなって、楽しくもないのに楽しい仮面を被っていたのかなって、すごく現地で見て納得したんだよね


理由はきっとたくさんたくさんある

もう競技に対する失望もあったと想像するし、ファンの想いの重圧もあったと思う

4Aに挑むことは楽しいでしょ?と世間が思っているとゆづは思い込んでいたのかもしれない

試合のたびに、試合が楽しいでしょ?あなたは競技者なんだから、勝つことが好きなんだから、この空気感が好きでしょ?楽しいでしょ?なんてあらゆるところから思念があると思っていたのかもしれない

それに応えたい、応えなきゃという、どうしようもない自分の気持ちもあったと想像する

自分で自分がわからなくなって、外の世界で仮面を被り続け、本質の自分とのはざまで心が壊れていく時期と重なっていたのかも



そうやって笑う…
笑うその顔を作ったのは誰だ?

そいつは誰なんだ…
誰のための…誰なんだ?


作り笑い…だよね

時と場合による ある種『羽生結弦』という仮面だよね



「デキマス、ガンバリマス」
 
これは現地で聞いていて、4Aのことだなと思った

 
本当にできると思ってるの?
自分にできると思ってるの?

分からない
どんな根拠がある


「ダッテ、デキナキャイミガナイデショ」

「デキルノガ、ボクダカラ」
「デキナイノナラ、デキルマデヤルンダ」


そっか、自分にはできると思い込んでいる

違う、そうじゃない

できることにしたいんだ

できない自分なんか、存在する意味がないんだ

必要…ないんだ

そっか
 

これは前半の記事で書いた『できないことが嫌い』な自分、できないことをできるようにしてきた日々の土台が幼少期から作り上げられてきたからこその、至る境地でもあるように思ったんだよね

それはもちろん人間としてはいいことなんだよ

成長すること、できないことを努力でできるようにすること、それをし続けること…なんと尊いことかと思う


けれども、その土台があればあるほど、“できないこと”に直面した時に…心の持ちようが難しくもなるんだろうなと

巨大な“できないこと”との対峙…

それに対峙している自分との向き合い…



できないことをひたすら努力と自己の力でできることにして、そこに自分の存在理由を見出してきた道のりがあればあるほど、『できないかもしれない』という気配を感じる巨大な崖のロッククライミングをするのは…しんどかったと想像する

しかもたったひとり…

ゆづはひとりで向かい続けた


ゆづの場合は存在理由を見出したというよりは、それが自分の存在理由になっていった…とも言えるかもしれないね



 
いつだろう…
好きなことをして、楽しくて

でもそれだけじゃいられなくなったのは、いつだろう

好きでも、楽しくもなくなってしまったのは、いつだろう

苦しいが積もりすぎて、頭がおかしくなる

何も考えたくない

何もかもうるさい


やれる以上のことをやってる

いつもいつも、ずっとずっと、できないことをできるようにしてきてる


やってるんだよ!いつも! 

自分のこと超えてるんだよ!
 
こんなに頑張ってるのに、こんなに尽くしてるのに

ここまで来るのにどれだけの時間がかかった?

どれだけの努力をしてきた? 

自分でもわからない

できなきゃ意味がない

なら今の僕は、必要がないのか

本当にそうでいいのか


「ヤラナキャ、デキルマデヤラナキャ」



ほんとに言葉が刺さるというか…痛い…

今は少し冷静になって言葉を受けとめることができるけれど、現地で聞いている時は心が感覚を失う感じもした

そうだろうなと思ってたよって、リアルタイムで感じてたよって、だって見てたらわかるからねって、ずっとずっと…そうだろうなと思ってたよって…

思うんだけれど


こうして言語化されてハッキリ伝えられることの痛さというか、言葉と感情と心の状態の波動が無数の針みたいになって私の心に入ってくる


この言葉たちを今客観視すると…いつだろう…応援が楽しいだけじゃなくなってしまったのは…って

いつだろう、ゆづを見ていると苦しいが積もりすぎて、何が正解かわからなくなってしまう感覚になったのは…って思う気持ちも出てきてね


楽しそうじゃないゆづ
苦しみや苛立ちが出ているゆづ
あんなに好きだったフィギュアスケートが好きじゃなくなっているように見えるゆづ
頑張って作り笑いや強い言葉で会見に臨んでいるゆづ
今にも崩れ落ちそうになっている中で、必死に自分を保とうとしているゆづ


