そんなこんなで、
 
今日は昨日の記事の続き…というか、今日こそ完全な個人の日記です

心の日記です(なにそれ)
 
全日本のことについて書いておきます
 
なので、読んでやってもいいよという方どうぞw
 
 
 
昨日の記事に書いたような、私個人の前提があるとして…
 
そんな中、やはり全日本が始まると、最新ゆづやら最新インタビューやら、滑走順抽選会やら、バタバタと一気に活気づいて時が流れていく
 
そこに沸いたり心を動かされたり、それもまた幸せな時間だと実感する
 
 
ゆづの姿が見られると、嬉しいもんね^^*
 
自分の中の何かが、色を帯びて動き出す
 
ゆづに心が集中する
 
 
でも、ふとSNSなどで『現地に行ってきます』『今日から現地です』『しっかりゆづに思いを届けてきます!』『ゆづを応援してきます!』なんて言葉を次々に目にすると…
 
ふっと湧き上がってくるんだよね
 
 
 
あ…いいなって
 
 
現地に行ける方、いいなって…
 
 
それぞれに理由があって、それぞれに環境があって、みんな違うのはわかっているけれど、どうしてもそういう気持ちが湧いてくる
 
特に今回はそういう『現地に行って応援してきます!』というのを目にすることがすごく多くて…いっぱいいっぱい溢れていたように思います
 
そうすると、そこに気持ちが引っ張られて…なんだか哀しくなってくるというか…自分の無意味さのようなものを実感して、寂しく思う
 
行ける人と私は、何が違うんだろうなと思って…
 
神様はどうして私に行けないという道を与えるのかなと思って…
 
仕方ないってわかってても、頭では理解していても、人間には感情があるのでなかなか心の持っていき方が難しいですね
 
 
 
それでも、最新のゆづの姿や、最新のインタビューに心を完全に持っていかれ…
 
ANAジャスを着て公式練習に臨むゆづのかっこよさに(どんな時も私はゆづをかっこいいと思ってしまいますヽ(;▽;)ノ)目を奪われ…
 
そして、かなり驚いて、目にした瞬間に震えが止まらなくなった『4A着氷』というTwitterに流れた速報
 
 
もう完全にゆづ一色でした
 
 
公式練習で4Aを両足着氷し、立っているゆづの映像が一斉にテレビでも流れ、私もゆづの動向に食い入るように見ていました
 
 
すると、何度も何度も流れるテレビやTwitterの映像に、ゆづを眺める観客が映っているのが目に入るんだよね
 
ふっと…“ああ~いいなぁ!”って思う自分がいて
 
現地に行かれた方々は、この貴重な4Aトライ&4A成功に向けての過程を見られているんだなと…
 
“みんないいな”って思ってしまいました
 
 
なんか、こんな時にもそんな気持ちになっている自分が嫌になってくるんだよね
 
自分に呆れるし、自己嫌悪みたいにもなってきて…
 
いつまで言ってんだよって、行けないんだからキッパリ諦めてスパッと気持ち捨てろよって思う
 
いつまでもウジウジしてんなって、試合始まってもお前そんなこと言ってんのかよって
 
試合に集中しろよって思う
 
ゆづの大事な試合なんだよって、そこに集中して応援しなくてどうすんの?って思う
 
 
 
まあ、そんなこんなで、気持ちの揺れ動きがあったのは事実です
 
ゆづを追いながらも、その時々で心の微動はありました
 
 
 
SPを首位で発進したゆづ

フリーへ向けて、4Aの調整が注目されました
 

そんな中、訪れた最後の公式練習
 
 
私は、あの時のゆづを見ていて…完全な私感ですけど、ゆづが苦しんでいるのが伝わってきました
 
なんか…今にも負のスパイラルに入りそうなゆづの状態が、感覚として入ってきたというか…伝わってきたんだよね
 
これはいけない…って思って…ゆづ、そっちに引っ張られちゃダメって思って
 
だから、フリー前の最後の記事にこう書いた

 

もちろんこの時は、ゆづの気持ちや状態など知る由もなく…

 

それが明かされたのは試合後のインタビューで、「朝の公式練習はかなり苦しかった」「あまりにも跳べなさすぎて。若干、失望してて。あの、本番いくまでにかなり精神がグジャグジャになってた」と言っていました

 

 

そんな本当の状態はわからないにしても、リアルタイムでフリーへ向かうゆづの姿をテレビで見ていて…会場入りからバックステージでウォーミングアップする姿をずーーーっと見続けていて…私も必死に祈るような感覚になってきて

 

苦しんでいる、自分と戦っているゆづに向けて一心に祈り続ける状態が続きました

 

 

その感覚がとても不思議なもので…

 

言葉にするのがめちゃくちゃ難しいんですけど…

(でもここの読者さまはなんとなく理解してくれると思っている)

 


