朝、テレビをつけて目を疑った
一瞬頭が真っ白に
どうしよう?
どうする?
呆然としながらも
必要な朝ごはん作り
あ…通過…
少しホッとして
起きてきたboyは
私たちの雰囲気を感じとって
なに?
どしたん?
子どもって敏感に察知する
テレビは理解できなくても
大人たちを見ている
そこに真実を求めている
ちょっと迷ったけど
わかるように説明
爆弾?
こわい…
でも
すぐに“いつも通り”
子どもって…
テレビを見ながらも
やることやって
でもなんか
胸がザワついて
一旦はいいとして…
これから…どうなる?とか
よぎったりして
あぁ…平和ボケ…
なんて言葉が出てきたりして
いや、
その言葉はしっくりこない
ボケているんじゃない
自分の内を辿っていくと
確かにある
なぜ私たちは
世界唯一の被爆国に生まれたのだろう
あの惨劇を語り継ぐことを
やめないのだろう
なぜ私は
傷痍軍人である祖父の元へ生まれたのだろう
その話を
小さい頃から聞き続けたのだろう
家族に戦死者がいるのだろう
それを
その意味を
考えています
考えることは無駄じゃない
必ずそこに意味があるから
たぶん
私たちの中には“何か”が流れているはず
日本に生まれた意味
それに気づけるかどうか
なんか
そんなことを漠然と思っています
東日本大震災
あの極限の事態で
物資配給にきれいな列ができ
静かにその時を待つ人々の姿に
海外の人は驚いたといいます
命の存続や
身の危険と隣合わせの中
強奪や暴動
破壊行為は行われなかった
こういうものが
私たちの中には流れている
確かに
これは決して
平和ボケなんかじゃない
私たちは本当に
無力なのかな…
何もできないと…
立ち尽くす…?
しょうがないと思い
許せないと抱き
力には力で…?
制裁を…?
やっぱり違うと思う
相手を変えることは
自分を変えること
たとえ
それがあまりに大きくても
そんなんじゃ意味ないよ でも
私は
私たちの“内”にあるもの
それを見つめることから始まる
そう思う
一人ひとりの力は小さくても
集まれば大きい
意識がすべてを変える
私たちはこの国に生まれ
生かされ
生きている
その意味を
今すごく考えています
フィギュアスケートランキングへ