柔道 大野選手の以前のインタビュー
うんうん
これってもう有名な話よね
素人の私なんかは、それは(退化も含む)変化じゃんって思っちゃうけれど、大野選手は“進化”とも表現していて、そこに彼の心と視野の広さと、海外勢へのリスペクトも感じるなと思います(こういう細かいニュアンスの違いも、ちゃんと言い分けられるところに彼の賢さを感じる)
日本の柔道とは、しっかりと組み合った形、つまり互いの力が五分五分の状態のイーブンからスタートする
そこから様々な駆け引きを行い、投げ技に転じるという、まさに正々堂々とした戦い方のこと
一方、世界のJUDOとは、組み合うことを好まず、前段階で様々な駆け引きを行い、組み合った時にはすでに10対0の関係性を作り出しているというスタイル
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これね、今回の東京五輪でも見ていてめっちゃ思ったんだな
まあ、とにかく組まない、組ませない、手払いばかりするスタイルの人たちがいて…正直やきもきするところがあったよー
ルール内のことなんだろうけれど、『もう!ちゃんと組んで!(*`Д´)ノ !!!』『正々堂々と組んで、そこから勝負しなよ!(*`Д´)ノ !!!』『柔道やで!(*`Д´)ノ !!!』って思っちゃったww←boyにビクつかれるやつw
そういうもどかしい場面もありましたけど、大野選手の試合では、それを感じなかったんだなぁ
不思議とストレスを感じないというか…すごく気持ちよく試合を見させてもらえる
そして魅せられる
やはり、相手が組まない人だったとしても、ちゃんと組むんだよね、大野選手って
そこがすごいなぁと素人ながらに思うのですが
相手のペースに一切取り込まれなくて、相手が組まないスタイルだったとしても、一瞬の隙にバッと手を出して組んじゃうんだよね
逃さないっていうか
その様が、まるで光が走るような光景だなと思いながら見ていました
その隙を見つけるのが神がかっていて…彼の慧眼と人知を超えるような肉体の反応を感じながら見ていました
これってほんとにすごいことだと思うんだよね
“JUDO”の流れ中で、“柔道”を貫き通して勝ち切るということは
ともすれば、まったく別の競技にさえ感じるほどに変化しつつある競技を、その本質と真髄に引き戻すようなことを、正しい技術力でやってのけるんだもんね
それを目の当たりにする感動を個人戦を見ながらもらっていました
大野選手のその強さの土台も、すべては稽古ありきのもので…
練習量の凄まじさはもちろんですけど、その練習方法もすごく考え抜かれていると特集されていました
(例えば、10人の稽古相手を自分の前に立たせて、一人一人相手から先に組ませるんだそう。それを一気に10人やってくんだって言ってたよ。10人すべての個性が違うので、対応能力も俊敏性も鍛えられるし、劣勢への訓練にもなるよね)
稽古中に大野選手が考えていること…
「自分で自分を倒そうとしている感覚ですかね。日々、自分の中のいわゆる弱点、自分が嫌がるようなことを自分自身で探しているというような状態。相手がどれだけ自分を殺してくるか、嫌なことをしてくるかに対して、我慢し続けて勝っていく。これがいちばん重要だと思っている」
なるほどなぁと…唸るしかない
こんな稽古一番嫌じゃんねヽ(;▽;)ノ自分が嫌なことや弱点を攻められるようなことヽ(;▽;)ノそれを日々探していくなんて…
…これもある意味ひとりSM?(; ・`д・´)ゴクリンコ
心身ともにつらい稽古だなぁ…
だからこその五輪連覇なんだろうな
こういう姿勢も素晴らしいよね^^*道徳の教科書にも載っていると
負けた時に真価を問われるって…ほんとその通りだと思う
それも勝者から敗者へと立場が転じた時に、特にそうだろうと
負けてもリスペクトされるとは、きっと“勝ち”だけがその人の価値じゃない時だよね
例えば、負けた時の振る舞いとか態度とか礼儀とか…そういう短期的な姿もあるだろうし
そしてその負けの経験をどう受けとめて、そこから生かしていくかという長期的な姿も含まれているよね
何より、その人がそれまで積み重ねてきた日々…その過程や道程が真価となって表面化してくる瞬間かもしれません
だから、その人から“勝ち”が引かれても、その人の“存在価値”は失われない
むしろ、負けた時の真価によっては、光り輝く場合もあるだろうと思います
…なんか、書いていて思ったけれど、これは今回の東京五輪で私が実感していることがまさにそうだなと
競技なので勝敗は必ずあって、必ず勝者と敗者があるわけですけど、敗北した時にしか感じ得ないものが応援している身にもあるなと思っています
少なくとも私は、すごく大事なものを感じさせてもらえて、人として大きなものを与えてもらっていると思っています
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