漢字を使うときに、例えば「えん」が入る漢字は「縁」にしてみたり、「き」は「輝」にしてみたりとか、自分の思ういい言葉に変換するという手法があります。

私は思うのですが、これは弱き自分を隠すだけです。

悪いモノは見ない、臭いものには蓋をする、そんな思想が見えてきます。

これで本当に心が救われるのでしょうか?
ニュースの音声レベルで叩き落とされませんか?

自分だけが理屈をこねてみて作っても、他の人が使う漢字はそのままであるという事実を鑑みる必要があるんです。

ここで大切なのはなぜその言葉に悪い印象を持つのか、自分を探る事と思います。

例えば仕事場で「ここに問題がある」と発言したときの状況を考えてみます。

外来語に置き換えて、「ここにクエスチョンがある」にしてみましょう。
ちょっと言い換えて、「ここにお題があります」やら、「ここに問いがあります」やら、「問いに答えよ」でもいいです。

なんかそれぞれ感覚が違いませんか?

これが概念の違いです。

「問題がある」と仕事場で言った場合、これが指し示すのは「ここに悪い部分があるから、(早急に)直してください」といった意味になります。用法的意味という訳です。

これだけでは「問題がある」という言葉は負の意味にはなりえません。関連の思考の癖が悪い方向に作用し、概念として完成された場合に悪い意味となります。

例えばこんな感じです。

「ここに悪い部分があるので、(早急に)直してください。これが貴方の仕事です。貴方は気づかなかったのはおかしいです。仕事の怠慢です。もちろん、貴方がいま抱えてる仕事は時間内に終わらせてください。そのスケジューリングは貴方が行うべきで、かつ、貴方が責任を持って、徹夜してでも1人の社会人として行うべきです。誰かに手を借りるのも仕事の怠慢です。そして、ここまで行うのは貴方が本来行うべき当然の仕事です。何ら評価には値しません」

くらいでしょうか。
自分を詰めまくりの思考となります。

これが負の念となり、概念となり、「問題がある」という言葉に拒否反応が発生するようになりす。

特にこの思考は「当然」という概念が凶器となります。
数式にしたらこんな感じです。

悪い(-10)+直す(+10)+前よりは良くなった等(+1)×(当然の事)0=0(評価なし)

救われません。
こういう概念こそなくしたいものではないでしょうか。

さて、こういった思い込みは全て心を説き伏せる、自分に対して説き伏せるしかないのです。

例えば、悪いといっていますが、そもそも悪いのでしょうか?管理がうまくいってませんがそれは怠慢では?人を褒めるのは管理の鉄則では?そんな感じで出来上がってしまった負の概念を一つずつ解きほぐしていきます。

問題って、なんでしょう?うちはただのお題と思います。

人生とは魂のミッションを行うものだとか考える人ならば次の人生のお題でしかないです。ゆっくり解決しましょう。

そんな程度です。

こんな言葉で負のエネルギーを発生する時間こそいりません。

こういった感じで、言い換え語よりも、その言葉に対する概念、思い込みを外してあげることが大切だと思います。


言い換え語は一時的な避難場所としては悪くはないです。

思い込みを外す作業に結構な時間がかかったり、幼少期の些細な思い出がトリガーになっていたりした場合は、膨大な数の記憶の洗い出し作業を行う事になる事もあります。

そんな作業を行う合間は言い換え語を作っておいて、それで一時的に傷を凌ぐのはいい選択とは思います。




明るい記憶の中の世界を追い求めて。