知らなかったー
こんな動画がアップされていたんだね!
weiboオリンピック公式アカウント
https://m.weibo.cn/u/1854869497?jumpfrom=weibocom
http://p.weibo.com/show/channerWbH5/1034:4328362886532584
http://p.weibo.com/show/channerWbH5/1034:4329898182125140
既出映像もあったので、飛ばし飛ばしにちょこちょこ見たのですが…
まあ、なんとゆーか( ´;゚;∀;゚;)
( ´;゚;∀;゚;)
:( ;´꒳`;)
(( ;:⊙;д;⊙)):;
( ´;゚;∀;゚;)
:( ;´꒳`;)
(( ;:⊙;д;⊙)):;
↑
こんなんの繰り返しになるような…ww
ってかこれ、率直に…何の…?
どこに効く?ウォームアップなんだろうね?
おうふ…!
最後ネコちゃんみたく
グイングイ~ンってやってたよ:( ;´꒳`;)♡
そんでね?
いよいよ出陣って時に
菊地さんと目を合わせて…
ふたりペコって、一礼
ジスランも少し(つられて?)してたかな(*^^*)
で、
部屋から退出する時に
ゆづは頭を深く下げて一礼
菊地さん、邪魔にならないように下がって身をよけたんだよね
そして、
菊地さん自身も一礼
これ、当時かな?以前も見たと思うんだけれど…昨日あらためて見るとジーンとしてしまって鼻がツーンとなりました
まさにふたりとも礼の心だし
ふたり同じようにする姿に
これまでの道のりを重ねて胸熱になりました
菊地さんはわかっていたのかなぁ?
平昌が最後の(?)帯同になるかもしれないって
今季 姿が見えないから…
尚更私もいろいろ思い返すところもあって
なんかね、こんなほんの一瞬のふたりの一礼に泣きそうになっていました
ゆづを好きになってまだ何もよくわからない頃は、菊地さんのことをお父様だと思っていた私w
専属トレーナーさんだとわかって
どんな方なんだろう?って思ってググッたりもした
するとさ、まあ出てくるわけよ
たくさんではないけれど
一部の記事や動画なんかには『え?』って思うような言葉が並んでいたり、菊地さんを怪しませるような…ファンや見る人の不安を煽ったり疑念を抱かせたりすることを意図としたであろうものにもヒットした
でも結局、ゆづを見ればわかること
彼の姿、行い、発言、生き方、生き様、スケート、それを見ていれば何が真実で何がそうでないかは一目瞭然
ゆづの姿がすべてを語っていた
そういうものはすぐに私の中でスルーの対象となった
今となっては貴重な
菊地さん本人が語るゆづ(ソチ後)
小さいと言ってもね、考え方がしっかりしてた子で…
“一心不乱”ってとこが…
今のゆづにも通ずるところがあるなぁと
ソチ
金メダルが決まった瞬間
この直後には菊地さんの元へ
こんなハグ…してたんだね
見たことはあると思うけれど
なんだか今見るとまた胸熱(T-T)
当時を思い出して涙が出る菊地さん
この言葉…重いなぁと
「青春時代をスケートに費やして」
菊地さんはもうこの頃からゆづが“捨て”てきたことも、ものも…わかっていたのかもしれない
16歳にして大きすぎるものを背負い
多感でいろんな経験をしたい時期であるのにもかかわらず、スケートに生きてきたその姿を見ているからこその言葉なのかなぁとか想像したり…
きっと菊地さんにしかわからないものがあるだろうしね
感動と感激と感謝、この言葉しかないです
結弦選手、おめでとうございます!
そしてありがとう!
君のおかげで僕も成長できたかと思います
本当におめでとう!
ゆづが小学校2年から3年に上がる頃に出会い
それからの付き合いである二人
長年、心と体の微妙な不調を読み解くうちに、菊地さんは平昌五輪前には1ミリ単位のズレを調整できるようになったと
以下、昨夏に公開されたウェブ記事より一部引用
’17-’18年の五輪シーズン。菊地さんは9月のオータムクラシックを前に、羽生に呼ばれた。
「その時点で、結弦の足はボロボロでした。五輪2連覇を目指すプレッシャーで、夏場に追い込んで、体を酷使したんでしょう。膝関節がかなり傷んでいました」
その後NHK杯での負傷があり
そして平昌
「初日の結弦は落ち着いていましたが、2日、3日とたつと、だんだんカーッと高揚し始めたんです。五輪に合わせて、ピークを持ってこられていることが、テーピングをしていても伝わってきました」
3カ月もの間、試合を離れていた羽生。しかし、感覚はかえって鋭くなっていたと菊地さんは言う。毎朝のテーピングも一発で決まった。
SP
リンクサイドにいた菊地さんの目から大粒の涙があふれ出して、止まらなくなった。
「号泣ですよ。あれだけのケガをして、よく痛みに耐えて演技をした。その姿に感激してしまった」
今、そう話す目も潤んでいる。そして、「ちょっとごめんなさいね。思い出すだけで泣いてしまうんです」と恥ずかしそうに、頭をかいた。
感動の余韻に浸る暇もなく、リンク表面を整氷車が削った削りカスを集めた。羽生はアイシングのとき、ブロック氷のゴツゴツ感を嫌うため、シャーベット状の削りカスを使う。羽生が報道各社の取材を受けている合間に急いでアイシングを施した。
「もうショートの感動もありません。金メダルかも、という思いもありません。とにかく“痛みが出るな、痛みが出るな”と思いながらアイシングに集中しました」
フリー演技前の羽生は、どこか吹っ切れたように見えたと言う。リンクの中央に向かう羽生の背中に、菊地さんは「大丈夫だ。一つ一つ丁寧にやれ」と声をかけた。
