北京五輪エキシビ後のコメント
これは初見だね
オリンピック@gorin
羽生結弦選手が、北京2022エキシビションで披露した「春よ、来い」に込めた想いとは?桜の季節、そして多くの方が新生活を迎える今日🌸ぜひご覧ください👀#オリンピック https://t.co/EAJ1xve5gG
2022年04月01日 08:00
ほんっといろんなインタビューに答えているけれど、どれも違うよね
言葉が違ったり、言い方やニュアンスを変えていたり、すごいなぁと思います
私、北京五輪からずっと思っていることがあって
北京五輪の春よ来いのフィニッシュって、ゆづは手を耳に当てていたんだよね
これがすごく印象的だったの
見た時から脳裏に焼き付くような瞬間で…今でもずっと心の中に残っている
これって多分、北京五輪だけだったんじゃないかと思っていて…
(正確にはわからないよ^^;でも私の記憶と印象の中では北京だけだったんじゃないかなぁと思う)
春よ来いがお披露目された2018年FaOIでは、まだフィニッシュが今のようではなかったよね
両手を広げて、天を見つめるようなフィニッシュだった
それが、(たとえば)2018年ヘルシンキでは、両手は閉じられて自分抱きに…
2019年さいたまワールドも優しく自分抱き…

同じく2019年、24時間テレビも両手を上に掲げた後にそっと自分抱き…
それが、今回の北京五輪では右手を耳元に持っていったんだよね
これって演技中も同じような仕草が入っていて…
両手を耳元に持っていくの
何か意味があるのかなぁと思って…
ゆづの込めたい想いの表れなのかなぁと想像して…
もちろんゆづはその時の自分の気持ちや心の赴くままに表現しているから、同じ滑りは二度となく、深い意味も特にないのかもしれないけれど
昨日も春よ来いを見ていたんだけれど、やっぱり泣いちゃうんだよね(;_;)2019年の春よ来いが自分のおばあちゃんが亡くなる寸前に見つめたプログラムだったので、今でもその時の思いや過去のおばあちゃんとの思い出が想起されて涙が出てくる
ゆづの春よ来いを見ると、おばあちゃんの声が聞こえてくるようなの
思い出がよみがえる
そして、亡くなった時に自分が抱いた思い…愛してくれた日々を胸に、私はしっかり生きていく、おばあちゃんが安心して逝けるように、今ある自分の日々を大切にする
そういう思いに再びなるんだよね
ゆづのプログラムだけれど、私の人生もそこに詰まっているというか…ゆづがいつも言ってくれるように、その人その人の人生の背景を持ちながら見るとは、こういうことなんだろうなと実感しています
もう叶うことはないけれど…心の中にある願い…
北京五輪の春よ来いは、ゆづはどんな思いを込めて滑ってくれたのかな
美しかった…
そしてフィニッシュ…いつものように両手を天に掲げて…
右手をスーッと下ろし…
その右手はサッと耳元へ持っていかれた
まるで何かを聞いているかのように見えた
ゆづは何かを聞きとっているようで…
それを大事に握りしめたようにも見えました
何を…聞いていたんだろうなと思って…
何を…聞きたいんだろうなと思って…
ゆづはまるで自分に込めるように、その声を大事に握ったように見えて…
そして、渾身の想いが伝わってくるような「ありがとうございました」
言った後ちょっと苦しそうなんだけれど…
でも、スッと目の色が変わるの
フッと何かが解けたようにも見えた
これが羽生結弦のスケートか…と思うと同時に、やはり不思議な人だなぁと思いました
ふと思ったんだよね
清塚さんが弾いてくださっている『春よ、来い』は、美しい音の雫のようなメロディーラインで、編曲もされており、歌詞がないけれど…
北京五輪のフィニッシュを見ていると、歌詞がよみがえってきたんだよね
愛をくれし君の なつかしき声がする
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く
ゆづは…『愛をくれし君の声』を聞いていたのかな…と思いました
それは神様の声なのか、震災で亡くなられた方の声なのか、今も苦しむ方の声なのか、ゆづに届くたくさんの想いの声なのかわからないけれど…
ゆづはそれを大事そうに自分に込めたように見えました
たくさんの思いを詰め込みすぎたと言っていた北京五輪の春よ来い
被災地のことはもちろんだけれど、ゆづの個人的な想いも私は強く感じていました
その耳に届いた声が、ゆづを支えてくださいますようにと願っているし、それはゆづにとって大事なもの…必要な声なんじゃないかなぁと、勝手だけれど私は思っています^^*
素敵な春よ来いでした
滑ってくれて本当にありがとうございます
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