去年の6月っていうと、中旬頃にゆづのGPシリーズのエントリーが発表されたんだよね

今年はどうなるのかわかりませんけども…

試合自体があるかどうかも(まだ)わからないし、 開催されたとしても形態が変わってくるかもしれないよね
 
 
どうなるかなー

ゆづに会えるのだろうか…っていう勝手な思いが出てくる



去年は、スケカナとNHK杯!ってことで喜んで泣いたんだよねw

日本での試合だーって
貴重な貴重なゆづの日本での試合だーって
 
 
 

今年は開催されるかは別として、NHK杯は大阪

個人的に、『大阪だぁ…』って思ったんだ

 
思い入れが特別というか…自分に刻まれているものが大きくて…

その理由に近いことを書いてくださっているのが、2年半前のマガジンでした
 
2017年 大阪でのNHK杯のことを書かれた毛受さんの文章

あ、これ普通の転び方じゃないぞ。
あとづけではなく、その瞬間にそう感じた。
 

────────
 

羽生選手の欠場が報じられて、僕はすぐに体育館の外に出た。友人の話を通じて、この大会のチケットを手に入れることがどれほど大変なのかは知っていた。ファンの人は、どんな気持ちで体育館に来るんやろ。中には、遠くからわざわざ来た人もいてはんのやろなぁ…。大阪に住む人間の一人として、ものすごく申し訳ない気持ちになった。
そして、羽生選手に対しても申し訳なく思った。昨年12月の門真の全日本選手権も、羽生選手はインフルエンザで棄権している。そこへもってきて今回のケガだ。大阪を嫌いにならないでほしいと思う一方で、羽生選手のことだから、自分以外の何かのせいにすることはないんだろうな、とも思った。
 
 
────────
 
 
毛受さんは大阪住まいで、しかも大会が開催された中央体育館と実家は隣区だということで、まさに“ホーム”と書かれていました
 

私は当時この文章を読んだ時に、

『ものすごく申し訳ない気持ちになった』
『羽生選手に対しても申し訳なく思った』
『大阪を嫌いにならないでほしい』

このフレーズが刺さって刺さって…すごく印象に残りました

というか、共感したんだよね

わかる!って…

 
 

少し過去のことを振り返ると、このNHK杯以降 ゆづは公から姿を消し、平昌五輪までほぼ詳しい動向は明らかにならなかった

そして、いよいよ訪れた平昌五輪…

ブライアンはあの公式練習のことをこう振り返った
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これはゆづ自身も話していたね
 
 

私たちも…ってか、私個人は足はどんな状態なんだろうとすごく気になっていました
 
だってそれまでに出てくる情報がすごく限られていたし、だからこそいい方とそうでない方の想像も膨らむわけで…
 
 
後から出てきた言葉だけれど、修造さんも無理だと思ってたと言ってたよね
 
そして記者会見ではストレートにそれを投げかけた


修「羽生さん、戻ってきてくれてありがとうございます」

 

ゆ「ありがとうございます」

 

修「正直、僕も同じ怪我をしたので、申し訳ないですけど僕は無理だと思ってたんです。でも、自分と向き合った時、無理じゃないかって絶対疑った時期ってあったと思います。そこどうやって乗り越えました?」

 


そしてそれは試合後にも…

「怪我がすごかったじゃない。僕もう絶対無理だと思った。足首、僕もやってる。僕のまわり(“お医者さん”って言ってるのかな?聞き取りづらくてわからない。ごめんなさい)絶対無理だって言ってたから」
 
 
修造さん自身も同じところをケガしているからこそわかること

それは内村選手も同じだった


 
あのゆづのケガの重大性を知っているからこそ、大変な事態として多くの人が受け止めていた
 
 
そんな中で、いろんな感情を抱きながらもブライアンの言葉に勇気づけられ…
 
 

 

 
ハビの言葉にも元気をもらったなぁ

ゆづと同時に現地入りしたハビは、(取材陣に取り囲まれるゆづを見ながら)自分の取材に対してこう答えた。サラッと自然に答えるところがうまいなと思うし、やはり人柄だよ(ノД`)・゜・。

 
 
そして何より、ゆづ自身の言葉
 
 
この真っ直ぐで力強い芯のある言葉…

 
だから信じていた

信じようと思っていた
信じ切ろうと
 
 
でも、もしかしたらゆづの練習の様子を見て、本調子ではないと気づいていたファンの人もいたかもしれないね
 
 
 
