昨日の記事にTちゃんからコメもらって、やっぱ私たちが抱きしめ合ったの、あのアンパンマンの前だったーヽ(;▽;)ノ
 
視界にぼんやりアンパンマンが入ってたの…今頃になって実感し出しているんだなぁ
 
 
なんかちょっと不思議な感じ…
 
1年以上前のことを、新たな記憶とともに刻んでいく…という実感を得ています
 
 
“アンパンマンの日”をツイで目にすることがなければ、きっと永遠に思い出さなかっただろうなぁ
 
 
 
こうして今、時々過去の記事を振り返っていますが、こういう期間じゃないと絶対にできなかったし、しなかっただろうなぁと思っています
 
自分の過去記事を読み返すなんて、なかったもんね
 
ブログを始めて5年半、毎日全速力で書き続けてきたからね
 
ある種“追われる”って感覚も無きにしも非ずなんです
 
毎日毎日(好きで書いているとはいえw)自分の思いを記事として表現しなければならない
 
記事の性質上、1記事にすごく時間がかかるし(キャプとGIF作成も含め)、1日1記事が限界なので頻繁にアップすることはしませんが、2351記事、一生懸命書かなかった日は1日もないし、心を込めて丁寧に綴らなかった日も1日もありません
 
どんな記事もです(萌えてるやつもねw)
 
 
だから、今こうして過去の自分の記事にあらためて触れて、ちょっと新鮮というか…時間をもらっているなぁという感覚もあります
 
 
記事を読み返すと、感覚が蘇ってくるんですよね
 
当時の気持ちだとか、思いだとか、言葉にすることの難しさと向き合い続けた時間…自問自答の中で、それでも精一杯の1記事として表に出すこと
 
あー…そうだったなぁって蘇ってくる
 
 
なんかそれが、力になるというか…今の自分にとってありがたいことだなぁと感じています
 
 
 
 
ということで、今日は前出のTちゃん含め仙台で出会えた人たちについて書いた過去記事を^^*
 
去年のFaOI仙台から1カ月後に書きました
 
 
 
お付き合いいただける方どうぞ!
 
↓↓↓
 
 
 
 
 
 
今回、FaOIで私は初めて仙台に行くことができましたけど…
 
まず仙台でFaOIがあるってなった時に何を思ったかというと、ゆづの故郷に行けるかもしれないってことと、東北の人たちに会えるかもしれないってことでした
 
 
というのも、私は東北の読者さんたちに会ったことがなくて…
 
ブログを始めて5年目ですが、まず私が現地に行けることが少なかったですし、彼女たちと交わる機会は皆無でした
 
 
なので…ゆづに会えるということと、故郷に行けるということ、東北の方たちに会いたいという気持ちが仙台行きを決める大きなきっかけとなりました
 
 
 
ブログの段階的にも、これを逃したらもう彼女たちには会えないかもしれないって思ってたしね
 
 
 
 
Nちゃんとは、楽日の現地で会えました
 
青森の人で、このお店がなくなっちゃったことも私はNちゃんから当時聞きました
 
 
私がアメブロに登録するきっかけとなった好きなブロガーさんのコメント欄で知り合って、それからひっそりと始めた私のブログを見つけてここに来てくれたw
 
5年目にしてようやく会えた時は、私から思わずハグをしてしまいました(私は通常、飛びつかれハグをされることが多いんですww)
 
 
やっと会えたって気持ちと…これまでありがとうって気持ちが込み上げてきて…ハグをしながら「Nちゃん、元気でね」って私漏らしたみたいで…
 
「そんなこと言わないで…最後みたいじゃん…」って涙ぐみながら返されてハッとしました
 
 
そうだねって
 
これが最後じゃなくて、またどこかで会えるといいねって
 
会おうねって言って…バイバイしたかな
 
 
 
5年目にしてようやく会えたというのは、想像以上に大きなものでした
 
 
 
 

それから、もう一人会いたかったTちゃん
 
Tちゃんは石巻の人で、震災を経験している
 
 
私が震災や被災地について思いを記事に書くたびに、「ちぇりんちゃん、ありがとう…」「もう胸がいっぱいで…言葉がないよ」って連絡をくれる
 
 
その短い言葉に、私は彼女の大きすぎる過去を思い知っていましたし、私には到底わかり得ない、もしかすると一生理解できないかもしれない苦しみの経験を想像していました
 
 
ブログを始めて1年目だったかな
 
Tちゃんが、「ちぇりんちゃん。私はね、ちぇりんちゃんに会ったらたくさん話したいことがあるんだ。震災のことも、他の言葉では説明がつかないような経験も、ちぇりんちゃんと話したい」って言ってくれたの
 
