『目』

大好きなロミジュリ~(T^T)

17歳と23歳~(T^T)

 

 

昨日はゆづの目についてだったのかー

 

(そういやエテリさんの吹き替え、実際あんなんちゃうくない?!思いながら見ましたが、吹き替えいらんから訳字幕だけ付けていただきたいわー。ロシア語わかんないけどそのまんま聞きたいし、声色とかトーンとかって大事だから聞かせて欲しい。私映画も吹き替えは苦手なんだなぁ。)

 

 

 

はい!これはもう皆思うよね

ゆづの目

左笑いすぎだけどもw

 

バラ1

 

そしてこれ…(震え)

めっちゃ好きー(T^T)

眉間のシワがゾクゾクするぅ(T^T)

 

今にもセリフ言いそう

 

 

春こいちゃんも

 

 

 

ゆづの目っていうと

これ過去のコラですが

 

もういつの何かすぐわかるよね|ºдº)…?♡

私は全部わかるよーw



演技してなくても語る目よ…

 

いやぁ、すごい

 

 

番組内では貴重なコメントも

(振付師さんだったのか!コーチかと思ってた←え)

 

 

 

 

 

 

 

ゆづ、嬉しいだろうなぁ

 

 

ザギちゃんも

 

 

 

 

きっと今のザギちゃんには

ゆづの存在は大きな励みだろうねぇ

 

 

 

能登さんも言ってたもんね

ゆづのここがすごいと

 

ファインダー越しにも

魂根掴まれる感じするんだろうなぁ…

 

ほんと

同一人物なのか一瞬疑うよね…

 

ゾクッとキュッとグッと惹き込まれる

 

 

 

このコメントも初めて聞いたなぁ

ゆづ本人談は貴重

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを聞いて

やはり萬斎さんとの対談を思い出しました

 

 

 

その場とその時間、空気をやっぱり纏う…

 

(お客さんとかこの会場の雰囲気だとか)やっぱりそれに対して挑戦的にあまりし過ぎるっていうことではなくて、やっぱりそこを、その空気、場を味方につける、纏うっていうようなことができると…人は喜びますね

 

その場の空気を纏って全部の体の中に入れるんだっていう解釈も成り立つんだと思うんですけれども、人間の常軌を逸した、そういうふうに一種神がかるというか、あんまり自分の中で意識がなくなる部分ていうのはありますよね

 

で、意識がない時の方が気持ちよく、まあ舞えると…いう感じでしょうかね

 

 

森羅万象、この会場の中の空気であるとか、そこを突き抜けた天とやっぱり地面と、まあ自分と同レベルにいるようなという、同レベルかわからないけども、生きとし生ける生命…それこそ生命

生物に対しての気をちゃんと自分は押さえるのだという意識から始めてく中で、押す、それに対して行き来するからそれを纏うっていうこともできる

そういう意味で言うとまぁ『三番叟』という狂言の舞踊曲ある時にやはり四方に対して気をちゃんとおさめてく、それはお巫女さんの神楽でもそうですけど、この例えば四本柱に一つひとつ気合を込めてく、っていうような

 

やっぱり全部に対してちゃんとアプローチするというか、気を送ると、やっぱりそれはみんなの意識をね、こう…ひとつ、自分に向けさせてく一種の挨拶でもあると思うんですよね

 

 

その、まぁ例えば僕らで言うリンクに意識を持っていくじゃないですけど、僕らってやっぱジャッジに意識を持ってかなきゃいけないので、結構ジャッジばっかになっちゃうんですよ


そうだよねぇ
 

でも先程、萬斎さんも言ってもらったように、その360度にお客さんはいるんですよね

もちろんそのお客さんの反応とかは全く点数には関係ないかもしれないですけれども、その表現者として考えるんであれば、絶対的に見せなくてはいけないんですよね

 


でも僕らって常に全身なんですよね

だからそのことに関してはすごく、なんか例えばですけれども、これが例えば、今、こっち側にジャッジがいてジャッジ側にここを見せてるのかもしれないですけれども振付け的には後ろを見せてるみたいな

 

後ろのお客さんがメインであったりだとか、そういう一つひとつの意識の違いって、すごく大切なんだなって、すごく思いました


そういう意味では精神性がすごく重要ですね


やっぱりジャッジっていう邪な(笑)邪でもないかもしれないけど(笑)

邪でもないだろうけど、まぁその、ほんとに人だけに対するっていうことではなくて、やっぱり周り全部の空気をね、やっぱり感じ取る、その緊張感ていうものはね、やっぱりその場を味方につける一つのものでもあるでしょうしね

