昨日記事の続きです
 
 
 
 
もう読まれている方も多いと思いますが、内村選手が先月オーストラリアで行った合宿の時のインタビュー
 
私的にめっちゃ響いて…こんな言葉が出るようになるまでの彼の道のりを思い、何とも表現し難い気持ちになって胸がいっぱいになりました
 
同時に何だか嬉しかったんだな
 
アスリートとしても人としても、また何段階か上に登った人のように感じて…ある種悟りのような言葉にも聞こえました
 
 
今からちょうど1年前の2019年1月2日の練習始めで、内村選手が1年のテーマに書いた一文字は「安」
 
「安心、安全。ケガをしない」という意味を込めたそうです
 
しかしその頃にはすでに右、左と交互に肩の痛みが出始めていた
 
そして昨年末に振り返りの一文字を尋ねられると、彼は「痛」と書いた
 
言ってみれば、真逆の意味となった1年間だったということかな…
 
もうこの『痛』という一文字にいろんな意味が込められているような気がして…きっと肉体的なものだけじゃなくて精神的にも心的にも痛みを感じるような苦しみに苦しんだ1年間だったのだろうと想像します
 
 
ゆづはこんなこと言ってたね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『壁』だけじゃなくて『扉』という文字を同時に挙げたことに、少し救われる思いがします

 

 
『痛』という文字を書いた内村選手

 

その言葉通り肩の痛みによる影響で、試合に出られない状況が続いた
 
自分が出ているのが当たり前だった世界の舞台、かつて自らが世界に圧倒的な実力を示し続けた場所に立つことさえ許されなかった
 
この実績をもって、そこからのどん底は…一体どんな感覚だったのだろうと…

 

 

体操史上最高の選手と称され、登りつめた頂からの道のり…

 

 
昨年10月に開催された体操世界選手権
 
痛みに喘ぎながら、本当は自分がいない日本代表、自分がいない試合を見るつもりはなかったといいます
 
「でも、気づいたら見ちゃって…」
「どういう感情で世界選手権を見ればいいのか、わからなかった。今までは、試合で結果を残して、自分の“居場所”は、ここなんだというのがあった。それがない。まさか現役をやっている間に、試合に出られないとは思わなかった。なんで肩の痛み程度に勝てないのだろう」
 
 
『なんで肩の痛み程度に勝てないのだろう』
 
この言葉…なんだか涙が出てしまう…
 
すごく孤独を感じてしまうような…内村選手が感じてきた“たったひとりの戦い”を想像させるものでした
 
輝かしい実績や華々しい戦歴、築いた栄光があったとしても、“そんなこと” “そんな痛み”にすべてを左右され翻弄され影響されるんだと思い知った人の言葉のように感じました
 
 
もしかしたら…ゆづはわかっているかもしれないね
 
試合に出られない気持ちもわかっているはず
 
(そういう意味では、ゆづの方がケガに苦しめられることが多いと言ってもいいのかな…試合に出られないことがここ数年は続いたものね)
 
 
 
“ミスをしない完璧な選手”とたたえられた内村選手は「今までが考えられない成績。あまりにも順調すぎた」と笑います
「こういう経験が、たぶん生きてくるんだろうな、人生においても。しんどい時、つらい時にどうやって乗り越えたらいいですか、みたいなことをリオデジャネイロの前や後に聞かれても、何と答えればいいか分からなかった。気持ちでしょ、というようなことしか言えなかった。たぶん今は、落ちるところまで落ちればいいんだよ、みたいなことを言えるかもしれない。逆境は嫌いじゃない。最後に“ぎゃふん”と言わせることができればいいかなと。今はたぶん、そのための準備をしているので。すべてを糧にしている感じ。代表に入れなかったことも、肩が痛くなったことも自分の人生。体操を続ける上でも、経験しなくてはいけないことだったのかもしれない」
 
 
『こういう経験が、たぶん生きてくるんだろうな、人生においても。』
 
この言葉、イチローが引退会見で子どもたちへ向けて送ったメッセージを思い出しました
 

「シンプルだなぁ。メッセージかぁ。苦手なのだな、僕が。まぁ、野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので。そういうものを早く見つけてほしいなと思います。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていける。向かうことができると思うんですね。それが見つけられないと壁が出てくると諦めてしまうということがあると思うので。色んなことにトライして、自分に向くか向かないかというより自分が好きなものを見つけてほしいなと思います」

 
このイチローの言葉…深いなぁと思って
 
私なりの解釈ですが、『熱中できるもの』『夢中になれるもの』を見つけられれば、人生の壁を乗り越える手段、術を身につけることができるということだよね

エネルギーを注げるからこそ還ってくるもの
 
何か…スポーツの概念を超えた“生き方”の教導のような…そんな感じを受けました
 
まさしく人生においてのもの
 
 
それを、内村選手はまさに自分の体操競技の現役生活を通して学んでいるんだなと思いました
 
そんな言葉だなって
 
 
 
