クラシックTVで、

清塚さん「そもそも、すごく勇気を出して言うと、フィギュアスケーターが選手からプロになる時に“引退”って使うのがすごく嫌なの。これからが“プロ”なんでしょって思うから、引退とは絶対思ってないんだけど」と、ゆづの考えとドンピシャなことを仰ってくださったよね

続けて、「ゆづちゃんがこれからプロとしてでしかできないことを追求していけるというのは嬉しいんだけど、どんな思いからですか?」と
 

それに対するゆづの答え
「深められるんですよね。自分がやりたいことを常にずぅーっと。点数だけじゃなくて、深めていけるっていうのは、一番自分の中では競技している中でも引っかかりが取れないっていうか。喉の奥に何かが詰まったような感じでずっと滑ってましたし。そうやって深めていきたいっていうのが一番の理由ですかね。」
 
 
『喉の奥に何かが詰まったような感じ』

この言葉を聞いた時に、瞬時に2021年DOIのマスカレイドの振付けを思い出したの
 
2日目の夜公演だった

 

リアルタイムで見ていて…ものすごく衝撃的で…


その姿はまるで、大事なものが胸元から喉元へと駆け上がり…

 

 

ゆづはそれを取り出して…

 

 

苦しそうに…

 

 

“素顔の自分”である赤手袋へ込めて、まとったようにも見えた…

 

 
当時、演技を見終わった直後に上げた記事には、『胸元から喉元へと駆け上がる本心を潰したように見えた…』と書いたんだよね

 


これさ、この振付けになったのは2日目の夜公演だけだったんだよね


私は個人的に、この夜公演がすごく素のゆづに見えて…演じているんじゃなくて、ゆづのどうしようもない真実の姿を見たような気がしたの


思考とか働く前に、本能が出た…みたいな…

 
 

クラシックTVのゆづの言葉を受けると、このマスカレイドはまさに当時のゆづの思いや本心を表したようなプログラムだったんじゃないかと思う

完全に合致しない?

私だけかな?そう思うの(((;°▽°))

私、言葉聞いた瞬間にこのマスカレイドの振付け思い出したもん

(すごく印象的な姿だったから)

 

私もかなり考えてオブラートに包んだ表現をしているけれど、伝えたいことは込めていたつもりです



解釈がゆづが込めたものと合っているかはご本人のみぞ知るなのでわからないけれど




喉の奥にあったのは…やはり本心だったのかな


自分の本当の姿、本質的な自分、ありのままでありたいという渇望…さらけ出したい本心…そういうのがゆづの奥に詰まっていたのかなと、クラシックTVの言葉を聞いてあらためて思いました

 
 

これは最終日演技後

 

疲労困憊…

 

完全に精根尽き果ててた…

 

 

 

インタビュアーさんが「どうしたの?」ってゆづに問いかけるほどで…

 

そんな声かけをするくらいのゆづの姿…状態だったのかなと感じました

 

ゆづ…泣いてるのかと思っちゃったの

 

一瞬ドキッとしてしまった…

 

結構長いことタオルで顔を覆っていたから…凄まじい演技をした後は、いつもこんなふうになっているんだろうなと想像もさせられて…

(notteもGIFTもプロローグもそうだろうね…(;_;))

 


なんだかこの時は、マスカレイドの余韻が残る肉体と、プログラムにより剥き出しになった心と、抜けあがっていく魂とのはざまで、ゆづはその調整をテレビカメラの前で必死にしているように見えました

 

この瞬間は…見てはいけないものを見ている感覚になった…

 

やっぱりこのタイミングで再演ということに深い意味があった

 

 

なんか、でも

 

言葉にしなかったと言ってもいいかもしれないね

現役競技者として、言葉にできなかった、敢えてしなかった…とも言えるのだろうなと
 

 

 

 

 

まさにGIFTのマスカレイドからオペラ座の怪人へと繋がる思いが、ここにあるよね

 

 

 

 

 

2021年は仮面を大切に生きていくと、この子と共に走っていくと決意したような感じもしました



だって、オリンピックシーズンだもの…


今だから言えるけれど、私はずっと…ゆづは北京五輪には出たくないんだろうなと思っていました


元々、平昌五輪までが彼の夢だったし、そこから4Aという新たな夢を設定するも…その道は想像以上に険しく…ケガもあり、またその道中では自分の理想とするフィギュアスケート像と現在進行形のフィギュアスケート像の乖離が生じ…採点に対しても疑問と葛藤、苦悩、絶望を抱いていたと思う


でも、どうしたってゆづの地力を考えると、ケガがなければ北京五輪代表になってしまうのは想像ができ…


でも、オリンピックに行きたくないという言葉はオリンピアン(ましてや2連覇を成し遂げている)の立場からは言えない言葉であるのは想像ができていた

(ゆづはすごく言葉を選んで北京五輪に対しては慎重な姿勢を貫いていたよね)


しかし、4A完成が北京五輪までには間に合わないかもしれないということも想像でき…



ゆづは一体どうするんだろう?と、どう腹を括るんだろう?と、どう道を歩んでいくんだろう?なんて思いながら見つめたシーズンでもありました




そこに対するゆづの気持ちも表れていた2021年のDOIマスカレイドでもあったんじゃないかと思います


大変なシーズンになっていくことが私でも想像ができる中で、決意と覚悟と仮面と共に歩んでいく…


そんな姿だったように思います

 
 
 

その表れが、最終日のフィナーレだったんだよね


演技の最後に放り投げた(2019年のように割ってない)運命の仮面を表す白黒の手袋をフィナーレでは付けていた

 
この仮面と共に今シーズンを走っていきます

そんなメッセージに当時思えたんだよね



『競技をしている中でも引っかかりが取れない』
『喉の奥に何かが詰まったような感じ』

クラシックTVの言葉と2021年DOIマスカレイド、そこからのGIFT…なんだか繋がるなと個人的には思いました
 
 
 
「少しずつ少しずつ人と違うようなところを見ていって、それが溜まりに溜まって、最早今はプロでしかできないことを見ているかなって、ちょっと私も思ってました」
 
清塚さん、感じてたんだね

清塚さんだからこそ感じられたことかもしれない



ゆづは今、引っかかりや喉の奥に何かが詰まった感じ…なくなったかな?

まだあるかな?


プロはプロとして大変なことはたくさんあると思うけれど、自分が深めたいと思うことがやれているといいなぁと願います^^*


プロになってよかったとゆづ自身が思えている、思えるような今だといいなぁと願うのでした✩.*˚
 
 
 
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