私、人の笑顔が好きなんですけどね
 
 
ずーっと見ていたくなる
 

いつまでも見ていたくなる
 
 
楽しいんだろうなって
 
嬉しいんだろうなって
 
すごくすごく嬉しいんだろうなって
 
そう思うだけで嬉しいし
想像するとこちらも幸せな気持ちになる
 
 
子どもの笑顔も好きだよ
 
 
ただ、笑顔で
幸せそうな顔を見るのが好きです
 
 
 
私はツイはほぼしないので(情報を得るのみの位置づけだからね)
ネットっていうとブログの世界なんですけど
 
この世界でも
昔から読ませてもらっているブロガーさん
(ゆづファンもそうだし、それ意外でも)
 
共通しているのは
皆、人を笑顔にするっていうところなのかなぁとなんとなく思いました
 
 
 
爆笑系の記事もそうだし
ほっこり笑顔になれる記事もそうだし
シュールにクスッと笑わす系
起承転結ありの記事全体が一つの作品になっている系
 
いろいろ…
いろいろイロイロ…
 
一見狭い文字だけの世界でも
無限の広がりを感じる瞬間というか…
すごいなって思うんです
 
 
人を笑顔にする才能でもあるなって
 
 
と、同時に
私はいつもそんな書き手さんを
“どれほど深い経験をしてきたんだろう”
“どれほど辛い経験があるのだろう”
“どんな苦しみがそうさせるようになったんだろう”って思うんです
 
 
明るく楽しく
おもしろいことを言ったり書いたりする人ほど、私はその人の人生の裏側にあるものを想像するというか…そうさせるようになった大元を想像します
 
 

ふと垣間見える瞬間ってあるんですよね
 
ほんの一言、ほんの一瞬の間(ま)に
その人の人生の経験を感じさせるものが零れ落ちる
 
 
 
やっぱり人を笑顔にしている人って
それだけ笑顔の大切さを知っていて
“笑顔になること”“笑うこと”のきわみを本当の意味で知っていると思うんです
 
でなければ、他者をそんなふうにしようとは思わないし絶対にできないと思うから
 
 
極と極っていうか…
それこそ光と闇かもしれない
 
 
悲しみを知るからこそ笑うことの尊さに気づき
痛みを知っているからこそ人を癒したいと願う

そんなものだと
 


 
 
この前、テレビでさんまさんが
娘いまるちゃんからこれまで一度だけ相談を受けたことがあるという話をされていて
(見られた方いるかなー?さんまさん密着特集。見るつもりなかったけれど、あまりに深くておもしろいから3時間かな?全部見てしまいました)
 
で、泣きながら話すいまるちゃんに
さんまさんは『泣くな、笑え!』と言ったと
 
その後、大竹しのぶさんから電話があり『(いまるは)もう二度とあなたには相談しないと言っている』と言われたと爆笑されていましたw
 
 
うん…短い言葉だけれど
私はすごく深い言葉なんじゃないかなぁと思って
 
 
『泣くな。何かあったら、まず笑え。』
『泣くな。泣いたらホンマに悲しなってしまうやろ?やから泣くな。泣くくらいなら笑え。笑うんや!』
 
『泣くなアホ、笑え!』
 
 
これって、どん底にいる時ほど
大事なことなんじゃないのかなぁと思って
 
 
もしかすると物理的に表情だけを笑顔にするということなのかもしれない
 
何かあってもまず笑顔になり、そうするとそこから何かが変わるという真理かもしれない
 
はたまた、辛くても笑えることを探す気の持ちようかもしれない
 
時には苦しさを見つめず、とりあえず笑っていろということかもしれない
 
 
なんか、いろんな意味があるような気がして…
笑うということを極めてきた人の言葉だなぁと思っていました
 
 
 
たぶん、若いいまるちゃんにはわからなくても、歳を重ねたらわかる時が来るんじゃないのかって
 
どれほど深い言葉だったのか身に沁みる時がいつか来るだろうなって
 
 

そう、現にうちのお母さんもこの番組を見ていたようで、この前会った時に『さんまさんの「泣くな、笑え!」がめちゃくちゃ深くて心に響いた。今の私に必要な言葉だった。』って、少し涙ぐみながら言っていました(うちお母さんもいろいろあるんだなぁ(´ー`*)ウンウン。だいじょぶ、私聞いてあげてるからw)
 
 
 