そして、現地での初練習を見たマガジン山口さんの言葉は、私にとって衝撃でした

『氷に下りても羽生はなかなかジャンプを跳ばず、右足の状態は相当悪いのだと思わせた。』
 
 
相当悪いって、わかっていたんだよね

あの最初の段階で気づいていた
察していた

でも、これをその時に発信しなかったこと、すべてが終わって、平昌五輪が終わってから発信したこと、ここに山口さんの思いと人間性を感じるなと過去の記事にも書きました
 
 

こういう流れあっての『NHK杯』

あの平昌五輪へ向かうきっかけとなった『NHK杯』
 

山口さんは、今回の最新のマガジン内で、去年のNHK杯のことをこう綴られています
『2シーズン前の大阪大会で負ったケガ(右足首)の悪夢を払拭した』
『2年前の大阪大会は、開幕前日に右足首に大ケガを負う試練を味わっていただけに、その悪いイメージを拭い去るという意味においても意義ある試合になった』
 
その通りで、ファンも祈っていたし、無事に病気もケガもなく終えられたことは、本当にホッとしたよね
 
それは、『NHK杯』という括りにおいてはそうなんだろうと思う
 
 
けれども私は、ずっと毛受さんの「大阪を嫌いにならないでほしい」って言葉が心に引っかかっていて…
 
それは2年半経った今でもふと思い出すことがあります
 
 
だって、私自身もそうだから
 
そういう思いを抱いています
 
 
 
ブログを読んでくださっている方はご存知と思いますが、私は2016年の大阪開催の全日本と、2017年の大阪開催のNHK杯で、ゆづを見られなかったという経験があります(インフルエンザとケガでね)
 
どちらも、ゆづの初めての試合観戦予定でした
 
 
それが叶わなくて…
なんか重なると、ジンクス?的に自分に何か原因があるんじゃないかと思ってしまうんですよね
 
もうまったく毛受さんと同じ心境で、申し訳ない気持ちも出てきたりして…
 
自分が行くからこんなことになったんじゃないかとか、関係ないってわかってても、何か自分に因があるんじゃないかと思ってしまうんですよね
 
 
同時に、私は大阪の人間ではないですけども、西日本に住む人間として(でっかい括りだなw)、『嫌いにならないで…』っていう思いも抱いていました
 
ゆづが大阪を嫌いになったらどうしようって
 
ゆづが大阪に苦手意識を持ったらどうしようって
 
 
せっかく出てくれる貴重な関西での試合だったのにって
 
罪悪感や申し訳なさを感じたりして…
 
 
 
また、今はSNS上での言葉が溢れている時代
 
私は見ない方ですが、それでもあの当時(今ももしかしたらあるのかも)、『ゆづは大阪と相性が悪い』『大阪は彼にとって鬼門』『もういいよ、大阪なんて行かなくていいよ』『悪いイメージしかない』『大阪は出なくていい、何かあるから』等々、随分たくさんの言葉を目にしました

そして、傷つきました

自分にとって大切な地と思いと思い出を、ゆづという好きな人もろとも全否定されているような感覚でした
 
発した本人は、ゆづのことを思って、ゆづのために言っているだけなのかもしれませんけど
 
それでも、あの当時の私にはグサグサと刺さって、追い討ちをかけられるような感覚になり、悲しくて、虚しくなって、心が白黒の空っぽになっていくような…
必死に前を向き、ゆづのいないリンクを見つめたあの時間が汚されていくような…そんな感じがしていました
 
 
 
 
嫌いになったかな?ゆづ…
 
大阪に苦手意識を抱いてしまったかな…?
しょうがないかな…

もう来てくれないかな…
もう行きたくないって、避けたいって思ってるのかな…
 
ごめんなさい
申し訳ない
 
 
そう思うんだよね
 
 
 
その思いは、実は今でも抱いています
 
 
心の奥で、ゆづは大阪のことは嫌いかな?苦手かな?もし、この先開催される試合があったとしても、やはり選ばないかな…想像してしまいます


 
最新号のマガジンを読んで、毛受さんの文章に触れて、山口さんの文章を読んで、あの2年半前のマガジンのことを思い出していました

きっとね、毛受さんも今もそういう思いは抱き続けているんじゃないかと思います

どうしようもないことだって頭では理解できていても、心のどこかで引っかかっている部分…あるんじゃないかって

ゆづに申し訳ないなって、嫌いにならないでいてくれればいいなって…


と、勝手に想像してみるのでした



まあ、ゆづ自身は全然気にしてないのかもしれませんけど!(そうだといいなぁ(。>ㅅ<。))

ずーーーーーーっとあの当時から抱き続けている自分の思い、今日は書きました


 
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