昨日は報ステもあったけれど、まずはエブリーから
既出映像がほぼでしたけど、ゆづの歩みが伝わってきました
ここが初見だったな!
四国は常にご縁が皆無ですけど゚(゚´Д`゚)゚ゆづ事は何もないのですが゚(゚´Д`゚)゚でも遠く離れたところからひっそりと応援する気持ちは持ち続けています
ゆづのその気持ちがありがたいし、嬉しいよね
そしてここも初見だったな!
ソチ後の経験から、平昌五輪では意識して金メダルという結果を取りに行ったんだね
オリンピックで2つ金メダルを取るという小さい頃からの夢を叶えるためだけじゃなくて、そこには被災地のため、他者のため、金メダルが齎す光のためという思いがあった
決して我欲じゃないんだよね
とはいえ、
とはいえとはいえ、
結果を取りに行ったと言っても、直前に大ケガをしていたからね
あのケガの中での金メダルを取りに行くというプレッシャーたるや尋常じゃないと思います

後がないという恐怖もあるし、泣いても笑っても一発勝負の世界
そして何より、痛みが引かなかったんだよね
ケガが一切治らなかった
刻々と近づいてくる本番…不安と恐怖の中、彼は決断する
痛み止めを飲むということは、こういうこと
ある種腹を括った
ケガを悪化させる覚悟を決めて、結果を取りに行くと決断した
それがどういうことか…どういうことを意味するか彼は理解していた…
ここは何度も過去記事に書いてきてますけど、ターニングポイントだと思うんだよね
平昌五輪に向けて、一気に彼への風が吹き出したというか、運命の歯車が彼へと動き出した時だと思います
この先にスケートができなくなるかもしれない、自分の命とも言える大事なスケートができなくなるかもしれない
もっと言うと、日常生活すらどうなるかわからないと彼は現地で言っていたよね
その大事な大事なスケート…自分の未来…そして足
それと引き換えに、彼は結果を取りに行ったのだと私は思いました
自分を与えるように…その身を捧げるように…彼は自分の進む道を決断した
その心だよね
そこが、運命を引き寄せたのだと感じました
使命感と意志のもとに手にした2度目の金メダル
それはやっぱり特別なものだった

・ °(° ´Д`°)° ・
・ °(° ´Д`°)° ・
・ °(° ´Д`°)° ・
なんて素敵な言葉で還してくれるんだろうね・ °(° ´Д`°)° ・
自分の夢だけじゃなく、被災地のために、他者のために、被災された方のために、苦しんでおられる方や大変な思いをされている方の少しの支えにでもなればという思いで達成された金メダル
それを実際に叶えてのこの言葉なんだよね
こんなこと言える人…こんな表現になる人…いないと思います
これって実際にゆづが感じているから言語として出るんだよね
取って付けたものじゃなく、ゆづの真心から出た言葉だと思います
10年が「確かに経ったな」というゆづの言葉が重くて…どこか哀しさを感じさせるものでもあり…でも同時に力強くもあるんだよね
痛みや傷についての捉え方も彼らしくて…ああ、そうかって、そういう捉え方もあるのかって、そうだよねって、なぜか涙が出てきて深く納得するんです
私自身は震災を経験していませんけど、自分の過去の痛みや傷の経験がゆづの言葉に重なりました
このゆづの言葉自体がね、光に転換する源泉でもあるように感じたの
痛みも傷も、それがあるなら、なくなったものはない
痛みは、傷を教えてくれるもの
傷があるのは、あの日が在った証
あの日以前の全てが、在ったことの証
すべてを包容して、内包して、光を生み出していく捉え方の源だなと感じました
ゆづらしいというか、こうして彼自身も歩んできたのだろうと思います
彼の経験からの言葉なので、すべての言葉が生きているよね
そして最後にゆづが言わせてくださいと語った言葉
簡単には言えない言葉だとわかっています。
言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。
でも、やっぱり言わせてください。
僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。
頑張ってください
ゆづ自身の過去も感じる部分でした
『頑張ってください』に彼自身も様々な思いを抱きながら生きてきたのだろうなと
若干16歳で被災者代表と言われ、自身の傷も痛みも癒えぬまま、まだ心身が混乱し、状況に心が追いつかない、多感な時期に復興や震災の象徴として注目されたこと
それはあまりに荷が重すぎたと思います
だって、あまりに幼すぎるから
30歳や40歳の人でもそれを背負えと言われたら苦しいはずなのに
まだ心が成熟していない若干16歳の少年には、それは重く、大きく、苦しい経験だったと思います
その中で、頑張りたくないと思ったこともあったはず
頑張れと言われなくても頑張らないといけないことはわかっていると思ったこともあったはず
もうすべてが嫌だと思ったこともあったはずです
それでも、彼はその言葉を力に変え、支えられたと言い、その意味を消化し、演技で還し、昇華してきた
ゆづが文章にしたためた
頑張ってください
私はこの『頑張ってください』に『。』がないことがゆづだなぁと感じたの
句点がないことに意味を感じたというか
なんとなくゆづは、この『頑張ってください』を書く時に、自分がこれまで言われてきたワードとして、過去を思い起こしながら書いたんじゃないかなぁと想像するんですよね
自分が支えられてきたこと、奮起してきたこと、その言葉の持つ力を身をもって実感してきたこと
それらを思い起こしながら、言葉として書いたんじゃないかと思うんですよね
これ、『。』が付いていたら、なんとなく一方通行な印象を受けるというか、一方的な投げかけのように感じられるんじゃないかなぁと
そこで完結する印象があるというか
だから、ゆづが書いたように句点を付けずに『頑張ってください』という言語にすることで、『僕も頑張ります、共に頑張りませんか?』『こういう言葉があります、僕はこの言葉に支えられてきました』『この言葉をどう受けとってくださってもかまいません、自由に受けとってください』、そんなニュアンスを感じるんですよね
相手に委ねるというか…決して強制的でもなく、完結型でもなく、あくまで相手主体
読み手、受け手に委ねているんだよね
そこがすごくゆづらしいなというか、ゆづだなぁと…私がゆづを感じる部分ではありました
だから最後の『僕も、頑張ります』にも句点がないの
完結ではなく、まだ続きますと、この先もありますと、歩んで行きますと、そんなニュアンスが含まれた文章だなと私は感じました
文章は人を表すねと、ブログを読んでくれている友人が私に言ってくれた言葉ですけど、ゆづにもそれを感じました^^*
ゆづじゃないと書けないものだったと思います
私の心にも刻まれました
大事にしていきます
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