


リアルタイムで見ていて…ものすごく衝撃的で…
その姿はまるで、大事なものが胸元から喉元へと駆け上がり…
ゆづはそれを取り出して…
苦しそうに…
“素顔の自分”である赤手袋へ込めて、まとったようにも見えた…
これさ、この振付けになったのは2日目の夜公演だけだったんだよね
私は個人的に、この夜公演がすごく素のゆづに見えて…演じているんじゃなくて、ゆづのどうしようもない真実の姿を見たような気がしたの
思考とか働く前に、本能が出た…みたいな…
これらは当時書いた記事たち
私もかなり考えてオブラートに包んだ表現をしているけれど、伝えたいことは込めていたつもりです
解釈がゆづが込めたものと合っているかはご本人のみぞ知るなのでわからないけれど
喉の奥にあったのは…やはり本心だったのかな
自分の本当の姿、本質的な自分、ありのままでありたいという渇望…さらけ出したい本心…そういうのがゆづの奥に詰まっていたのかなと、クラシックTVの言葉を聞いてあらためて思いました
これは最終日演技後
疲労困憊…
完全に精根尽き果ててた…
インタビュアーさんが「どうしたの?」ってゆづに問いかけるほどで…
そんな声かけをするくらいのゆづの姿…状態だったのかなと感じました
ゆづ…泣いてるのかと思っちゃったの
一瞬ドキッとしてしまった…
結構長いことタオルで顔を覆っていたから…凄まじい演技をした後は、いつもこんなふうになっているんだろうなと想像もさせられて…
(notteもGIFTもプロローグもそうだろうね…(;_;))
なんだかこの時は、マスカレイドの余韻が残る肉体と、プログラムにより剥き出しになった心と、抜けあがっていく魂とのはざまで、ゆづはその調整をテレビカメラの前で必死にしているように見えました
この瞬間は…見てはいけないものを見ている感覚になった…
やっぱりこのタイミングで再演ということに深い意味があった

2021年は仮面を大切に生きていくと、この子と共に走っていくと決意したような感じもしました
だって、オリンピックシーズンだもの…
今だから言えるけれど、私はずっと…ゆづは北京五輪には出たくないんだろうなと思っていました
元々、平昌五輪までが彼の夢だったし、そこから4Aという新たな夢を設定するも…その道は想像以上に険しく…ケガもあり、またその道中では自分の理想とするフィギュアスケート像と現在進行形のフィギュアスケート像の乖離が生じ…採点に対しても疑問と葛藤、苦悩、絶望を抱いていたと思う
でも、どうしたってゆづの地力を考えると、ケガがなければ北京五輪代表になってしまうのは想像ができ…
でも、オリンピックに行きたくないという言葉はオリンピアン(ましてや2連覇を成し遂げている)の立場からは言えない言葉であるのは想像ができていた
(ゆづはすごく言葉を選んで北京五輪に対しては慎重な姿勢を貫いていたよね)
しかし、4A完成が北京五輪までには間に合わないかもしれないということも想像でき…
ゆづは一体どうするんだろう?と、どう腹を括るんだろう?と、どう道を歩んでいくんだろう?なんて思いながら見つめたシーズンでもありました
そこに対するゆづの気持ちも表れていた2021年のDOIマスカレイドでもあったんじゃないかと思います
大変なシーズンになっていくことが私でも想像ができる中で、決意と覚悟と仮面と共に歩んでいく…
そんな姿だったように思います
いつもありがとうございます✲*゚



























