平昌五輪 演技後、右足首に感謝するゆづ

 

 

この意味を、この方はわかってくれていただろうね

 

 

自身もゆづと同時期に同じ箇所を負傷

 

だからこそ、平昌でのゆづの姿が

 

 

 

 

 

 

ああ…昨日書いた記事の今日なんですけど、昨夜めっちゃ衝撃的なニュースが

 
 
 
 
内村選手…予選敗退…
 
もうほんとにいろんな意味で驚いて、しばらく思考停止しました
 
ケガが思った以上にものすごく悪い状態だったこと、その中での戦慄が走るような息を呑むような現場の空気感、あと…「37位」「予選敗退」という文字が頭にスコーンと抜けて…現実を理解できないような感覚になりました
 
 

まかさ…嘘でしょ…なんてこと…そんな…

 

 

ほんとに、しばらくこればっかりが頭の中をグルグルとして思考が進みませんでした



映像を見たけれど、目を疑うような彼の姿で…信じられない思いと共に胸が痛かったです

 

 

なんて言うのかな…“信じる”と“思い込む”って違うのかな…とか、私は思い込んでいただけなのかなとか、内村選手がまたトップに戻ってくると思い込んでいただけだろうか…って

 

 

それほどまでに、肉体の限界とケガの状態と、そこについていかない王者のメンタル…結果を残せないとあえぐ王者の姿…みたいなのを垣間見た感じがして、決して綺麗事ではないリアルな生々しい現実を突きつけられた気がしました

 

 

 

ゆづが内村選手の練習方法を取り入れたと言っていたけれど

 

 

 

この、試合とまったく同じルーティンでやる6種目の通し練習も、今回できていなかったんだね

 

 

 

-試合後-

 

悟りきった表情が事態の深刻さを浮き上がらせた。演技終了後、30分ほど引きこもった控室から出てきた内村は、「練習でできないことは試合でできない。それに尽きる」と達観し、包み隠さない本音を並べた。

 

 

「次には生きない」「笑うしかない」

 

「今やりたいことがない。全てが今日で終わった感覚。1年間が今日で終わった」

 

「肩を痛めて思うように練習をできていなかったので、練習でできないことは試合でもできないんだと改めて感じた。悔しいという思いもない」

 

「(東京五輪は)今の状態では夢物語。なんとかしようとはしたいが、今はどうしていいのかわからない。自分の中では気持ちを高めて練習に臨んでいるのに、できないことの意味が分からない。そこが改善できれば東京オリンピックも見えないことはないと思うが、厳しいだろうなと思う」

 











「もう死ぬ気でやるしかない。しんどいことから逃げていた」

 

「ミスしないこだわりを捨てて、泥臭く練習するしかない」

 





 

 

 

私はゆづを好きになって、アスリートというものに心から尊敬をする気持ちが増えて…

 

そして好きな選手が増えた

 

その筆頭だった内村選手

 

 

 

2014年、ゆづの中国杯後に賛否両論が湧き上がっていた中、『やるのは選手。僕も出ると思う』と理解を示すコメントをくれた

 

自身のケガからの試合出場と重ねて、『(出場した気持ちは)羽生くんも同じ気持ちだったのかもしれない』と胸中を察してくれた

 


ビッグスポーツ賞で同じになった時も、平昌前にゆづがケガした時も、連覇後にも、いつもゆづを心からリスペクトし、ゆづの立場や心情に寄り添い、応援し、称え、ひとりの人間としても尊重した言葉を発してくれた

 

 


なんか、私の中ではすごく特別な選手の一人なので…この現実にかなり衝撃を受けています



私なんかが悲しいだのショックだのと軽々しく言うのも筋違いで…そして尚更、がんばってくださいだのまだまだこれからだのという言葉も今はとてもじゃないけれど心に出てこない


どんな言葉も、今の彼の前には軽く空を舞う気がして…掛ける言葉が見つかりません



って、私そんな何年間も、昔から内村選手のこと知っているわけでも応援し続けてきたわけでもないですけどね


試合も実際に観たことないですし…



でも、ここまでこんな風にひとりのアスリートを思ったり想像したりすることができるのって、間違いなくゆづの影響でゆづのおかげなんですね



だから、すごく心が揺れ動いています






今、内村選手を思うにあたって脳裏に出てくるのがイチローの言葉

 

引退会見で「“引退”の文字が浮かんで悩んだ時期はあったか?」と聞かれ


「引退というよりは、クビになるんじゃないか、はいつもありましたね。ニューヨークに行ってからはもう毎日そんな感じです。マイアミもそうでしたけど。ニューヨークとうのはみなさんご存知かどうか知らないですけど、特殊な場所です、マイアミもまた違った意味で特殊な場所です。だから毎日そんなメンタリティーで過ごしていたんですね。クビになるときはまさにその時(引退)だろうと思っていたので、そんなのしょっちゅうありました」

 


これ、もうほんと極限状態だと思うんです


自ら決定する「引退」ではなく、他者決定の「クビ=引退」であったこと


こんな苦しい状態があるだろうか…



明日クビかもしれない、今日クビかもしれない、今この瞬間クビを言い渡されるかもしれない、選手生命が今この瞬間終わるかもしれない、そんな状況が毎日長期間続いていたということ


これがメンタルに及ぼす影響を考えると、よく正常でいられたなと信じられない思いになるほどです



でもだからこそ、この言葉にも通じていくのかなと私は思っていて…


「今日のこの、あの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって、その後もチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど、それを最後まで成し遂げられなければ今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録はいずれ誰かが抜いていくと思うんですけど、去年5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれないというような、ささやかな誇りを生んだ日々だったんですね。そのことが……去年の話だから近いということもあるんですけど、どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います」

 

https://ameblo.jp/astipalea3897g/entry-12450538492.html

 

 

なんかね、どんな大記録よりもどんな輝かしい成績よりも、試合に出られなくなってからのあの最後の期間が、ささやかな誇りを生んだって言えるこの境地


もうすごいなと思って…絶句したんです



選手生命の終わりを常に感じながら、極限状態の中で積み重ねてきた日々


これが、どれほどまでに価値のある時間であったかは、きっと終わりの瞬間を迎えないとわからないのだろうけれど…その境地に行ける人って、ある意味選手としてはこれ以上ない幸せなのではないかと思います


 

本当に、極々僅かの、ほんの一握りの人たちが感じ得るものなのだろうなと思います



だから…内村選手のこの今の状況とこれからって、イチローの言葉を重ねると、究極の尊い日々になり得るかもしれないよなと思っています

 


軽々しく言えないですけどね


私なんかが言うことでもないと思っています

 

 

 

でも、ここからの日々は、もしかすると何にも優る「ささやかな誇り」を生むかもしれないなと、勝手ながらに思ってしまう自分がいます



またそうであって欲しいと願うような気持ちもあります




『はかりは自分の中にある。』

 

これも、イチローの会見での印象強い言葉です




どうかその“はかり”で、内村選手が心から納得できる日々を送れますようにと祈っています





なんか本当に、アスリートを応援するって身も心も大変なんだけれど…でも何か大切な学びをいただいているような気がします



ゆづを好きになっていなければ、こんな世界はきっと知らなかっただろうなぁ


羽生結弦という選手を4年超応援してきた日々は、想像よりも多くのものを私に与えてくれます


 


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