確かに精神状態が不安定であったこと、途中からは特にそうでしたね。
 
間違いなく そういう自分が存在した。
 
 
こういう状態…気持ちが不安定な時っていうのは、普段続けていることを放棄したくなるんですよね。
 
言ってみたら、試合前にするストレッチだったり、いろんな準備がありますよね。
 
それを、やりたくない瞬間が現れるんですよね。
 
 
でもそれ(放棄)をすると、僕を支えてきた僕が崩壊してしまう。
 
 
そこだけは続けた。
 
 
それを放棄すると、今までやってきた自分さえ僕自身が否定しなくてはいけなくなるので、それはやってはいけないし。
 
それをやってしまうと、僕のことを真面目に見続けてきてくれた人たちの思いを完全に踏みにじることになる。
 
 
それは見えてないですよ。見えていないけど、僕のなかでそうなるので、それは頑張りましたね。
 
 
これは、『努力』なんじゃないかなって思いますね。
 
 
 
 
イチローの言葉でしたー!
 
 
イチローが語る『努力』について
 
すごく深くて、考えれば考えるほど哲学的にも感じられて、やはり心が惹かれる
 
野球のことなんだけど、自分(の人生)に当てはめて考えても通る道理を持っているからすごいよなぁと思う
(もちろん脳内では大好きな彼のことを重ねていましたけどw)
 
 
 
イチローは、今まで努力し頑張ってきた自分を否定したくない、今の自分が過去の自分を崩壊させたくないっていう思いと、人々の思いに応えたいっていう気持ちの両輪あったんだな
 
それだけ自らを耕し、智慧と光に浴し、新たな道を自ら開くという、まことの歩みをしてきたということなんだろうけど
 
 
ゆづもきっとそうかな
 
頂点を極め高次元をたどるアスリートならば持っているものかもしれないね
 
 
 
昨日の記事で『羽生結弦』呼びについて少し触れましたけど、ゆづは昔からよく口にするよね
 
 
 
これはきっと、羽生結弦という存在を俯瞰的に見る瞬間があるんだろうと思うのですが
 
たとえば素の羽生結弦とみんなの前に出る時の羽生結弦とでは、彼の中の概念が少し違うのかなって
 
 
 
イチローの場合は本名と登録名が違うので二つありますけど、その印象についてこう語っていました(引退後ロングインタビューより)
 
「“鈴木一朗”と“イチロー”ってこんなに印象が違うんだなって…」
 
「“イチロー”は僕のあらゆるやる気やエネルギーを生んでくれていたと思います。独り歩きしてずいぶん先へ行ってしまった“イチロー”を追い掛けた時期もありました。そういうことも含めて、“イチロー”に支えられた僕は確かにいますから、今、感謝したいうちのひとりですね。“イチロー”は間違いなく、僕の原動力でした…」
 
 
ゆづもこういうところあるだろうなって思うのです
 
確かに『羽生結弦』に力をもらっているところあるんだろうなって
 
羽生結弦が『羽生結弦』に支えられている部分…
イチローの言葉を借りるなら、『僕を支えてきた僕』でもあるのだろうなと
 
 
 
今は口にすることはなくなったけれど、こういう気持ちになることも当然あるだろうと思う
 
 
 
でもそれをしないのは、“放棄”しないのは、まさしく彼の『努力』なんだろうなと思います
 
 
 
偉大なアスリートに偉大なアスリートを重ね見てしまう私のサガなのでした(´-`*)
 
 
 
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