それでもひたむきに頑張ろうとしているゆづ

涙や心の叫びをひた隠して、強くあろうと自分を律し、奮い立たせているゆづ

真摯にスケートに向き合い、自己を研鑽して、心身を尽くして己を磨き続ける姿…


全身から伝わってきてた



アスリートを応援するって、楽しいだけじゃない

それは理解していて、そういうことだとも思ってるんだよね

芸能人やアイドルとはまた違う…生身の人間を勝手に応援させてもらっている感覚…


楽しいだけじゃないことはわかってるし、思えば、そんなの落ちた時からそうじゃなかったなと


そこに惹かれたんじゃない



このゆづの言葉たちを見るにつけ、きっと北京五輪前の4Aに取り組んでいる最中の心境なんだと思うんだよね

ガヤガヤとまわりが何か言うことも、アドバイスや見解含めて、何もかもうるさいと思う時期もあったんだよね


そしてそれは、きっとファンの声援や声もだと私は思っている



「なら今の僕は、必要がないのか

本当にそうでいいのか」

 
この言葉はなんとなく…レゾンで体をうねらせて苦悩する姿が思い起こされたな





ただ暗闇に打ち勝ってきた

誰のおかげでもない

ただ時間と体力と精神を削って
ただ心臓と心のエネルギーを消耗して、ここまできた

ここまでやってきたんだ

綺麗事なんか一つもなかった

こんなにも、こんなにも、こんなにも苦しんでる

こんなにももがいている

運命にひたすら抗ってきた

誰も傷つけないように、誰かが傷ついてしまわないように

誰も失望してほしくない
 
僕のあるべき姿になるために、だから強くなるんだよ

僕が僕であれるように

こんな僕のこと誰がわかる?

一生わからない

わからない!
 
 
 
これも大部分は4Aのことかと思うんだよね

幼い頃からいろんなものを削ぎ落として、ひたすら努力で夢を追って掴んできた

4Aに挑み始めてからは、年齢や体力的なこと…抗えない事実とも向き合わなくてはならなくて…

フィギュアスケートを取り巻く環境も変化し…

それと同時に『理想の羽生結弦』『みんなが思い描く羽生結弦』になるために、苦しんでいたんだろうなと

『羽生結弦』という存在が巨大化して、手に負えない感覚もあったんじゃないかと想像する

きっとそれは現在進行形な部分もあるはずで…

だって、見ている私みたいなファンでも感じているから

(それについては、私は『いつか終わる夢』で涙を堪えながらゆづが語ったことに対する記事に書いているので、今日は書かないね)



なんだか、

このゆづの言葉から阿修羅ちゃんへの流れは…


『お前ら全員わかってねぇんだよ!!』


って、ゆづに怒鳴られたような気がした…

刺されたような感覚だった


自分に向けられた言葉に感じたんだよね


多分、ここって自分の心が出るところかなと私は思っていて


このゆづの言葉たちと阿修羅ちゃんへの流れを、誰かに向けたもの(たとえばフィギュアスケート界やルールやジャッジングシステム)、または自分ではない他者へ向けられたものと感じる人もいるかもしれない


でも私は、自分に向けられた言葉に感じたんだよね
 
 
それは多分、応援がゆづを苦しめているという気持ちと内省的な心を常に抱き続けているからだろうと思う
 
 
 
自分の心がどこを向いているのか、外を向いているのか内に向いているのか、他者を見ているのか自己を見ているのか、意識がどこに向けられているのか、よくわかる箇所なんじゃないかと思っています


人によって受けとめ方が変わってくる言葉とプログラムだなと私は感じています





…なんだか心がズキズキする感覚で終わってしまうけれど(  ;∀;)

今日はここまでしか書けなかった!


続きはまた…!
 
 
 
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