私の中では昨日の記事の続き^^*
(ほんとは一つにまとめたかったんだけど)
これって結構難しいこと言ってると思うんだけど:( ;´꒳`;)
最初なるほど!って思うけど… …え、どゆ意味!?Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)ってなる:( ;´꒳`;)
時系列が入ってこなくて(←)何度も何度も見返してようやく理解できるかな…?って感じ:( ;´꒳`;)
『コーチがいない期間ずっとやってた』ってことは、ここが恐らく意図なんだよね
コーチがいないからこそ自分のためにやっていたということ
練習の時に、感情を抑えて客観視して自分が一番いい時のリズムに合わせていくと、いい演技ができていたということだよね
逆も言えるかもしれないね
いい演技ができたのは、感情を抑えて自分を客観視できている時だった
だからそのリズムに合わせていくように練習を積んできた
ということは、落ち着いた音楽や感情が抑制されるような曲を聞いていたということかな?
(なんとなくウォームアップの様子を見てもそんな風に感じられた)
そして、日々の練習の中で見つけた一つが、『曲の主人公になりきる』ということだった
私、このインタビューを聞いて思ったのが、ゆづは曲の主人公になりきることで、他者視点を作ってたのかな?ってこと
曲の主人公になりきると、その人の視点から自分(羽生結弦)を見られるんじゃないかと思って…
それを見つけたのかなぁと思ったの
昨日の記事に書いたように、自分の内面を見つめて追究すること、外的要因ではなく心の動きに焦点を当てて、自分で自分を分析して理解すること
内へ内へと深く掘り下げていくこと
それももちろん大切で重要な自己コントロール力に繋がるとは思うんですけど
とはいえ
とはいえとはいえ!
やっぱり他者視点ってなくてはならないものだと思うんです
ゆづも言ってた
「やっぱり自分だけでは客観視しきれていない部分っていうのは絶対あると思うので。まあ、うーん。こうやって喋っている時だったりとか。それが新聞だとかニュースとかいろんな記事になったり、テレビという媒体から自分の言葉を見たりとかしますけど。その時もやっぱり、あの時もっとこう言っておけば良かったな、ああ言っておけば良かったなって思うように、それと同じようにスケートだってやっぱり自分1人でどうやったって客観視できないところがあるので。そういうところも新しい視点、自分以外からの視点っていう意味ではやっぱりコーチって凄い大事だなって思った」
しかし、なかなか現実的には難しい時期があり…
そこで見つけだしたのが、曲の主人公になりきるということなのかなぁと思ったの
言葉が合っているかわからないけれど、ゆづは憑依型だろうなとは昔から思っていて…
天と地のレクイエムを滑る時も『何かが降りてくる感覚』と言っていたよね
まあ、本人も言っているしね
のぶくん^^*(またこういうやり取り見てぇ~なぁ~( ;∀;))
「憑依する」ってゆづも言ってたもんね
憑依するように入り込んで、そこからToshlさんの分も出し尽くす…
個人的には、ゆづの“憑依する”や“入り込む”といったものは、次元が違うと思うんだよね
(私は時にシャーマン的な要素も感じるんだな)
そのゆづが、こんな風に音楽自体や曲の主人公に入り込むと、その人の視点になっていろんなものを感じたり見えたりするんじゃないかって思うんだよね(あくまで私の想像よw)
羽生結弦とは別の視点で物事を感じたり景色が見えたり、感覚や感性が生まれたりすることあるんじゃないかって…
そういう中で、入り込んでいる人物から自分(羽生結弦)のことを見るということもあるのかな?と
または単に自分から離脱して自分を見る感覚
まさしく俯瞰、客観視だよね
(あくまで私の想像よ~w)
もしかしたら入り込んでいた人物から自分(羽生結弦)に戻った時に、より自分を感じられるのかもしれない
感覚が研ぎ澄まされるというか…
何にせよ、コーチたちがいないからこそ、自分で他者視点を作ったんじゃないかと、私はゆづの言葉を聞いて思いました
こんなことも言っていた
「これは自分が経験値が豊富にあるからこそ、他の選手たちよりも経験値が豊富にあるからこそ、客観視がしやすいっていう風に思っているんですね。自分自身がどういう風に崩れているのか、どういう状態の時に良い演技ができているのか、悪い演技になっているのか。それをいろいろ考えなおして、コーチがいないながらもその経験を生かし切れた」
経験してきた数も内容も他者より多いので、自分を振り返ったり思い出したりしやすいということよね
平昌のことやケガしたこと、自分が長年経験してきたことを消化できたとゆづは言ってたよね
本当にうまく消化して、全日本に向けてのトレーニングに繋げてきたのだなと思います
ずーーーーっと俯瞰的に見てたのかな…
フリーのフィニッシュでは「自分が違うところから見ていた感覚だった」と言っていた
ゆづはどこから見ていたのかなぁ…?
どこからどんな風に見えて、誰に「ありがとうございました」って言ったのか、ちょっと聞いてみたい^^*
まあ、言ったのはきっと神様だね^^*
涙の理由
ゆづは自分の内を見つめることと、曲の主人公になりきって自分を客観視することをやっていた
言ってみれば内側と外側から自分にアプローチしていったということよね
驚くべきは、それを1人で2役やっていたということ
こんなことできる人…いないだろうなと思います
そして「見つけたことの一つ」と言っているので、まだゆづの中では自己をコントロールする術を得ているのかもしれないなと思っています
全日本までは苦しかったと思いますけど、辿ってきた道程があの場でひとつ開花したということは、彼の今後の力になると信じています
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