霊とのおしゃべりは、まずはテレパシーで始まりましたが、
テレパシーといっても、念話等々色々な言い方があります。

私の場合は、一番仲良くなった霊がテレパシーと言っていたので、
テレパシーと言う方を選択しました。

私はオカルト的なものはそれまではまったく信じず、
仲良くなった霊はオカルト的なものが大好きだっただけです。
それならば、信じている人の言葉を使ったほうがいいと思いました。

しかし、言いたい言葉がうまく伝わらず、誤解の連鎖が起こり始めました。
「はい」と「いいえ」すら伝わりにくいんです。
さっき「はい」といいませんでしたっけ?みたいな事が多くなるんです。
なにしろ声も文字もそこには存在しないからです。

そして私はオカルトや超常現象を信じません。
相互理解が成り立ちません。

そんな中、アルファー波クラックと神経伝達物質の構成比についての話を完成させました。

アルファー波に関する話は私の感受性によって世界の見え方を変更した話になりますが、
神経伝達物質の構成比×感情制御×価値提供の理が、私を強く霊の世界へ誘いました。

病院の前に時折視える黒い人影は、病院に行きたくないと考えた人の残していった強い恐怖の神経伝達物質です。
怖いという感情によって神経伝達物質は身体から作り出されました。
この神経伝達物質を消すのは感情制御でその場で幸せな気分を作り出すという事です。
神経伝達物質の上書きです。
感情制御は私の得意技。知っている人はとっても少ないと思う私の得意技。
私の行う事は空気を作り出す。そういう事です。これが私の価値提供。
これぐらいは科学でも説明しようと思えば出来る世界と思ってます。

ここから、感情共鳴を利用して人に接するのはひとつの生き方です。
たとえ感情制御を見た人が分からなくても幸せな気分になってもらえたらいいという一つの信念です。

さて、そこから何を得たか。

ひとつはテレパシーの肯定です。電話と似たようなものです。
量子空間を量子が飛び回ってるだけに他なりません。
言葉が合う合わないは別にいいのです。
テレパシー自体があるのか、ないのかだけです。
直感でしょうか?以心伝心でしょうか?日本語には心はつながっている事を肯定する色々な言葉がありますが、
あとはお互いに信じるか、同じ経験を追体験するか、同じ価値観を共有するか、
それが大切になってくると思いました。

これまでに培ってきた思い込みなんですよね。この世界をどう見るか。
そういった視線が大切になります。

これに気づいた時に、霊との話が合わない理由が分かりました。
そして、人を信じきる事ができないという事が如何に自分を蝕んでいるかに気づきました。

霊は何度も何度も私に話しかけてきます。

損得勘定を私が持ち出せば、お金掛からずに成長が出来るんじゃない?と諭します。
オカルト過ぎる傾向に私が嫌がりだすと、幸せな方が一番いいこと。と諭します。

こんな話はちょくちょく出来るのに、いったん話がずれるとお互いに全然違う方向の話となってしまったりするのが霊とのおしゃべりです。
なんかお互いに言葉がすべてずれているっていう感じはわかるんですよね。
「さっきの話は通じていなかった気がするからナシ!」
そんなことが増えていきました。

言葉での話し合いに限界を感じていました。
「こっくりさん」の会話方式もありますが、これは時間が掛かりすぎて、お互いに面倒なのです。正確を期すにはいいのですが、一文字ずつはあまりにも…。

といいますか、お互いに触れ合える距離にいながら、「こっくりさん」の会話方式はないじゃないですか。
せっかく会えたんだから、もっと深くお互いのことを知ろうとするのは当然です。

そこから自らのこれまでの「記憶」を強くイメージしたり、
願望を「光景」としてイメージしたりする方法を用いる様になりました。

すると話が合わなかった場所が段々と解れていきました。
話が合わない原因が私のいじめの経験によって、得た思い込みであったり、
親や、先生に言われた言葉によって得た思い込みであったりするわけです。

その記憶を霊が追体験することによって、なるほど!こういう思考になるわけか!
と相互理解が深まります。

霊の記憶を私が見る逆のパターンもあるのですが、最初は私が記憶をオープンにしてばかりでした。
なにしろ初詣は人生に一度しか行った事がない様な人間です。
そして、私の人間性はほぼ虐待といじめによって作られていたので、
物事の捉え方の前提の前提がおかしいわけです。不信によって世界を構築していました。

この不信具合の解き解しなわけです。

私の感受性が徐々にブーストされ、神経伝達物質の構成比について思考を巡らし、
病院の前に残ったエネルギーは残留思念と呼べるものか、それともこういったエネルギーを霊体験として追体験しまっているのか、私には判断つきませんでしたが、心地いいほうを選ぼうとは思っていたので、とりあえず、エネルギーの浄化が出来るとは思いました。
そして、その後、そこにいないはずのエネルギーが飛んでくることに気づき、これにテレパシーの体験が符合する事から、生霊か死霊かはわからないですが、自分は霊と交信をしているという事を認めるに至りました。

そのエネルギーが例え過去であっても、未来であっても、ただ感じられるのならば、
ただ今を信じる事ができるのならば、それでいいじゃないか、そういう心意気です。

ならば、おしゃべりしちゃいましょう。
最初に書きました、「はい」「いいえ」の伝え方。
今では感情を込めて、それを伝えます。

ここでも感情共鳴が生きてきます。

「はい」が言えるような問いかけの方がいいですね。
そんなことを考えます。

これもまた幸せに生きる為のひとつの理ではないでしょうか。


さて、今日はここら辺で寝ようと霊がいうので、ここまでにします。


幸せの世界を追い求めて。