結果は——。
もう…菊地さんの言葉が当時の様子をありありと伝えてくださっていて…今読んでも泣きそうに
これ菊地さんも冷静と情熱のあいだの人だね
決して熱いだけじゃなく、すごく俯瞰した冷静な目で状況を見ている
そしてゆづのカーッと高揚する感じまでわかってしまうなんて…もうその域に言葉がないです
ゆづへの想いが深くあたたかいね
それから(ちょっと驚いたんだけれど)、こんなにゆづのことをわかっているであろうと思われるのに…
「アップで、体のブレを直し、キレを調整して、試合に送り出す。とはいっても、これだ! と、満足してリンクに送り出したことは、数えるほどしかありません」
’15年、世界最高得点322.40を記録したNHK杯と、それを更新し、330.43をたたき出したGPファイナルの2回だけだという。
そうか…この2回だけなのかって…
ここまでの域に達しているトレーナーさんであっても、たったの…ってびっくりしました
それがあのN杯とファイナル…
なんて厳しい世界で、自分に対しても厳しい人なのかって思いました
ふたり同じポーズをしたこの瞬間
なにか…目には見えない菊地さんのゆづへの溢れる想いを感じた瞬間でもありました
一昨年、平昌直前の負傷時
ゆづのこの目が菊地さんを信頼しきっている目に見えて
ああ…こんな顔するんだなって思った記憶があります
私たちにはわからない強くて深い信頼関係があるんだろうなって
思い返せば、ゆづが逆境の連続であったように、菊地さん自身もそうであったのではないかと
その中で…深まる絆というものもあったのかもしれないね
どう考えても…大変な道のりだったろうし
でも、どんな中でも一切表に立つことはなく、何か発することもなく、ただいつも静かに献身的にゆづに尽くす姿が印象強く刻まれている
やさしい笑顔で見守ってね
本当に家族のようなあたたかい頼もしい存在だなぁと
見る方も、いつしかいなくてはならない存在になり、菊地さんの姿を見るとホッとした
私が…もし母親ならよ?w
ゆづのママンだとしたら、自分が入っていけない領域、場所に菊地さんが同行してくれるのは最大の安心だったのではと想像します
ジャンプを踏み切る瞬間で、羽生の調子がわかるようになった。
「いいときの結弦のジャンプは、真っすぐ上に跳びますが、調子が悪いと、ジャンプに入る足の角度がバラバラです。その微妙な違いを修正できるかは、本人の問題。でも、その違いを見極めることが、トレーナーには重要なんです」
「先生、いつもありがとう」と答える羽生は、平常モード。黙っているときは、何か問題がある。テーピングしていても、「もう少し上、もう少し強く」と、注文が多い。しかも、ミリ単位の違いを羽生は感じているという。
「もう少し上、といっても1ミリくらいの違いです。すごい感覚をしていますよ。試合ごとに、結弦の感度はどんどん高くなっていきました。あれだけ練習しているわけですから、体が万全ということはありません。だから、僕の仕事は、結弦が足の先まで自分で思い描いた感覚に近づけるために、テーピングで修正することです」
私が感謝するのも筋違いですが、
菊地さん、ありがとうございましたと心から思います
キャプ見返していてもね
ふたりの関係性が伝わってくるようなものも多くて…
選手とトレーナーなんだけれど
それを超えた絆を感じたり
時には同志のように見えたり
互いにそっと触れるその様は…すごく自然で
小さい頃から身体を預けてきた存在だからこそのものなのだろうなぁと思います
もう現地に来られることはないのかな…
言ってもしょうがないけれど
急に寂しくなっちゃう
ゆづはたくさんの人に支えてもらったから今があるとよく言うけれど、間違いなく菊地さんもその一人だね
彼がいなかったら
今のゆづは在り得ないと
ないことないこと書かれたり、好奇の目で見られたり、いろんな注目を浴びたり…当然人の黒い部分に触れたりすることもあったろうに…
思うことも多々あったろうに…
ずーっと影の立役者、縁の下の力持ち的存在に徹して、ゆづを支えてこられた
その事実、その姿は
私たちファンの目と心に焼き付いています
生命をかける思いで臨んだ平昌五輪
メダルセレモニーのこの瞬間
菊地さんは何を思っていたかな?
何がどんな風に見えていたかな?
その胸に何が去来していたのかな…と
想像して胸が熱くなります
ここまでの険しく決して平坦ではなかった道のりを知っているからこそ、見える景色は違うのかなと
出会いから16年
練習時に思いっきり足首を捻挫し
お父様におんぶされてきたというゆづ
山あり崖あり谷ありだったここまでの月日に
今、思いを馳せます
私こないだ
ゆづ自らメダルをかけてあげる人っていう記事書きましたが
https://ameblo.jp/astipalea3897g/entry-12432070555.html
「普通なら立っているのもやっとの状態。絶対に痛いはずなんです。テーピングで痛みが抑えられるわけではありません。靱帯はボロボロ。それをガッチリ固定して、物理的に動かなくするだけです。そんな状態で、あの演技です。ここまでやれる選手に育ってくれたことも、すごくうれしくて……」
「勝ったらお前の努力。負けたら俺の責任だ。思い切ってやってこい!」
「あいつが金メダリストであろうが、国民栄誉賞を受賞しようが、結弦は結弦です」
ゆづをゆづでいさせてくれるものだなぁと思いとても嬉しかったです
今だからこそ響く言葉
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