甘えない
 逃げない
 全てを捨てる

 最近、ずっと頭の中をぐるぐる回る言葉

 ついこの間友人に言われたことだが、自分の強みは「無欲」らしい。ここからの解釈が正しいかどうかは分からないが確かに合点がいくところはいくつか思い当たる。

 正直、自分のことなんてどうなろうがどっちでいいと、いつからか考えている。今すぐに死ぬのは流石にまだ嫌だけど笑

 二十歳を過ぎた辺りに将来の妻となる人を決めた。そして、将来の職も二人の人生を鑑みて決めた。

 昔はもっとバッチバッチで、海外で自由に働くことを夢見ていた時期も長くあった。本気で夢見ていたことで、その空想に何度にやつき胸を踊らせたことか分からない。

 けれどそれはあくまで自分一人の人生の自由に許される選択であって、彼女と自分を一つの個体として見た時にはその選択を取ることを自分が許さなかった。お人好しかと言われればそうかもしれない。でも、そう容易く変わってしまった希望進路だったので、自分にとって本当に大切なことではなかったんだろうと思う。海外で働くということが。そもそも自分のために生きるということが。

 またこの頃少しずつ自分で意識していたことがある。それは自分を例えるなら何になるか?ということ。

 就活でよくある答えは「潤滑油」
 周りとの協調をうんたらかんたららしい。

 嘘つくなよな。
 潤滑油なんだったら、周りとの摩擦を繰り返していくことで自分も徐々に飛ばされて最後に消え去るけど、そこまでの意思の強さ。ないでしょ?イマドキの子に。

 で、自分の場合の答えとしては

 「貨幣」だった。

 貨幣はそれ自身に大した価値はない。
 紙にしても汚れを拭き取ったり、燃える程度だし、コインになると中学生が確率を学ぶ時に何百回と投げられるおもちゃ程度の仕事しかできない。

 でも、それがお金を媒体として商法とする人間の手に渡ると価値は一変する。それで贅沢ができる人もいるかもしれないし、ちょっとした笑みをこぼす人も、今日を生きていける人もいるかもしれない。誰かを幸せになる可能性を持っている。

 だが、誰にでも貨幣を、つまり自分の能力や時間や財力を渡していいのかというとそれは違う。人によってそもそもの効用が違う。そこを見極めないといけない。せっかく自分の中にある可能性なのだからそのちっぽけな可能性を最大限利用してくれる人、利用してくれる人に委ねたい。

 で、友人に言われたこと
 お前の強みは「無欲」だということ。

 合点がいく。

 自分にも他の人達と同じように、自他問わずに能力や時間や財力を利用し幸せになる選択はあると思う。

 でも、自己の効用の期待値がゼロに近いから自分に貨幣を投資することをしたくないんだと思う。そして、それを当たり前のようにどうしても共通理解を求めてしまうから、他者の自分に対する執着が醜く見えてしまうのだろう。

 けれど、貨幣はあくまでそれ単体では価値を持たない。使ってくれる人がいて、喜んでくれる人がいて、そして初めて意味をなす。ちょうどパフォーマーと観客のように。

 ならば、自分は自分の役割を果たす。
 他者は他者の役割を果たす。
 それをきっちりと尊重しないと。自分の存在意味もなくなってしまう。

 自分で出した生き方の答え、恥ずかしくないし悔しくもなんともない。
 ようやく自分が見えた気がしてなんだか不思議と清々しい。

 もちろん自分に欲がないと言えば嘘になるけれど、今すぐにでも叶う夢はといえばひなたでのびのびとお昼寝すること。

 将来の夢はというと、子供達がバタバタと暴れる中でこたつに潜ってお昼寝すること。

 そんな程度の夢しか持てないんだから自分のために生きることはやっぱし向いてないな笑
 
 でも、それでもいいや。