その内村選手が今なら言えること
 
『落ちるところまで落ちればいいんだよ』
 
 
これが、私の中ではゆづのあの言葉とシンクロしたんだなぁ
 
平昌五輪メダルセレモニー後の発言
 

「やっぱこうやって生きててよかったなって思える瞬間のひとつです」

 

ここから続けて言ったこと

 

11月のケガを乗り越え過去の自分に言いたいことは?と問われると「『苦しめ』と言いたい」と笑顔で答えた

 

 

この『苦しめ』って、『落ちるところまで落ちろ』ってことでしょ

 

 

何だか私の中でゆづと内村選手の苦しみの道のりが重なって…ゆえに両者から出てきた言葉が同意味であったことに、アスリートとしても人としても、同じ域にいるのかなって思わされるものでした

 

 

これだってまったく同じこと言ってる

(や…もしや…内村選手、ゆづの発言調べたりしてるのかな?(; ・`д・´)ゴクリンコ…参考にしたりとか…そのメンタル知りたかったりとか…(; ・`д・´)ゴクリンコ…そのくらいドンピシャにハマる言葉だよね)
 
でもトップもトップ、世界の頂にい続ける者としてはその思考が似ていても何ら不思議はない
 
“逆境は嫌いじゃない”っていうのも、その逆境だけを指した言葉じゃないんだよね
 
その先のことを見据えて目指しているからこそ“嫌いじゃない”と出てくるもの
 
 
『苦しめ』
『逆境は嫌いじゃない』
 

やっぱりゆづはわかってるんだよね

 

今はその“必要”を集めている時期



その涙も…いつかの日の“必要”であることを

 

その背中も…いつかの日のためのものであることを

 

ゆづはわかっているし、知っている

 

 

得たものはなく喪失感があると言っていた昨年末

 

 

今はどうかな…気持ちの整理はできたかな

 

ずっとゆづに聞いてみたいんだけれど、“失ったもの”って何?って、それを具体的に一個一個聞いてみたい

 

そしてそれが本当に失くなってしまったものなのか、ゆづが本当に失ってしまったものなのか、一つひとつ確認して見ていきたい

(何度も言うけれど、私は失ったものは何一つないと思っています。ファイナルも全日本もね。すべてはゆづの中にあると)

 

当時の記事にも書いたけれど、私はこの喪失感を抱くという経験さえも、今後のゆづには必要だったことじゃないかって思っています

 

あの時期あのタイミングであの経験をしてあの感覚とあの感情を味わうことさえも“得たもの”だと思います

 
それがあるから次に繋がっていくし、経験したことがないからこそ見たこともないような景色を見られるチャンスなんじゃないかと
 
それは、もう過去の彼の道のりが示してくれていますし、何よりもその生き方はその証明であると思っています
 
 
内村選手も11連覇が叶わなかった一昨年の全日本は「やっと負けた」「解放された気持ち」「体操を突き詰めて苦しく感じ始めていたから楽になり冷静になった」と言っていたけれど、昨年の全日本は(肩の痛みにより)予選敗退し言葉が変わった

 

「次には生きない」

「笑うしかない」

「今やりたいことがない。全てが今日で終わった感覚。1年間が今日で終わった」

 

 

 

これは身体の不調が続いたということも影響しているだろうし、“負けが続く”ということもきっと大きく影響を及ぼしている言葉だと思っています

 

勝ち続けて、君臨し続けた者にしかわからない境地だと思います

 
 
けれどもここから、内村選手は今こう言えるまでになっている
 
『今はたぶん、そのための準備をしているので。すべてを糧にしている感じ。代表に入れなかったことも、肩が痛くなったことも自分の人生。体操を続ける上でも、経験しなくてはいけないことだったのかもしれない』
 
なんというか…全受容っていうのかな…
 
すべてを自分の中で消化して、受け容れて、この先のための“必要”と捉えられている
 
ゆづのこの時と同じかな

 


そして、『体操を続ける上でも、経験しなくてはいけないこと』この言葉に、前を向き未来を見据えている感じを受けて…少しホッとするような嬉しいような、そんな気持ちになりました

 

 
 
イチローが「たどり着けないですけど」っていう前提で話したこと

 

ミスっていうのは、失敗や苦労、負けることや失望絶望すること、どん底に落ちるということも含まれるだろうね


そういうことなしに仮にたどり着いたとしても…

 

 

 

 

 

きっと、同じ場所に最後に立ったとしても、それまでの道のりによって見える景色は違うんだろうなと思います


もっと言うと、それは同じ場所であって同じ場所ではないのだろうなと思います


だからこそ、その過程が大事なんだなって



もしかしたら…ゆづが今『4Aってこんなにも大変か』って言葉にしている状況にあるのも、後に振り返ると意味のあること、無駄じゃないこと、『深み』を出すための過程なのかなって…勝手にいちファンとして思ったりします



今はすべてを糧にしている時期






そしてゆづが目指すいつかの自分も
 
その実現のため、その日のための『今』なんだということを実感します
 
 
 
全然記事が終わらなくて(;゚; 艸;゚;)

でもこの内村選手のインタビューの言葉は、ゆづを思う上でもすごく大事にしたいので、最後まで書ききりたいと思います(勝手に続く~w)

 

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