Vol.474 上がりの時計ヴィンテージ1945ジャパンブルー | アスティアのひとりごと

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ヤフーブログからの続編としてロレックス、チュードルなど腕時計中心のブログです。またの名を 続・ミルガウス増殖計画

「あがりの時計」という言葉は昨年に知りましたが、これが時計購入の道の終着点に至るに値する時計の事を指します。(僕が終(つい)の時計と呼称するものと同義語でした)

 

 

 

僕にとっての上がりの時計は、ジラールペルゴ。

世界で4番目に古い歴史ある時計製造に取り組む姿勢であったり、一貫した製造ができる技術であったりも素晴らしいのですが

 

 

「海外時計メーカーの中で、一番日本を大事にしてくれること」

 

 

という『魂』に尽きます。

ルイジ・マカルーソさんの意思を今日に至るまで引き継いでくれたジラールペルゴの執行役の方々、日本限定モデルなど手掛けた製造・販売に携わった方々、その中でも日本への足掛かりを築き、この地で永眠するフランソワぺルゴさんへの感謝の念はとても大きい。

 

そのためフランソワぺルゴトリビュートのモデルの中でヴィンテージ1945を最後の時計と考えておりました。

 

 

しかし15年程経過した150本限定の時計は、付属品含む保存状態がいいものが市場に現れることはなかなかなく…。

 

 

現在販売中のヴィンテージ1945Grey Japan Limited Editionも検討している中、たまたま中古時計店で保証期間内のヴィンテージ1945ジャパンブルーモデルを発見しました。

 

 

ジャパンブルーは、

1860年にブランドのファミリーの一員フランソワ・ペルゴが初めて来日した当時の日本では、人々の衣服から、店舗ののれんまで、至る所に藍染の色があふれていました。フランソワが横浜でその生涯を閉じたのは1877年ですが、少し前の1874年に来日し、溢れる藍色に衝撃を受けた英化学者ロバート・アトキンソンは、その色を「ジャパンブルー」と表現し書き記しています。(グレッシブの記事より)

 

この2人には何の接点もないのになぜジャパンブルーモデルなどを出したのか?そんな深読み(妄想)をしてみます。

 

 

 

互いに会ったこともないが同じ時代を生きた二人の心には、”空を見上げれば曇りない晴天。通りにははためく藍色ののれんや、文明開化と呼ばれる激動の明治時代へと走りぬく活気ある人々の姿”が、自分たちが宿命(やるべきこと)として課したその道を突き進め!と背中を押してくれているように感じ、

 

「いいところじゃないか、ニッポンは…。」

 

この国に住んでみてさわやかな感動を覚えたのではないかな…。

 

 

ジャパンブルーは今でもみんなが大切にしていて、サッカーの日本代表(少し呼び名が変わってサムライブルー)もありますし、海に囲まれた国という地理的なイメージでの「青」もありますが、僕たちの民族色のような身近な存在に感じますね(^^

 

 

そんな大きく膨らんだ上記の妄想の暴走の先、僕はこの時計を迷うことなく購入しました!

買った瞬間に定価の三分の一の下取りになろうとも気になりません。

なぜなら…

 

 

 

時計のレビューはまた改めてカタリーナとなります(^^;