私はそれがずっとずっと頭のどこかにあって…何年間も頭の中にあって…いつか会えたら…って、いつか東北に…って思っていました
 
 
だから今回の機会はそれが訪れるかもしれないという、いよいよの体感もありました
 
会いたいってTちゃんから連絡が来た時は嬉しかったです
 
 
 
夜だったんだけどね
 
仙台駅で待ち合わせをして…LINEで連絡を取りながらキョロキョロして…
 
したらばね、ふと目に入った女性がいて…
 
 
私は直感的に『Tちゃんだ!』って思ったの
 
ものすごい確信と…パタパタと近寄って行って彼女を一目見た時に、不思議なんだけど『久しぶり。また会えたね』って思ったの
 
『わー…わー…また会えた』って
 
なぜそんなことを自分が思ったかはわからないし、今でも不思議に思っている
 
でも、初めて会った感覚じゃなくて…再会した感覚だったの
 
姿形わからないのに、“あ、Tちゃんだ”ってわかったし、懐かしいような…なんとも言えない再会のような瞬間を感じていました
 
 
そのあと数日間考えてたのw
 
私なんでわかったんだろう?って、あれ?どこかでほんとに会ったことあったっけな?って
 
写真とか見たことあったのかな?って
 
 
でもそんなことあるわけがなくww←当たり前体操
 
今でも不思議です
 
 
 
やっと会えたTちゃんを目の前にして、私は涙が込み上げてきて、思わずやっぱり大きくハグしてしまいました
 
ぎゅうううううううううううううって、思いっきり抱きしめてしまいました
 
抱きしめながら泣けてきて…そんな私を不思議そうに目の前を通る人たちがチラッチラ見ながら歩いていたのが、記憶にハッキリ残っていますw
 
人目もはばからず…ってのは、ああいうこと言うんだと思う
 
 
どのくらい抱きしめていたかはわからないけれど、一旦(←)離れて、あらためてTちゃんを目にすると…
 
Tちゃん小柄でね、164センチの私からするとすごく可愛らしく見えて…
 
「ちぇりんちゃん、娘と同じくらいの年齢だわ」って言われたけれど、そう言うTちゃん…
 
笑顔で私を見つめるTちゃん…
 
会いたいって、4年前に言ってくれたTちゃん…
 
胸がいっぱいになっているのは手に取るようにわかりました
 
 
 
なんかその満面の笑みを目の前にすると、小柄なTちゃんのその体には、どれほどの悲しみがあるのだろうと思って…もうその小さな体にパンパンにたくさんのものが詰まっているとめちゃくちゃに感じてしまって…その悲しみの先の、今のこの目の前の笑顔なんだなと思って…涙が溢れ出てきました
 
 
愛しい…って思ったんだな
 
 
娘さんと同じくらいの年齢だと言われているのに、そんな思いを抱くのは失礼なのかもしれないけれど、どうしようもなかったです
 
 
 
たまらなく愛しかったです
 
 
 
 
 
Tちゃんは、石巻の人
 
この日和山の神社では小さい頃遊んでいたと、数年前に一度だけ話してくれたことがある
 
 
 
私には

生まれ育った場所を押し流された経験はない
 
Tちゃんの気持ちは、一生わからないのかもしれない
 
彼女が抱えている悲しみと苦しみ、その先の可愛らしい笑顔の意味を、私はわかってあげられないのかもしれない
 
 
 
けれども、こうして会いたいと言ってくれ、後日、『ちぇりんちゃんに会えて嬉しかった。可愛かった~♡(←ありがとうw)夢が叶った。出逢ってくれてありがとう。一生の思い出になった』と言ってくれたことは、私も一生忘れません
 
 
 
日和山の神社で、私とboyと母に御守りを買ってきてくれたTちゃん
 
これを手渡しされた時は、また涙がこぼれ落ちました
 
あの場所で…買ってきてくれたんだね…って
 
 
 
 
 
仙台駅は、私にとって涙の場所となりました
 
 
 
1ヵ月以上前の夜のことだけれど、鮮明に今でも覚えています

 
 
それから、仙台に着いた日に、その足でまず聖堂に行ったということは以前書きましたが…(場所は書かないでおくね。でも仙台市内だよ。私も母に連れて行ってもらったのでよくわからないw)
 