さんまさんって
私は元々大好きな方ですけど
あらためてすごい方だなぁと思いました、あの番組を見て
 
 
いまるちゃんの名前だって
“生きてるだけで丸もうけ”だもんね、由来が
 
なんか…大きいなぁと思いました
 
 
 
 
そう、あと
私個人的にめちゃくちゃ響いたんですけど
番組内でえなりかずきさんがさんまさんに
「楽しく過ごすにはどうすれば?」みたいな相談をしていて
 
こう答えていました
 
『脳を入れ替えるしかない。お前には無理やろなぁ、地獄を見てないから。その日食べる物がなかったことないやろ?俺ら(くりぃむ上田さんを指して)そこに戻れる自信あんねん。それでも笑ってた。夢があったから。あれ夢がなかったらあかんかったやろなぁ。』
 
 
地獄のような日々に戻れるって
すっごいなぁと思って…
 
ましてや今の存在、今の生活を経験したうえで
食べる物もない生活に戻れるって…
 
これがあるから強いんだろうなって思いましたし、こわいものはないというか…本当の意味で覚悟を常に決めているからこの発想が出てくるんだと思いますし、かっこいいなって思いました

そしてたぶん…地獄のような日々の中でも、この人は楽しく笑顔で生きていたんだろうなって

その中に光を見出し
ほんとに楽しかったからいつでも戻れると言えるんだろうなって


そういう意味では
「夢」を持つことの大事さを
さんまさんの言葉を聞いて噛みしめていました
 
道は違えど、何かを極める人って似ているなって思っていました


 

それからね、こんなことも言っていた

『楽しいと辛いを分けるからあかんねや』
 

もうこの言葉…思わず唸ってしまいました
 
深すぎて深すぎて
心にズドーンと入ってきました
 
 
分けるから苦しくなるし
分けるから自分で自分を締めている部分あるんだろうなって
 
私は今楽しい
私は今辛いに“居る”感覚になるというか…

先入観というか、先に頭で分けるともうそこでしか居られなくなるしね



楽しい=時に辛いであり
辛い=楽しいであると考えるだけでも
いろんなものが変わりそうだなって思いました

それこそ転換

発想の転換でもある



この両極にあるものを“分けない”という概念
 
これってさんまさんの笑いの真理でもあり
哲学だなって思いました
 
 
これが、
“地獄のような日々に戻れる”
“泣くな、笑え!”になるのかなって
 
 
 
 
あの楽しくて明るい笑いの根っこには
やはりそれだけの経験と素晴らしく深い哲学があるんだなとすごく実感しました
 
萬斎さん的に言うと「お笑い道」
 
その道を究めているんだなぁとあらためて思いました
 
 
 
 
3年前、被災地へ向かうゆづが言っていた言葉
 
これは踏み込まれて傷ついた経験のある人の言葉で
だからこそ、彼の中に他者への一線として保ち続けているものなのだろうなと、すごく印象的に思った記憶があります


 
そして今年の日本記者クラブで

『やっぱり「ありがとう」とか「おめでとう」とか、そういう言葉って、気持ちがこもっていなかったとしても、たとえ心の奥底では 「このやろう」とかと思っていたとしても、やっぱり素直に受けとめるとうれしくなったりするんですよね。それって、すごい幸せなものだと思う』
 
この言葉もよくない想念に傷つき、苦しい経験をしてきた者だからこその真理
 
ゆづなりに見出した道なんだと思います
 
 
 
ゆづのスケートを光に感じるのは
やはり彼の中に傷があり痛みがあり辛く苦しい経験があるからで…
それらすべてを包容し
光転させようと努力するから

“暗”の部分を“明”に
“闇”を“光に”転換する際の独特の発光なのではないかと思っています



それを笑いに換える人もいれば
スケートで昇華させる人もいる

でもどちらも人に与えるものとしては
似ているのではないかと思う


笑顔
癒し
笑い
幸せ
感涙


素晴らしいなって思います
 
 



記事冒頭の
笑顔が好きってこと


そういえば昔
小さいなりにいっぱいいっぱいの家庭環境で

テレビを見て
お父さんが笑っていた
お母さんが笑っていた

そんな印象が残っていて
 
小さい私はよくわからないけど幸せだった
 
 
笑顔になってくれるとホッとした


そういうところから来ているのかなって思いました



大きくなると
それがさんまさんや上沼恵美子さんだと理解し、みんなで笑いながら見たなぁと、そんなことをふと思い出しました


笑顔好きとか…
やはり理由があったのかなって
ちょっと思いました
 
 


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