なんて言うか、ゆづを現地で見たかったなという我欲がスッと消えたというか

自分の心にわずかにあったそういう思いが気配を消してゆく感覚…
 
“自分”がスッ…と鎮まって、自分が消えていくような感覚
 
 
自我がなくなっていく感覚…
 

もっと言うと、自分が透明に透明になってゆく実感かな…
 
 
とにかく不思議な感覚で、今まで体感したことのないようなものでした
 
 
その時に、自分がゆづを見られないなど、どうでもいいなって思ったの
 
自分が現地に応援に行けないなど、どうでもいいなって思った
 
そういう、今までふと心に湧いていたものが、一切なくなって…
 
ただただ、一心に、ゆづの4Aが降りられて、ゆづが滑りきれますようにと、『天と地と』を完成させられますようにと祈った
 
 
ゆづが思いの引力に負けませんようにと、『できない』の思いの魔力に負けませんようにと祈り続けた

自分の思いにさえ負けなければ、ゆづは大丈夫と思っていたから
 
 
こんなに一心に、純粋に…自我が一切なくなってゆづを思うなど…私はこれまでなかったかもしれない

平昌五輪など似たようなものはあったけれど、今回の全日本は感覚として次元が違いました
 
自分が透明になる感覚を、私は人生で初めて体験したように思います
 
私の体感としては、たくさんの事象から抽出された一滴のエッセンスのようなものだったの
 
ゆづへ向けて抽出された一滴の思い…
 
 
そういう思いを宿しながら、現地の皆さんが4Aを見られますようにと祈った
 
 
 
 
そして本番
 
天と地とを滑りきって
 
 
あの素晴らしい作品と世界観を呈されて…あまりのすごさに言葉もないほどでした


そして、演技後のゆづを見ていると、ある思いが湧き上がってきました

『もう私の夢は叶わなくていい』
『現地でゆづを見ることなどどうでもいい』『もし、私の願いが叶わなくて、ゆづの夢が叶うならば、ゆづの夢が達成され、その思いが成就するならば、私はそれでいい。それが本望』と
 
なんか、関係ないにしても、自分が現地に行く願いが叶わない方が、ゆづの夢が達成されると思ったんだよね
 
ならば、それが私の幸せ…と思いました
 
 
そういう思いを抱きながら、氷上のゆづを見つめ…
 
演技後の挨拶…
 
私は半ば放心状態だったけれど、目を離さずに見ていました
 
すると、

『あれ…?』って思って…


『え…!?』って思って…
 

えっ…

これが…

最後の全日本だったんだ…
 
最後だったんだ…
 

なぜだかわからないけれど、そう思いました


各方面に対する挨拶がとても長いような気がして…

そこにはゆづの思いが表れているように感じられて…

ゆづにとっての最後の全日本だったんだなと思いました
 
…実際そうかはわからないw

そんなこと私にはわからないし、来年も普通に出場している羽生結弦がいるかもしれないw


だけど、生中継を見ているあの時の私は、画面越しにそう思っていました

そうか…

最後か…って
 
これが最後だったのだなと…
 

日本での試合…見られなかったな…って思った

最後の日本での試合…見られなかったんだなぁと思いました

やっぱり私は見られなかったなと、夢が一つ終わった感覚でした

見られる人はいたのに…こんな演技を見られた人はいるのに、私は見られなかったなと思った

寂寥感と虚無感…それが心に広がる感覚になって、一気にいろんな思いが去来して、複雑な気持ちになってテレビを眺めていたシーンです
 
わかる?

我欲が出てきたんだよ

私はこの時に、『見られなかった』と思ってしまったの

あんなに無心にゆづのことを祈り続け、透明な思いを抱いたような感覚になっていたのに、私の中には我欲が湧き上がってきた

こんな時でもそんなことを思うのだなと、自分を自嘲したい気分でした


ゆづの『天と地と』が4A込みで形としては完成され、この上ない喜びと充足感を感じながら…

このシーンは、現地の方々に思いを馳せました
 
ゆづの目に映る景色は、何よりの力になったと思います
 
皆さん、よかったねって思いました
 
 

ほんの数秒のことですけど、ああ…最後だったんだなという思いを引きずりながら、ゆづを見ていました

あの『天と地と』直後で嬉しいのに、感動しているのに、心が震えているのに、

夢が終わった感覚…


これが現実なんだなと思った

私にはこの道なんだなと実感した


その流れで“結晶”に触れたから…
 
びっくりしすぎて…

ゆづの声が聞こえた気がして…

もう何もいらないって思いました

私はこれで十分って、これだけでいいって思いました
 
 


私が今回全日本で体感したことを振り返ると、一心に祈るってそんなに簡単じゃない
 
人間なので、感情は常にあるし、そこには我欲も入ってくるし、他の思いも出てくる

気持ちは揺れ動く

心は微動する
 
生きている人間だもん
 
 
○○のために…って、○○の夢が叶いますようにって、表面上思えはしても、なかなか深層部分まですべてがそうなることは至難の業

透明な思いを宿して祈ることがどれだけ難しいことか、奇跡のような一瞬なのか、身をもってすごく実感しました
 
 
だから、ある意味これは、神様からの私たちへの問いかけかもしれなくて
 

ゆづが『皆さんのために』と言ってくれる

これは高純度の思いだよね


その思いに応えるには、ゆづからいただいたものをお還しするには、私たちにも純度の高いものが必要なんだと思うの

私たちも純度の高い心でいないと、ゆづの思いは入ってこない

そして還せない

光の循環は生まれない

それがこの世の摂理だから


たとえば邪心があったり…不安や不満があったり…誰かや何かを妬み嫉む気持ちがあったり…どこかに憎悪を向けたり…そういうのって、ゆづは感知しそうだなと

だってあのゆづだよ?

あの感性と突出した感受性を持っている人…感じないわけがない


だから、その純度の高いゆづの思いに、私たちは応えられるか?と、神様から問いかけられているような感覚もある

ある意味すごく責任重大というか、私たちも試されていると思っています
 

ゆづにお還しができるように、ゆづにいいものが巡っていけるように、自分を見つめていたいと思います

全日本での体感が、私の導となり、私の応援の一つの境地となりました


という心の日記でした(* . .)’’

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