今日はこれだな♡

 

 

 

動画 感謝して見せていただきました

ありがとうございます✲*゚

https://twitter.com/yuzu_figure/status/1099967761088864257?s=19

 

https://twitter.com/yuzu_figure/status/1099968442340302849?s=19

 

数枚だけキャプを


能登さん~!

ジャケットにボーダーとかオサレじゃんっ!

 


貴重なコメント




 

 


これは過去のキャノンのインタビューより

 

カナダに行ってからは「オーラが出てきたんじゃない」なんて冗談を言うこともありますが、表情が大人びたと思います。

 

https://global.canon/ja/event/skating/best_shot/2013_2014/noto.html

 

 

 

これも能登さんだったよね✲*゚

 

 

 

やはり温かみがあるな、写真一枚一枚に


これってきっと撮る側の心情も表れるよね

 



能登さんっていうと、私が初めて買った写真集『YUZURU』

 

ほんっと好きになって直後に買ったので(楽天でw)、まだなんか…恥ずかしい気持ちもありつつ…眺めていたな


今も大事に新品同様、書棚に置いてあります

 


10代独特の美しさ

 

 

今見ると、少年…子どもだなって感じます

(私ゃびっくりするくらい10代には萌えないの。←どうでもいいわ)

 


ちょっと今より若めな能登氏w

 

有名すぎる話  ゆづとの出会い

 




これ、初めて知った時“すご…!”って驚いたんだな


と同時に嬉しかった(*^^*)


やはり縁があるというか…めぐり合わせのようなものを感じました


 

そこからの付き合い

 

プライベートでは連絡しないとか

試合の集中状態の時は話しかけないとか

(たしか以前、(能登さんのモラル的に)ここは撮らないでおこうと思う時は他のカメラマンが撮っていても自分は撮らないと言っていたよね。中国杯での衝突の写真も能登さんは一枚も撮っていない。たとえ撮っていたとしても、それは世に出すものではないと考えていると耳にしたことがあります)


YUZURU2に中国杯の写真がなかったのは、そういう想いもあるのかな


こういう能登さんの信条も、羽生家、ゆづ自身はわかっているだろうね

 




決定的瞬間も


2015年NHK杯

フッ…と不敵の笑みを浮かべるゆづ

 


そしてこれはその後のファイナル

ハビコールが湧き上がる会場を

3Aを跳んで『俺だぞ!今から俺が滑るんだぞ!』と制した瞬間


この瞬間は能登さんしか収めていなかったと思います




ゆづについて

 

 


 


--ソチ五輪


団体戦の時は、リラックスしているのが分かったので、柔らかい笑顔が多く撮れましたね。でも個人戦になると表情がガラリと変わり、緊張しているのがレンズを通して伝わってきました。

 

フリーは僕自身も「金を獲れるかも」と思って緊張しました。歴史的瞬間ですから。最初の4回転は転倒したものの、後半に持ち直した所からの気迫が凄かったです。

 

ニースで銅メダルを獲得した2012年の世界選手権の時を思い出しました。

演技中に、気迫が出過ぎて「ウォー」と叫んだり、とにかくこぼれ出る気迫が素晴らしかったです。

 

 

--2012年世界選手権 (numberより)

この日の羽生選手は本当に素晴らしかった。冒頭の四回転ジャンプを降りると次々ジャンプが決まる。

途中なんでもないところで転倒した時は、『あ~』って思いましたが、ステップに入る前に気合が入った羽生選手が雄たけびを上げた瞬間、僕自身もゾクゾクしてしまって。これは凄いことになると思いながら、シャッターを切りつづけました。

ジュニアの頃から撮影してきましたし、震災から1年の間苦労してきたことも知っていたので、ほぼ完璧に演技を終えた時には、なんだか小さい頃から見守ってきた親戚の子供が立派に成長して旅立つ瞬間を見たような気がして(笑)。自然と涙が溢れてファインダーが滲みました。


