今日はまたまた感情制御の話をしたいと思います。
他人にこの話をすると、色々と思いつきました。
感情制御とはまず、感情をコレクションして、アイテムとして使いこなすというのが一番の理念です。
よく「感情のコントロール」というお話を見聞きしますが、これは
・怒りを沈めること。
・泣きたい気持ちを抑えること。
・あまりはしゃぎすきないこと
といった「落ち着いて振舞うこと」を是とする考えのように思います。
そうではないので、私は「感情制御」と書いています。
まず、落ち付いた状態というのは幸せではない、その端的な事実を考えましょう。
幸せになるにはどのようにすればよいでしょうか?
落ち着いた気持ちで何かを成し遂げ、それが達成されたときに幸せを感じるのでしょうか?
感情制御はそういった落ち着いた気分を社会的な「死」と捉えます。
落ち着いた人は何も言わぬモノと変わりません。
引き出しにいれた自分から見えなくしたモノと同じなのです。
一期一会の思想は以前にも書きましたが、今会っていない人と同じなのです。
逆に「生」とはなんでしょうか。
それはずばり、感情的に生きるという事です。
感情的に生きるという事を肯定するという事です。
そうでないと、人は生きていない。モノいわぬモノと同様なのです。
感情制御は時に自分の感情を制する気持ちも使えますし、
自分の気持ちを敢えて爆発させたり、
相手の気持ちを敢えて制してみたり、そういった形にも使えます。
感情共鳴を利用した感情の制圧力というのは半端ないものがあります。
怒って部屋に入ってきた上司には声を掛けづらいものですし、
今超幸せな気分を振りまく人には怒ることや厳しい言葉すら語りかけることは出来ません。
感情制御を知らない人も、人知れず、皆感情によって相手を制圧しているわけです。
なら、何を選択するか、そう私は自分を問いただし、幸せによって、世界を制するようにしました。
さあ、制圧という単語を利用していますが、感情をアイテムとして利用して人に話すことはそれを意識するか否かを問わず弾丸のような制圧力を持つわけです。
この攻撃的な論理を私は「感情制圧の理」と呼んでいます。
最近の教育の現場では「叱る」より「褒める」といった理論がありますが、
これはあくまで、会話の方法論であって、感情に関する論理はあまり記述されないと私は思っています。
感情に関して考えるならば、「叱る」ではなく、「怒る」になりますし、
「褒める」に関しては、「うれしい」や、「楽しい」といった「笑顔は武器」という事を端的に示す会話論となると思います。
「笑顔は武器」…面白い言葉です。人を動かすやり方を武器と捉える。
今日は攻撃的な言葉を利用しているので、武器で考えましょう。
「叱る」より「褒める」のがいいのですから、
「怒る」より「うれしい」or「たのしい」方がいいわけです。
しかし、「優しい」や「温もり」といった方が私にはとってもいい感情の様に思えます。
3段階できたので、武器で分けてみましょう。
「叱る」はナイフによって、人を脅して、人を動かす、そういった手法です。
「褒める」はピストルを用いて、人を動かす、そういった手法です。
「優しく」は自動小銃を用いて、人を動かす、そういった手法です。
「笑顔は武器」ですね。「笑顔」+「優しく」などは強力な武器なわけです。
そして、こう考えたところで、「叱る」を用いたいとも思いませんよね。
ここにあるのは、"「感情制御」は「感情制圧」を生み、世界を変えさせる。"
そう言うしかないのです。
スタイルや顔のいいあの人、年収の多いあの人、所謂ステータスをもつ方々…
を妬んでいる間に、人を動かす力が減り、自分を人生の袋小路の世界へと向かわせているのです。
そのための対応策も感情制御です。そして、幸せで時間をまわしまくるというやり方です。
幸せな人は幸せな人を引き寄せて、幸せな世界を構築します。
ただそれだけなんです。
そして、感情が思考を呼び、思考が現象を呼び寄せるという法則です。
つまり、その頃にはもう以前の自分には簡単には戻れません。
だって幸せなんですもん。
あとはちょっと自分がトラウマや苦手意識のある部分を呼び寄せてきますが、ベースの感情が幸せなので、仕事のやり方、人付き合いの仕方、すべて変わった自分で対処し続けていきます。
感情制御がすべてを変えていきます。
これもまた果ての世界と思っています。
他人にこの話をすると、色々と思いつきました。
感情制御とはまず、感情をコレクションして、アイテムとして使いこなすというのが一番の理念です。
よく「感情のコントロール」というお話を見聞きしますが、これは
・怒りを沈めること。
・泣きたい気持ちを抑えること。
・あまりはしゃぎすきないこと
といった「落ち着いて振舞うこと」を是とする考えのように思います。
そうではないので、私は「感情制御」と書いています。
まず、落ち付いた状態というのは幸せではない、その端的な事実を考えましょう。
幸せになるにはどのようにすればよいでしょうか?
