昨日記事のコメ返待ってね♡
(今日中には必ず~)
MOIのSEIMEI
美し…
長久保さんが嘆きと感謝の呟きを~w
長久保 豊@YutakaNagakubo
印が、刀印が。また映ってなかったよ😭でもお茶の間でもMOIが見れたからテレビさんには感謝だよ。バルセロナでのGPファイナル。「SEIMEI」の演技終了後に刀印を重ね式神をもとの姿に戻す所作を見せる羽生結弦選手― スポニチ Sponichi Annex スポーツ https://t.co/kfovt0kT3G
2019年12月29日 20:55
4年前のファイナル
多分この映像だけだよね、残ってるの
これ印を結ぶの、どうしてやったのか?どうしてこのファイナルだけやったの?ってゆづに聞きたいって、私当時からずっと記事に書いてて
聞けてすごく嬉しかった
こういうゆづの感覚っていうの?独特の感性と独自の世界観を聞かせてもらうと、やっぱりこの神秘的なプログラムを彼が滑ったことは必然だったのだろうなと思う
ゆづは最近も(今シーズン)、2015年のNHK杯や2017年ワールドの感覚を追い求めているって言ってたよね
そのくらいアスリートとして、競技者として、表現者として、彼の中で理想形であったのだろうと感じさせられます(ファン心理としては、あの当時よりも今の方がすべていおいて深化してるし、円熟味も増し増しになってフィギュアスケーターとして極みだよって思うけれどね!そういうんじゃないんだろうな)
今回このタイミングでSEIMEIを滑った意味は、私なりの解釈をこの前記事に書きましたけども…もしかしたら4年前の全日本のSEIMEIに思いを馳せる感覚もあったのかなぁと思いました
あの頃と今の違いっていうか…ゆづにしかわからないものもあるだろうし、変化したものもあるものね
でもやっぱり私は、そこ(平昌SEIMEI)に至るまでの“過程”と“今”を重ねての、このプログラムだったんじゃないかと思っています
ゆづはきっと本能的に悟っているんじゃないかと
アンコールのOtoñal
ステップに入る瞬間、何か言ってるよね
「行くぞ」かな…?
体のキレが良かったねぇ
なんだか…試合という概念とたくさんのものを背負っていた重圧から解き放たれて、“自由”を感じる滑りだなって思いながら見ていました
この全日本で経験した過程と結果だからこそ、ゆづの中に去来するものを感じるというか…それと共にあるスケートを見せてもらっている感覚になりました
フィニッシュも美しい
真っ直ぐ前を向いて、まるでこれからを指し示すよう
挨拶の時に何を言っているのかわからなくて…よーく見てみると、「最後まで応援ありがとうございました」って言ってた
最後まで応援させてくれてありがとうって、感謝しかないよって、こちらこそだよって思います
そして、私昨日初めて全日本の映像見たんですけどね
フリーのゆづのこの言葉…
『自分がここにいる意味を感じながらこの曲を滑ります』
“意味”って…
なんだか最近ゆづがよく使う言葉だなぁと思ってて
ここにいる意味…
「もういいんだよ」って言われるって
こういう思いがゆづの中にあるとすると、『もういいんだよ』って言葉が悔しいんだろうなぁと想像します
それって結果もゆづが現実的にやろうとしていることも見てもらえてないっていうか…そこが伴ってないからこその感覚もあるのかもしれないなって
またそんな風に相手に思わせてしまっている自分にも不甲斐なさを感じるだろうし…そういう現実に“これじゃダメだ”って思いも湧き出てくるのだろうと
だとすると、『自分がここにいる意味を感じながらこの曲を滑ります』って…深い思いが込められたものなのかなぁと想像します
すべての過去を伴って、今を生きる自分として結果を取り、夢と目標を現実のものとする
幼き日の自分と共に…
って、なんかそんなメッセージなのかなって(勝手になw)
あとは、この全日本に4年ぶりに帰ってくること、そこへの思いもあったかもしれないね
しかし、『意味』って…最近だとすごく印象的だったのがファイナルでのゆづの発言
「いろいろ考えたんです。何か、何で今回コーチが来られなかったんだろうとか、どうしてショートでミスをしてしまったんだろうとか。──何かしらの意味が多分そこにあるんだろうなって考えて。で、もしそこに意味があるんだとしたら…」
https://ameblo.jp/astipalea3897g/entry-12554637806.html
↑
これは、“私だったら”っていう前提で、ゆづのこの時の状況の『意味』の捉え方を当時記事に書きました
まあ、私はゆづじゃないし、ゆづは私じゃないので当然その違いは出るんですけど…だからこそゆづの思考が4Aに行ったことにぶったまげたというか…常人にはない感覚だなと思いましたし、彼の持っている窮地に出てくるマグマのような熱に衝撃を受けたんですねぇ
これが彼なんだなって、これが羽生結弦なんだなって、思い知り目撃した感がすごかった
ブログを読んでくださっている方はもうおわかりと思いますが、私はずっと『自分に起きる出来事や事態、事象には必ず意味がある』って書いてきました
というか、そこには意味しかないし学びしかないってこともずっともう何年も書いてきた
(でもその捉え方も意味の見出し方も人それぞれで、生まれ育った環境や親から流し込まれた価値観、生きてきた中で得た経験や思考グセ、トラウマや傷、持って生まれた質などによって千差万別なんだよね)
ゆづは、インタビューの中で元々はあまりそういう考え方はしないって風にも言っていたけれど…ここ最近彼の口から『意味』って言葉がよく出てくるなぁとは思っていました
そしてそれを考えているのだなと
何かきっかけがあったのかなぁ…?
これもちょっと聞いてみたいな(*^^*)
しかし、『自分がここにいる意味を感じながらこの曲を滑ります』って、考えれば考えるほど深い言葉だなって思います
“自分がここにいる意味”って…究極よねって
まさにOriginに通じる光のようであり、ゆづのスケート人生にも壮大な流れとして還ってきそうなものだなと
そういう気持ちで滑ったあのOriginは、やっぱり私は『意味』があると思います
その中であらわになるもの
ゆづは化石にもならないし、石にもならない
石に“なる”んじゃなくて、大事な石はゆづの中に“ある”もの
それは限りなく光を秘めている
今自分の中にあるものを大切に見つめられますようにと、その意味を見出せますようにと祈っています
って、ファンとしては一緒に見出していけたら…って思っちゃうね☆←めいわくだけど勝手に
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