撮りながら自然と涙が溢れるって…

能登さんの心境を思うと私も胸が熱くなります


間近で苦労する姿を見てきたからこそ、子どもの頃から知っているからこそ、溢れ出たものなんだろうな


それでもあの瞬間は、たとえ詳しいことを知らなかったとしても魂を震わす特別な演技だったと思います


ああいう瞬間に立ち会えるって一体どれほどのカメラマンが経験できるだろう…





そして、能登さんのいうとやはりこれだよ

 

神戸での東日本大震災チャリティー演技会

 

震災からわずか1ヵ月後のこと

 

 

こんな幼さの残る子が…なんてこと言うのか…って涙が出てきます


 


やはり東日本大震災後は、表情が変わりました。多くのアイスショーに出ていた夏は、強い決意を感じさせる表情でした。(能登さんより)

 

 

まさにリンクインする瞬間

 

天を仰ぐように見上げる

 

これ…

 

もう私この1枚だけで涙止まらなくなっちゃうんです


なんかね、神様とお話しているみたいに見えるの



そして実は隣にいるケンジ先生


先生もね、辛さに耐え難いような顔をしているなって…ずっとずっと思っていました

 


ケンジの部屋で詳しく語られていたね

『俺なんかが言葉にするようなものじゃないけど…』って、ゆづに震災について尋ねるんだよ

 

ゆづの話を涙ぐみながら、時に極まりながら聞いてたよね(ってかもう何度か泣いてた)

 

先生自身も阪神・淡路大震災を経験されている


その上で、10代のゆづが背負っていた、背負わされていた葛藤や苦しみ、またそれを“自分にしかできないこと”と言って使命として受け入れる姿と発言に、胸がいっぱいになり言葉に詰まっているように見えました

 

 


神戸チャリティー演技会について

最初に神戸に来てくれて、滑ってくれた時に、やっぱりみんな………(先生泣きそうになって)もちろんみんな涙流したし、あの………よかったと思う…(目に涙を溜めて)

 


ケンジ先生も、非常に…辛そうな表情をされていたのは覚えていますけれども、あの時は白鳥の湖をやって、今でも鮮明に覚えているんですけども、あれが今の僕のスケートをしようと思った原動力ですし…


…あれは素晴らしかったと思う

(目に涙を溜めながら何度も何度も頷きながら)

 


まあ、ジャンプの出来どうのこうのって言ったら、もちろん良かった部分あれば悪かった部分もあると思うんですね

ただ、あれは、たぶんもうこれから一生あの演技は絶っ対できないと思いますし、やっぱりあの時の自分の気持ちだからこそ表現できた、その…まあ…暗いところから……飛び立っていく…みたいな、ものを込めた表現だったので

 

あれは自分のなかでも特別ですね

 

あれがなかったら、あそこでもし僕が神戸に呼んでいただけなかったら、たぶんほんっとに、スケートを…する…時に、絶対考えてたと思うんですよ


自分がほんとにスケートをしてていいのかっていうのをずーーーっと考え続けていかなきゃいけなかったと思うんです


ほんとにあの神戸に呼んでいただいたおかげで…って、ほんとに思ってます、これは

 

(ケンジ先生言葉に詰まりながら、振り絞るように…)

…ありがとうございます。


 



こういうたくさんの思いが詰まった

あの場所だったんだな


 

 

 

能登さんの想いもそこに乗って

この写真が撮れた

 

 

 

変わってないなって思ったの


平昌五輪で氷上に戻ってきた時の顔と

 

同じだ…って…

 

 

 

なんて顔するんだろうって

なんて顔になるんだろうって


彼のいつまでも変わらない透明で美しい芯部…


その内にあるものの源に遡る感覚になりました

 



この後に、ゆづが『もう一生あの演技は絶対できない』と思うような演技をするんだものね


その直前の顔…

 


心に光が差すような一枚だなって思います

 

 

 

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