その聖堂(御堂かな?)にね、入った瞬間、空気が変わったのを感じました
 
 
足を踏み入れてお祈りをしていると、なんか…不思議なんですけど、『わあ、子宮の中にいるみたい…』って思ったんだなぁ…
 
え?なんで?って自分でも思ったけれど、言いようのない安心感と温かさと包容感に包まれたんです
 
もちろん私は胎内記憶はありません
 
でも懐かしいような…守られているような…大いなるものの中にいるような…そんな感じになりました
 
 
よく神社の本堂なんかは真空状態にいるみたいな体感にはなるのですが、あんな風に感じたのはあそこが初めてでした
 
 
いつかゆづにも訪れて欲しい場所です
 
 
お祈りを終えて…(ささやかですけど、被災地と被災された方、犠牲になられた方へお祈りをさせていただきました。そして、縁あってこの地を巡ることになりました。よろしくお願いしますとお伝えしました。)
するとその聖堂の方が声をかけてきてくださいました
 
「どこから来られたんですか?」と
 
四国の香川ですと答えると、めちゃくちゃにびっくりされてw
 
多分そんな遠いところから来られる方はいなかったのかなぁ?w
 
 
「御参りだけですか?ほかには何か…」って言われて、アイスショーで来ましたと伝えると、「あ!羽生くん(*^^*)」とパァーっと花が咲いたみたいな笑顔になられたんです
 
 
なんかね、その花が咲いたような明るくなる笑顔を見て、『ああ、ゆづがしてきたことってこういうことなんだな』って『ゆづはこの地にとってこういう存在なんだな』って、わかったというか…すっと心に入ってきたんです
 
言葉なくとも語るというかね…その様がすべてを伝えてくれたように感じました
 
 
 
「羽生くんのアイスショーなら人はすごいでしょう」って、「パレードもすごかったですから」って、キラキラした目でお話してくださいました
 
 
私たちが帰る時には(その時はすごく雨が降っていたのですが)、私たちが濡れないようにわざわざ傘をさしてくださって、外でタクシーを拾ってくださいました
 
 
 
それから、今回の旅のプランを提案してくれた仙台住みの読者さまmorikoさん
 
バスの時間やゆづ縁の地をまわる順番をいろいろ考えて、手書きで地図を書いてくれました
 
 
最終日にね、私たちが四国に帰る時に、morikoさん駅に来てくれたの
 
地元で流れたゆづの映像をBluRayに落としたから、ちぇりんちゃんに渡したいって言ってくれて、初めてお会いしました
 
 
その時に、「記事よかったよ~」って言ってくれて…
 
 
えっ…て思ったんですね
 
 
私は前夜、仙台楽公演を見た後に七北田公園へ行ったことを記事に書いていました
 
 
そのことをよかったと言ってくれて…そして「ちぇりんちゃんが星を見られて本当によかった」と言ってくれて…
 
 
それを聞いたらね、もうぶわぁーっと涙が止まらなくなっちゃって…
 
 
 
 
私は、毎日こんな風にブログを上げていますが、本当は毎日ものすごくこわいんです
 
不特定多数の人が目にする、何をどう思われるかもわからないネットの大海原の世界へ自分の思いを放つんですから
 
どんな反応があるかもわからないし、どこで何を言われるかもわからない
 
こわいんです
 
すごくすごくこわいんです
(そうは見えないだろうけどねw)
 
 
 
で、震災のことになるとその思いは更に強くなるというか…
 
私が書くことで誰かを傷つけるんじゃないかって、震災も経験していない私が言葉を述べることなど…それを目にした方はどんな風に思うだろうかって…めちゃくちゃこわいんです
 
傷つけるんじゃないかって、傷を抉るんじゃないかって、いつもいつも思っています
 
 
 
だから、仙台に住んでいるmorikoさんにそんな風に言ってもらえて…ホッとしたのと赦されたような気持ちになったのと…心が軽くなったような気がして、同時に涙が止まらなくなっちゃったんです
 
よかったって、ありがとうございますって、ぶわぁーっと涙が溢れ出てきました
 
 
 
私が仙台に行く際には、たくさんの東北や宮城に住んでいる方々が、お土産やおすすめ品、それをどこで買えるかなど教えてくださいました
 
 
皆さん、本当にありがとうございました
 
 
 
「仙台巡り」とは、もちろん場所を巡ることもあると思いますが、私にとっては人との巡り合わせでもありました
 
 
仙台、素晴らしい地です
 
大事な思い出の場所です
 
 
何より人が温かかったです
 
 
 
また行きたいなぁ
 
 

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ここまで当時の記事
 

読んでくださってありがとう✲*゚


懐かしいような、でも昨日のことのように思い出す^^*



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