終戦の日
 
 
毎年この日は
私はきっと戦争のことについて書いているはず
 
書こうと思って書いているわけではないけれど
いつも気づいたら心が向いている
 
 
 
 
 
戦争というと
私にとってはおじいちゃんで
 
というか、
おじいちゃんの存在が戦争そのものでした
(過去記事に書いてきました)
 
 
 
たくさんの話を聞いてきたけれど
ここに書けることは少なく
 
ただただ戦争の現場の惨たらしさと
それが終わっても尚、経験者は一生涯そこに囚われ生き続けるということ
 
なにも
一切“終わって”などいないということ
 
それを実感し続けてきました
 
 
 
 
おじいちゃんが言っていた
 
戦場で亡くなっていく人は皆
 
『おかあさーん!!』
『おかあさーん…』
『おかあさん…』と言って息を引きとると
 
 
 
 
若い青春の時を戦地に奪われ
常に死を実感しながらの狂気の日々
 
まさにその命が潰えようとする瞬間
皆、同じ名を呼ぶんだと
 


どんな思いで“おかあさん”と呼ぶのか
 
 
想像しただけで息ができなくなる
 
 
 
 
 
 
小さい頃から耳に入ってきていた話で
印象に残っていることがある
 
 
おじいちゃんの妹さんたちが
私の実家へ里帰りしてきた時にいつも言っていたこと
 
『兄さんは、戦争で人が変わった。それはもう驚くほどに。帰ってきた時にその変わりように言葉が出なかった。』
 
 
聞けば
おじいちゃんは小さい頃からやんちゃで
地域の大将的な存在として有名だったんだと
(気が強くてイタズラや悪さもしていたよう)
 
それが戦地から帰ってきたら
何かを抜きとられたかのように別人になっていたと
 
 
 
 
 
 
私は
優しくて平和主義なおじいちゃんしか知らない
 
争いごとが嫌いで
いつもニコニコ笑っていて
人を責めたり傷つけたりすることを絶対にしなかった
 
 
そんなおじいちゃんしか知らない
 
 
 
 
私や家族を見る
優しくて柔らかい目
 
 
それが戦争の話をする時だけ
スっと静かに変わった
 
 
 
 
 
おじいちゃんは
あの優しい瞳でなにを見てきたんだろう
 
あの温厚な性格の根底には
一体どんな経験があるんだろう
 
 
 
そう思うことが
おじいちゃんが亡くなった後、増えた
 
 
 
 
 
 
ゆづが言っていたことがある
 
『人の心に踏み込んじゃいけない部分って絶対にある』
 
 
 
これは
踏み込まれて傷ついた経験のある人の言葉
 
 
 
彼の優しさや心遣い
人を思う気持ち
 
 
それは
過去の自分の経験からもきているんだろうと思った
 
 
 
 
 
痛みや傷を知っているからこそ
人に優しくできる
 
悲しみや辛さをを知っているからこそ
笑顔や笑うことの尊さを知る
 
 

争うことや人を傷つけることの愚かさを知っているからこそ

それを二度としまいと心に誓う
 
 
 
なんだか…
おじいちゃんとゆづが私の中で交錯し
 
いろんなことを思う今日です
 
 
 
 
 
 
 
ゆづの演技
 
 
これらを“光”と感じる人
 
 
 
私は
そんなゆづのファンを
 
ただそれだけで愛しいと思います
 
 
 
 
 
光と感じるということは
対なるものがその内にあるということ
 
 
傷や痛み
苦しさや悲しみを抱えているということ
 
 
彼の演技に触れて心魂が震える
 
そんな人を
言葉や触れ合いを越えて
ただ愛しいなと思っています
 
 
 
 
私が“外に見えるその人”の
内にあるものを想うようになったのは
おじいちゃんの影響もあると思う
 
そんな8月15日です
 
 
 


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