落ち着いた気持ちで何かを成し遂げ、それが達成されたときに幸せを感じるのでしょうか?
感情制御はそういった落ち着いた気分を社会的な「死」と捉えます。
落ち着いた人は何も言わぬモノと変わりません。
引き出しにいれた自分から見えなくしたモノと同じなのです。
一期一会の思想は以前にも書きましたが、今会っていない人と同じなのです。
逆に「生」とはなんでしょうか。
それはずばり、感情的に生きるという事です。
感情的に生きるという事を肯定するという事です。
そうでないと、人は生きていない。モノいわぬモノと同様なのです。
感情制御は時に自分の感情を制する気持ちも使えますし、
自分の気持ちを敢えて爆発させたり、
相手の気持ちを敢えて制してみたり、そういった形にも使えます。
感情共鳴を利用した感情の制圧力というのは半端ないものがあります。
怒って部屋に入ってきた上司には声を掛けづらいものですし、
今超幸せな気分を振りまく人には怒ることや厳しい言葉すら語りかけることは出来ません。
感情制御を知らない人も、人知れず、皆感情によって相手を制圧しているわけです。
なら、何を選択するか、そう私は自分を問いただし、幸せによって、世界を制するようにしました。
さあ、制圧という単語を利用していますが、感情をアイテムとして利用して人に話すことはそれを意識するか否かを問わず弾丸のような制圧力を持つわけです。
この攻撃的な論理を私は「感情制圧の理」と呼んでいます。
最近の教育の現場では「叱る」より「褒める」といった理論がありますが、
これはあくまで、会話の方法論であって、感情に関する論理はあまり記述されないと私は思っています。
感情に関して考えるならば、「叱る」ではなく、「怒る」になりますし、
「褒める」に関しては、「うれしい」や、「楽しい」といった「笑顔は武器」という事を端的に示す会話論となると思います。
「笑顔は武器」…面白い言葉です。人を動かすやり方を武器と捉える。
今日は攻撃的な言葉を利用しているので、武器で考えましょう。
「叱る」より「褒める」のがいいのですから、
「怒る」より「うれしい」or「たのしい」方がいいわけです。
しかし、「優しい」や「温もり」といった方が私にはとってもいい感情の様に思えます。
3段階できたので、武器で分けてみましょう。
「叱る」はナイフによって、人を脅して、人を動かす、そういった手法です。
「褒める」はピストルを用いて、人を動かす、そういった手法です。
「優しく」は自動小銃を用いて、人を動かす、そういった手法です。
「笑顔は武器」ですね。「笑顔」+「優しく」などは強力な武器なわけです。
そして、こう考えたところで、「叱る」を用いたいとも思いませんよね。
ここにあるのは、"「感情制御」は「感情制圧」を生み、世界を変えさせる。"
そう言うしかないのです。
スタイルや顔のいいあの人、年収の多いあの人、所謂ステータスをもつ方々…
を妬んでいる間に、人を動かす力が減り、自分を人生の袋小路の世界へと向かわせているのです。
そのための対応策も感情制御です。そして、幸せで時間をまわしまくるというやり方です。
幸せな人は幸せな人を引き寄せて、幸せな世界を構築します。
ただそれだけなんです。
そして、感情が思考を呼び、思考が現象を呼び寄せるという法則です。
つまり、その頃にはもう以前の自分には簡単には戻れません。
だって幸せなんですもん。
あとはちょっと自分がトラウマや苦手意識のある部分を呼び寄せてきますが、ベースの感情が幸せなので、仕事のやり方、人付き合いの仕方、すべて変わった自分で対処し続けていきます。
感情制御がすべてを変えていきます。
これもまた果ての世界と思っています。