昨日の夜、やっと聴けた



あかんかった(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)


あかんかったわぁ…(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)


もう涙が溢れて胸の震えが止まらなかった(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)

清塚さんの演奏、音の表現たち…凄まじかった…


これは泣く(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)



語るように始まる冒頭は、まさに序奏…

どこか物悲しい雰囲気と不協和音のような気配を感じる流れは、孤独感を感じさせ…

でも優しさとまろやかさもあるんだよね

柔らかくて細い…光の内包のようなイメージも抱く


音が走り出すところからは、ゆづの演技が想起され…

前向きで力強い、勇ましい足音と心の旋律を表現したような音の粒たち…


そして、生命力…

人間の生命…

力の躍動…



意識が遠のくような躍動の果てに…

突き抜ける瞬間…


それは、自我との出会い


真我との出会い…



曲を聴きながら、そんなことが昨日はイメージされました



もう最後はゆづの演技と清塚さんの音色が一体となって迫ってきて、込み上げてきて、号泣でした


これはもう、この曲自体にゆづの道のりが刻まれているから、私も普通に見られないというか…

溢れ出てくるものがある



この曲を表現できるのはゆづしかいない

そう思いました



凄まじかったな(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)

凄まじい演奏とゆづの姿が重なって、胸がいっぱい

息ができなくなりそう(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)




私さ、清塚さんもすごく奥が深いというか…経験が厚い人だなと思っていて
(すごく好きなの(*^^*))

トーク番組で、自分が音楽家になった過程のことを話されていて


「僕は母親のファシズムのもとに育ってきた」
「母親は自分が音楽家になりたかった人。その夢を私に託した」
「生活のすべてが音楽だった」
「友達もいない」
「勉強をしていると、母から『そんなことしなくていいから。勉強なんてしなくていいから、楽譜入れて。そんなもの入れなくていい。あなたは音楽家になるのだから、音を入れなさい』と言われた」
「そんな環境でずっと育っているので、僕は高校時代くらいには『こんな俺に誰がした!』『こんな人生に誰がした!』と怒りしかなかった」


そんなことを話されていて、結構衝撃的で印象に残っているんだよね


怒りしかない時期って…言葉もなくてね…


でも続けて清塚さんがこうも話していたの

「そういう感情…怒りとか孤独とか、凄まじい人生とか、そういう経験がないと音楽って表現できない。だって作っている人がそういう人なんだから。曲の作者が凄まじい人生を歩んでいるでしょう?ショパンにしてもそう。みんなすごい人生を送っている。そういう人が作っている曲を表現するには、僕のような経験や感情を持っているというのは、ある意味でよかった思う」


そうかぁと思って…

ちょっと胸が痛くてジレンマのようなものも感じるけれど、奥が深いなぁと思ってね




清塚さん、ゆづの『序奏とロンド・カプリチオーソ』が初披露された全日本の演技後に、「サン=サーンスは天才すぎて孤独を歩んだ音楽家」とコメントを発していたよね

それはどこか、ゆづと重なる部分があったのかなと思わされる一文で…

そして続けて、「羽生結弦選手というヒーローを、その背負っている人々への真心を間近で見ると、誰も歩んだことのない“道”が見えました。今回のロンカプは、そんな表現をしたつもりです」とも想いを語ってくれている


なんだかね、“今”に続くなぁと思うんだよ


ロンカプが初披露された当時は、今のこの状況は想像できなかったけれど、続いてきた“道”が“今”とリンクしているように感じるから不思議だなと思いました




…私さ、あんまり大きな声では言えないんだけど…(ここブログやでw)
(個人の日記的なこじんまりとした場所という前提で書くね)

時々、ゆづの怒りのようなものも感じる瞬間があってね


それは、これまでもずっとあったのかもしれないけれど、私個人は北京五輪から特に強く感じるようになって…

今も時折感じる瞬間があるんだよね


もちろんずっとじゃないよw(当たり前w)

時折…ほんとに瞬間的に…ほんのほんのわずかな時間…ふとした一瞬や刹那的に…感じるんだよね



なんて言うか…どうしようもない怒り…持って行き場のない怒り…持っていきようのない思い…ゆづが向けることのできないどうしようもない感情のようなものを感じるの


努力してきたことが、自分の思うような形で実らない

身を削り、心を削り、命さえも削るように真心を尽くして研鑽を重ねているのに、正しい道は開かれない

それはやがて苦悩と葛藤に変わり、ゆづの心を迷わせ、自問自答の無限ループを作り出し、孤独を増長させていっただろうなと

現実の悲しさ、切なさ、絶望、失望…あらゆる暗闇を経験しただろうと思います

同時に、やはり怒りもあったんだろうと思うの

それは多分…今もゆづの心にあるのではないかと私個人は思っています


だってそうだよね

こんなに尽くしてきたのに報われない、考えに考え抜いて積み重ねてきた自分の正しい生き方と努力は、自分の夢は、叶わなかった…この世の不条理も絡み合って、現実のものとはならなかった

どうしても受け入れ難い、どこにも持っていくことができない感情…持って行き場のない思い…そういうのが怒りとしてゆづから感じられる瞬間が私はあるんだよね
(ふとした一言や表情、言葉の端々…声色…目の色…などね)


そういうのを勝手に私は感じているのだけれど、プロローグを見てね、すべて受け止めたいなって、受け容れたいなと、ゆづを包み込みたい…包み込むことができたらな…なんて思いました

烏滸がましいにもほどがあるけれど^^;そんなこと結構ですってお断りされるんだろうけれど^^;もしくは、そんな怒りなどありませんと笑われるのかもしれないけれど^^;

まあ、勝手な一ファンの戯言と思ってねw


でもそういうゆづの気持ちや思い、その心を、しっかり柔らかい心で受け止めたい、包み込みたいなって思ったんだよね

そうしてあげられたらいいなと自分で感じたというか…



ゆづの今をしっかり心に入れたいなと思っています



そんなことを思うプロローグを経た自分と、清塚さんのロンカプを聴いた自分です



清塚さんの歩んできた人生や言葉を胸に『序奏とロンド・カプリチオーソ』を見るとね、これはゆづにしか滑ることができないなと、あらためて強く思います


サン=サーンスの人生と清塚さんの人生、羽生結弦の人生が重なり合って色出される世界観…

曲の紡ぎの中で互いが共鳴するような景色も見えて…

他では出せない傑作…作品だなと思います



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