イギリスで最古のお茶消費の記述が発見!
イギリスに紅茶が到達したのは1645年、ロンドンにお茶が直接売られたのはもう少し後だと言われています。
そして、「消費」として、つまり、誰かがお茶を本当に飲んだのだという記述に関しては、1660年にサミュエル・ピープスが書いた
「I did send for a cup of tee, (a China drink) of which I had never drunk before」
の一文が最初だと言われていました。
それを覆すかもしれないものが、実はつい最近見つかったのです!
場所はリーズ郊外にあるチューダー・ジャコビアンスタイルの「Temple Newsam」というお館。
見つかったのはショッピング・メモ、つまりお買い物リストなのですが、ここにはっきりと、「Apothecary(薬局)から4シリング ボトルのお茶を届けてもらうこと」と書いてあったのです。
見つけたのは西ヨークシャーのアーカイブに務めるキュレーターの女性だそうですが、300年以上経った今、また新しい記録が見つかるなんて、本当にエキサイティングなことですよね!
これまで最古とされていたサミュエル・ピープスの記述が1660年9月25日、このリストは1644年の12月8日のものですから、16年も古いものが見つかったわけです。
ちなみにこの後もオーダーは続いていたようで、12月15日、18日、21日に
それぞれ「another bottle of same」と書いてあるそう。
ここで疑問が2つ出てくるのではないでしょうか?
まず、何故薬局で??
実はお茶は昔は滋養強壮に、とか、万病に効く、という触れ込みで、東洋からやってきた神秘的な薬としてヨーロッパに紹介されたのです。
最初の広告も、書いてあるのはどんな効用があるかということだけ。
美味しい飲み物、趣味の飲み物だとは捉えられていませんでしたから、最初に販売されたコーヒーハウスという場所の次に販売が始まったのは薬局だったのです。
次にお値段。
当然ながら、この時代のお茶、半端ではないお値段です。
アフタヌンティーの広め役として有名な、ベドフォード侯夫人アンナ・マリアの住んでいたウォーバーン・アビーというお屋敷がありますが、ここの1658年のスタッフへの支払い明細を見ると、フットマンの給与が年間で£2〜6、エステート付きの弁護士が£20。それに対して1ポンド(約453g)のお茶が£26ですから・・・・・・。
貴族のお館の弁護士さんの年収をもってしても、500gのお茶が買えないのですからすごいものだと思いませんか?
そして、4シリング分だとは言え、こんなに高いお茶を頻繁にお茶を買うということは、もしかしたらこの時家族に病気の人がいたのかな?ということも考えられますよね。
もちろんクリスマス前の特別な来客用ということも考えられますが・・・・。
ちなみにこの2年前に領主のArthur Ingramが亡くなっていますから、彼の病気のためではなさそうです。
イギリスに住んで20年、お茶、そしてアフタヌーンティーをめぐって状況は大きく変わりましたが、こんな古くの歴史に新たな発見があるなんてやっぱり面白い。
遠くの国のお話ではなくて、自分が住む場所に繋がるものやこと、そんな感覚で感じられるのは、イギリスの紅茶のことを伝える立場としてはやっぱりとても幸運なのだな、と思うできごとでした。
紅茶ファンの皆さんを、いつか紅茶にまつわる場所にお連れして、色々な背景や当時の様子などもお話しながらご案内してみたいな、というのが夢です。