昨日の続き

 

とりとめもなくつらつらと~

 

 

 

 

「自分がやっていることがすごく無駄に思える時期がすごくあって。まあ、いろんなトレーニングとか、または練習の方法とか。もちろん、自分自身で振り付けを考えなきゃいけないというプレッシャーだったりとか。自分自身で自分をプロデュースしなくてはいけないプレッシャーとか。それがみなさんの期待に応えられるのか。そもそも4回転アクセルって跳べるのか、とか。でも、入ってくる、僕の中に入ってくる情報は、やっぱみんなすごい上手で、みんなうまくなってて、なんか1人だけ取り残されているっていうか。なんか1人だけ、ただただ、なんか暗闇の底に落ちていくような感覚があった時期があって。でも、なんかもう1人でやだって思ったんですよ。1人でやるの、もうやだって思って。疲れたなって思って。もうやめようって思ったんですけど。」

「なんか年寄りみたいな感覚が、自分の中であって、固定概念みたいなのがあって。どんどん技術的に落ちるんだろうな、みたいな。アクセル練習すれば、4回転アクセル練習すれば、どんどん他のジャンプも崩れていくし、ダメになっていくし、足も痛くなるし。」

 

 

ゆづは他の選手の情報を得ているんだなと思いました

 

当たり前かもしれないけれど(^^;)


『入ってくる情報』という言い方は、自動的に入ってくるニュアンスなのかなぁ?と感じたり…

自分が欲しくて得に行っているというよりも、どこかに登録して自然と入ってくるものを目にする(ツイ系かな?)、または友人や人づてに耳にする感じなのかなぁという印象を持ちました

 

 

大前提として、ゆづがこの期間1人でやってきたことは、他の選手や各界のアスリートたちにとっては驚異だったと思うんです

 

その過酷さと大変さが理解できるからこそ、誰もそんなことできないと思うだろうし、あの演技と結果は、一体どうやって…?!っていう信じられない感覚もあっただっただろうと思っています

 

 

 

しかしゆづでもこんな風に思うんだなぁと思って…

 

みんなすごい上手

みんなうまくなってる

 

なかなかゆづから聞いたことがないような言葉…

 

外野のファンからすると、そんなことないって、ゆづが一番上手なんだよって、ゆづだって上手くなってるじゃんって思うけれど…それはゆづからすると違うんだろうなと思います

 

負のスパイラルに入っているからこそ普段は思わないことを思うのかもしれないけれど、もしかしたらゆづにしかわからない感覚の変化ってあるのかなぁと想像するわけです

 

たとえばジャンプの感覚が2.3年前とは違うとか、以前はもっと軽く跳べていたのにそうじゃなくなってきてるとか、イメージと実際の乖離とか、感覚と技術のズレだとか、イメージしているものに以前はなっていたのに、今は同じようにやってもイメージ通りにできなくなってきているとか…

 

それがあるかどうかは別にして、本人にしかわからないものがあって当然だとは思います

 

菊地先生が言うように、ゆづは1ミリ単位のズレさえもわかる人

すごい感覚をしているって言っていたよね

 

その研ぎ澄まされた感性を自らに向けた時に、わかるものがあるのかもしれないと想像します

 

 

年寄りみたいな感覚…どんどん技術的に落ちるんだろうなという固定概念って、内村選手の言葉と重なるな

 

 

 

この感覚って、やはりずば抜けた実力と圧倒的な結果を長年残し続け、頂点に立ち続けた人にしかわからないものかなぁとも想像します

 

 

ゆづが抱いているフィギュアスケート界での年齢的な固定概念もあるだろうし、ゆづ自身がたとえば20歳の時に25.6歳の人を見ていたイメージもあるだろうなと思います

 

そこに自分が到来した時に、なかなか自分で固定してしまった概念を払拭するのは難しいだろうなと

 

 

年齢ってやはりどうしても抗えないじゃんね

 

加齢、歳を重ねるのは誰にでも訪れるもので、至極当然のこと

 

そこを受け入れてどうやって変化しながら道を見つけ出すかなんだろうけれど…外から言うは易し、当事者になると心の折り合いをつけるのは難しいんだろうなと思います

 

 

 

4Aについてはまた別記事で書こうと思っていますけど、4Aの練習をすれば足も痛くなる

 

前にも書いたけれど、これって根幹をやられると思うんですよね

 

ゆづが今フィギュアスケートをやれる唯一の理由であり、夢でもあり目標でもある4Aと“痛み”っていうのがセットになっているわけでしょ

 

