昨日は雪が降ったんだねぇ
 
 
 
私が住む地域は雨でしたけども
とっっっても寒かったです
 
 
 
 
こちらはツイで見かけたもの
 
 
 
 
写真
お借りして
 
 
雪の結晶だって✲*゚←結晶好き
 
 
めっちゃきれい…
 
 
ほんとに…
なんてきれいなんだろう
 
ずぅーっと見ていたい
 
 
 
 
美しい神秘の世界
 
 
 
人の域を超えたものを
いつも感じるんだなぁ、こんなところに
 
 
見るの好きです
 
 
 
 
 
 
雪なんて
 
私の住む地域は
もうここ何年だろう…?
 
積もっていなくって
 
 
 
ほんの少し雪花がチラつくことはあっても
積雪することはまずない
 
 
 
確かboyが3歳…だったかなぁ
 
積もった雪で雪だるまを作ったのが最後で
それがものすごく印象に残っているみたいで
 
いまだにそれだけ言いますもんw
 
 
 
 
あの時の雪だるま楽しかったなぁ~(*´∇`)ノ
 
また降らんかなぁ~(*´∇`)ノって
 
 
 
 
近所の子たちと
 
『今年の冬、雪が積もるといいな』
『雪合戦をしてみたい』
『雪だるまをみんなで作ってみたい』なんて
 
賑やかに話しているの
聞いたことあるんですけど
 
 
 
 
叶えてあげたいなぁっていう思いと
 
 
 
 
でも、
雪国の過酷な生活をニュースなどで目にすると
 
軽々しく
“降ってほしい”“積もってほしい”なんて
言えない自分もいたりして
 
 
 
 
 
…。
 
 
 
 
これが…
大人になるということなんでしょうか…?
 
 
知らないよ
 
 
 
 
 
 
でも
子どもたちの“雪で遊びたい”っていう思いは
決して悪いものじゃなくて純粋な気持ちであり真実
 
 
 
そして、
積雪地方の方の生活が厳しいということも
紛れもない事実であり
 
 
 
 
どちらがどうとか
どちらが誤っているとか…そんなんじゃなくて
 
結局、
 
“それぞれの、その場所で”っていう
ことなんでしょうか
 
 
 
 
 
雪国の方は
越冬の先にある暖かさを知っている
 
 
それは
私たちには絶対にわからないこと
 
 
 
 
 
かと言って
 
私の住む地域は
毎年必ず“水不足”になります
 
 
夏季のダムの貯水量を
チェックするのは日課で
 
減ってくると危機感を覚えますし
取水制限が始まると“キタか”と思います
 
 
酷くなると夜間断水などもありますし
プールが中止になることも
 
美容院のシャンプーがペットボトルだったのは
ほんとにマジでヤバいと思いました(!!)
 
 
適度な降水のありがたさは
身にしみて実感しています
 
 
 
 
 
まぁこんなことに限らず
 
暑い地域は暑い地域なりの
寒い地域は寒い地域なりの
 
海に近い地域はそれなりの
川に近い地域はそうなりの
 
 
…言い出したらキリがないですけどw
 
 
それぞれの、
その場所での営みっていうものがあって
 
 
そこで得られるものって
決してひとつではなく
 
実はとてもたくさんあって
 
その人にとっては
そのどれもが真実なんだろうなぁと
 
 
 
 
 
 
物事をみるときに
 
“〇〇”という
一面だけにフォーカスしてしまうと
 
そこだけしか印象に残らなくなりますが
実はそうじゃないということも
ちゃんとわかっていたいなぁと思います
 
 
裏面とか
左右上下から見た感じとか
もしくは内面…
 
要は多角的に物事を見る、ということかな
 
 
 
 
こういうのって
なにも住む場所だけじゃなくて
 
たとえば抱えている病気であったり
障がいであったり生きづらさであったり…
 
そういうものも同じなのかなぁと
 
 
 
 
だからゆづの
ぜんそくについての『普通』っていう言葉
 
これってほんとに
当たり前の感覚を言っただけのことなんだろうなと思う
 
 
 
 
 
 
マガジンの
担当記者さんたちによる緊急座談会
 
なんとなく
ずっと心の片隅にある言葉
 
 

“それと、いろんな経験をしてほしいですね。一般の20代の若者が普通にしていることを。”
 
“オリンピックという、他の若者にはできない経験をしてきた。今度は逆に、今まで排除してきた、若者が普通にしていることを経験してほしいですね。”
 
 
 

これを見て
どこかチクッとしたのも事実で
 
 
同時に、
アスリート羽生結弦を
間近で見てきた記者さんたちが、
 
その立場を少し越えて
いち個人として親心のような想いを
述べているようにも感じられて
 
何とも言えない気持ちになった
 
 
 
 
 
こういう想いって
 
私たちファンには
常に心のどこかにあるもので…
 
 
ジレンマというか…
 
 
ゆづの姿が見えると喜ぶのは事実だし
(もちろん公の場、ですよ)
 
でもどこか
孤独にさせてあげてほしい
そっとしてあげてほしいという思いと
 
両方抱えているんだなぁ
 
 
 
 
が、
そもそも
 
『羽生結弦』という存在があまりにも圧倒的すぎて
 
そんな概念自体が吹っ飛んでいる時さえある
 
 
 
 
 
経験してほしい
させてあげたい
 
自由に
身軽に
 
他人の目を気にせずに
特別視されることなく
 
そのまんまの姿で
 
 
 
なんて思うけれど、
 
結局、
ゆづはゆづの場所で
今はしっかりやっているんだから
 
…いいよね、…に行き着く
 
 
今は、ね
 
 
 
 
 
 
 
ゆづの過去の言葉
 
 
自己満足かもしれないですけど…
 
 
楽しさであったり
嬉しさであったり
悔しさであったり
痛かったり

悲しさであったり


そういうものを
すべて与えてくれる
リンクには感謝しないといけない
 
 
目に見えないものも
しっかり感謝しないとなって思います



 
 
この言葉を聞くと
もう何も言えねーーーーーーーーー
 
 
チクチクしていたものが
鎮静していくというか…
 
 
 
 
彼にとって
スケートリンク=人生の場だもの
 
 
 
 
彼は彼の場で
しっかりその大地を踏みしめている
 
吸収している
 
大きく根を張り
幹は太く葉を生い茂らせている
 
 
 
 
 
 
ここが
今の彼の普通の場
 
当たり前
 
 
 
 
それでいいよね




ずっとずっと
座談会での言葉が心にあって
 
消化したかった
 
 
 
 
 
まぁファンとしては
やっぱりジレンマはあるけれど、
 
“今は”その場所で…っていうことになるのかな
 
 
強制結論www
 
 
 
 
 
だって、
そこでしか見えないものって絶対あるし
得られないもの、学べないものもある
 
それもひとつじゃなくて
たーーーーーーーーーーーーっくさん
 
そんなの自分次第だもんね
 
 
 
 
 
 
 
だから、

どちらのフィールドが…とか
あちらの方が…とか


オリンピックチャンピオンだから…とか
普通の20代若者だから…とか
 
そんなことよりも、
 
今置かれている自分の場所を
目一杯感じ
 
そこで与えられるものに感謝して
生きよう!!っつーことですね



すべてはそこから

 

 

 


見よ

この躍動する生命を




 


雪の結晶から

こんなところまで話が飛んできたw

 

またつらつらつらつらとw

…グダグダだな!!w

 

 

 

 

 



それぞれの、その場所で。

 

今日もがんばろう!!

 

 



 

 
 
 
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