 

なんか、すごく今参考になったのは、僕たちってリンクに意識を向けたこととかほとんどないんですよ、考え方的には

もうほとんどお客さんに向けてか、それこそ邪な気持ちでジャッジに向けてか(笑)どちらかしかなかったので、その、リンクってやはり存在するものは、もちろん天井もあるしリンクも、アイスの…その氷もあるしフェンスもあるしっていうことを考えた時に、もちろんそのー、一つひとつの演技、例えば僕らは西洋ものとかもやるので、例えば『ロミオとジュリエット』だったらジュリエットを想像して、ここにジュリエットがいるからここにこうやってやるとかそういうのもあるかもしれないですけれども、その中に架空のものだけじゃなくて、そのリンクに対してであったりだとかそのフェンスに対してであったりだとかその会場の、壁であったりだとかそういうものにも対しても、その気を込めるというか…そういうのってすごい大切なんだなって思いました今…
 

 

お客様にという、自分もそういう意識を持つために、確認のために今日はどこまでお客さんが入ってるとかっていうことはやっぱりすごく、僕らは意識しますけどね

 

 

例えばその、会場…のまぁ大小もあると思うんですけれども

…支配、支配しようとされてるわけではないと思うんですけど、その空気感、の中…に溶け込むというか、溶け込む範囲というのがここの中だけなのか、それともそのもう…そこの壁…まで全部なのか…

 

うーん…それはねぇ、まぁ、お能はどちらかっていうとこの…四本の柱に囲まれてる中に、一つの意識っていうか小宇宙を持って…作り出して…

…それがこう滲み出てってこの壁まで行くっていうところがあるし、狂言はもうちょっとね実際、会話劇だから、(手を招いて)“ちょっとちょっと”とまではやらないけども(笑)お客さんに直接語りかけるような意識を、まぁ相方というか、対話する人間と一緒にやってたりっていうことはありますよね

 

でも両方必要な気はしますよね


お客さんのためとということはあるでしょうけど、やっぱり場を支配するためには“場”を味方につけるっていう意味で言うと、自分の意識を会場全体に持って行きたいし、どこまで…お客さんいるのかなっていう意識にはなりますよね

 

…でもすっごい今の…

 

自分の中で、ためになりました

 


これが8月の対談

 

 

そして11月のNHK杯で

ショートフリーともにノーミス

 

300点の壁を一気に超えた試合となった

 

 

その直後のインタでは

萬斎さんの言葉が彼を変えたと受け取れるコメントが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは本当に

彼の中では大きな転換点だったろうなぁと思います

 

NHK杯は、対談で語られたことがそのまんま表れたものであったと

 

 

そして、今になって振り返ると

ゆづはこのSEIMEIをGPF後あたりから平昌五輪で使おうと決めたと言っていたけれど、その動きはこのNHK杯から始まっていたのではないかと思います

 

すべての流れが必要だったのだと

 

 


このコメントも

“スケーター 羽生結弦”としての幸せが

シンプルに語られていて好きです

 

 

 

 

 

 

萬斎さんの言葉

『場を支配するためには、場を味方につける』

 

これが顕著に表れたのがその後のファイナル

 

会場は

ホームであるハビのコールに包まれた

 


ここから

どうするか、どう持ってくかって

選手選手で違ってくると思うんですけど

 

羽生結弦の場合はこうだぁ…!(ドヤ)

(Www)


 

 

まさに力づくで持ってく!w


見た目ではまったくわからなかったけれど

(だってめちゃ“静”な顔してたからね)


内心はふつふつときてたんだね



その時跳んだ3A

これ能登さんだけが撮っていたんだ

 

 

後にゆづ自身もこう振り返る

 

これもきっと萬斎さんの言葉があってのことなのかなと思います

 

 

そうは言っても

この涙が語るほどのものを背負っていたんだからね

 

こんなに泣いちゃうくらい…

 

いろんなものを…



 

この恐怖心は

最後まで見えなかったと言っていたけれど

 

でもだからこそ

あの瞬間あの時だけの

あの神演技が生まれたのかもしれないと…

今になっては思ったりします

 

 

 

ここからまた

ずっといろんな試合を見られて


私たちは本当に幸せだね




ひとりのアスリートのスケートや演技が

こんなに深化していく様をリアルタイムで見られること

きっと私の人生で二度とない時間だと思っています

 

 

 

 

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