これはしんどいと思う

 

元来対極にあって欲しいものが一揃いになっているんだもん

 

そして痛みが出るのが新しい箇所なのか古傷なのかわかりませんけど、痛みがケガに繋がることは彼の経験上わかっていることで

 

そうすると、過去の引力に今度は意識が引っ張られていく

 

ああなりたくない、こうなりたくないと想像するもんね

 

 

4Aを練習すればするほど他のジャンプも崩れてダメになっていく

 

絶対的な存在である3Aすら跳べなくなる

 

修正してくれる人もいない、客観的に見て指導やアドバイスしてくれる人もいない

 

自分でもどうしようもない…

 

 

更には振付けのプレッシャーもある

 

結果を求められる、期待されるプレッシャーは誰も経験したことがないほどのものなはず

 

 

同時にゆづはこの期間、卒論もやっていた

 

 

振り返ると、一体どうやって自分を維持していたんだろうと驚愕する感覚になります

 

 

そしてゆづが過ごした10ヵ月間は、言わずもがなコロナ禍であった

 

あれだけ全日本を通して『罪悪感がある』『申し訳ない気持ち』『葛藤がある』と何度も口にしていたゆづだから、日々過ごす中でそれを感じてないはずがないんです 

 

「震災を経験した僕にとっては、やっぱりスケートは自分が好きなことにしかなってない」

 

そう言葉にしていましたけど、きっと日常でも、コロナで苦しんでいる人がいるのに自分は好きなことをやってていいのかっていう思いを抱いていただろうなと思います

 

 

 

ゆづの気持ちに添っていきたくて、ゆづの10ヵ月間の苦しみを少しでも理解したいと思ってしまって(ただの自己満です)、こうして負のスパイラルに入る要因にフォーカスして記事を書いてますけど、じゃあだからってほんとに全部ダメかって、ほんとに負の要因しかないのかっていうとそうじゃなくて

 

いつも思うんだけど、感謝することが大事なんだよね、やっぱり生きていく上で

 

人は感謝の気持ちを持てなくなった時は、自分を見失っている時だと私は思っているので

 

どんな状況でも感謝を見つけることが自分を取り戻す一歩であり、大事だと思っています

 

そして、たとえば自分の子が同じような状況になった時に、あれもできないこれもできない、あれもないこれもない、苦しい、しんどい、つらい…だけに自身をフォーカスして欲しくないという気持ちがあるので、やっぱり共に感謝を見つけたいと思うんですよね

 

練習するリンクもある、整備してくれる方々もいる、自分には支えてくださるたくさんの人がいる、応援してくれるファンもいる、バックアップしてくれる存在もある、今自分は生きている、命があって好きなことをできている

 

感謝だねって、こんなにありがたいことはないねって、我が子だったら言うと思います

 

 

まあ、私のそういうのはいいとしてw

 

 

それでもどうしようもなく負のスパイラルに入る時は入るんだよね

 

 

 

しかしゆづは、しっかり日常でも感謝を感じ見つけていたと思うの

 

そういう人だって、もう何年間も応援してきた中で実感している

 

 

現に、1人だったといってもしっかり感謝の気持ちをを述べている

「なにより、こうやって自分のことを信じてくれたコーチたち、そして遠くからでも支えてくれていたいろんな方々に、感謝を申し上げたいです。本当にありがとうございました」

「1人でやってきたとはいえ、ここまで支えてくださった方々がたくさんいらっしゃるので、その方々に感謝を申し上げたいです」

「1人でやっているとはいえ、どこかしらで、なにかしらでつながっているんだなということをあらためて、1人で練習していたからこそ感じたので。今回も遠くからいろんな力を、もちろん文章とか言葉とかでアドバイスをいただいたりとか、また、逆にそういった具体的なものだけじゃなくて、すごく遠くから力を送ってくださった方々もたくさんいらっしゃると思うので、まずはそこに感謝したいなって気持ちでいっぱいです」

 

 

 

ここまでつらつらと、ゆづが負のスパイラルに入る要因や、ゆづの10ヵ月間の苦しみにフォーカスして記事を書きましたけど


その苦しみが、夢や目標を実現するためには『必要』だったんだと捉えられる人なので

 

 

きっと今回の全日本も同じように考えているんじゃないかなぁと思います(希望を込めて)

 

 

これが同じような意味合いの言葉かなって思います^^*

 

 

 

よかったって(T-T)思うけど…(T-T)



全日本までの道程と経験のすべてが、今のゆづの力になってくれますようにと祈っています

 

 


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