Vol.22 無料に慣れた現代人 | アスティアのひとりごと

アスティアのひとりごと

ヤフーブログからの続編としてロレックス、チュードルなど腕時計中心のブログです。またの名を 続・ミルガウス増殖計画

ここかしこに「無料」という文字を日常に見ます。

 

・機種代「無料」

・見積もり「無料」

・大盛り「無料」

・初期費用「無料」

・基本プレー「無料」(オンラインゲームなど)

 

普通に生きていれば毎日見聞きしているフレーズかもしれません。

世の中に双方の間になにも負担がないことってないんですけどね。

 

いつから無料が当たり前になったのでしょう??

 

20年位前は僕の場合、車の改造がメインの趣味でした。当時所有の車はインプレッサでしたが、外装品、内装品からコンピュータまでいろんなプロフェッショナルなパーツが各社から発売されていました。給料が出たら専用パーツを買って友達の整備工場の機材を借りて取り付けるまたは取り付けをお願いするような青春でした。

通信販売はもっぱら車雑誌のパーツショップの掲載を見て電話注文し、購入した際の送金は銀行振り込みで普通に送金手数料がかかっていました。メガバンクの口座など持っていない田舎者の僕は他銀行3万円以上の送金時、600円+税の手数料も惜しかったけどそれを支払うのが普通だった時代でした。雑誌に掲載しているパーツショップにはクレジット決済はなかったです。セキュリティーがまだしっかりしていなかったのかまではわかりませんが、それが時代的には普通だったです。

 

 

 

 

無料を当たり前にした結果が(直結していない部分もあるかもしれませんが)今銀行も大変だし、運送会社も大変だしなかなか元に戻せなくて弱っている惨状を見ると、「無料推し」のやり方は過剰サービスだったんだろうなと感じます。

スケールメリットでダンピングに応じた運送会社のほうも悪いとは思いますが、(無駄の象徴みたいにされていてかわいそうだけど)卸問屋も廃し、コストが明瞭になった現在は、同じ品物ならば値段を第一にとっちゃうんですよね。だから運送会社の社長がダンピングに応じるという流れは仕方がなかったのかなぁ…と同情します。

 

以前購入したお店の取り計らいがうれしくて、同じお店で購入…ってネットショップで感じることもなくなったしなぁ。買うまでに至る経緯が値段だけで薄くなっている気がします。

受けた恩をありがとうで済ませてしまいお返しを考えなくなった自分自身も昔よりもセコくなったって自覚があります(ーー;

 

詳しくは覚えていませんが歴史で鎌倉時代で教わった「御恩」と「奉公」


昔の人のほうが人間として立派だったんじゃないの!?

 

なんてふと考えてしまいました。

 

 

”お客のためにというおもてなし精神が客を甘やかした”

 

 

モンスタークレーマーとかにも該当する部分がありそうですがなーんか、そんな気がします(><

多分戻れません。必要(だったかもしれない)ムダを容認する時代には。

 

ネットバンキングだって外部のハッキングに対抗すべく日進月歩の進化に対応しているし運送業だってドライバー不足を解消するには高給職にするか休みやすいまたは働きやすい環境を構築しなきゃならないし、「これは必要な経費です」というのをわからせる世の中でなければ…ならないのではないでしょうねぇ。そのための対価は無料ではないのは重々承知していますので…。

 

「脱・無料」

 

早速大手銀行も動き始めており近いうちに世の中はそう舵を切ることになるでしょうがそれは徐々にお願いします。税金が上がろうが、医療費が上がろうが、給料が上がらない…(T_T

 

日本の経済ってやっぱり好景気って気がしないんですよね。だから無料の言葉をいつでも見かけるのかもしれません。