《マルクスは,『資本論』で,労働を「使用価値の形成者」「人間の生存条件」「自然的なものの取得Jとして位置づけつつ,それを「人間と自然との質料変換」を媒介する行為と捉えている。つまり,労働は質料変換そのものではなく,その条件・手段である。また, 「質料変換」は「人間生活の自然的条件」とも言い換えられ,人間生活と質料変換はほぼ同義として扱われている。》
ここは、かなりの概念的混乱が見れれる。
労働=使用価値の形成者=自然的なものの取得=人間の生存条件=人間と自然との質料変換を媒介する行為
質料変換=人間的生活の自然条件
ここまでを①とする。
①を前提にして、質料変換と人間生活をほぼ同義としてしまうと。
「質料変換≒質料変換の自然条件」とか「人間生活≒人間生活の自然条件」、「人間生活≒質料変換の自然条件」が成立することになるが、いずれも意味をなさない。
より正確には、《労働は、人間と自然との質料変換を行為によって媒介し、規制し、管理する一過程》であり、《労働過程は、諸使用価値を生産するための合目的的活動であり、人間の欲求を満たす自然的なものの取得であり、人間と自然とのあいだにおける質料変換の一般的な条件であり、人間生活の永遠の自然的条件であり、したがってこの生活のどんな形態からも独立しており、むしろ人間生活のすべての社会形態に等しく共通なものである。》
労働--ただし、社会的諸関係から抽象的に切り離されたそれーーは、人間と自然との資料変換を媒介・規制・管理する過程であることによって、この変換の一般的条件であることによって、人間生活の永遠の自然条件となっている。
《「質料変換」は「人間生活の自然的条件」とも言い換えられ,》という箇所が誤りなのである。人間生活の自然的条件は、社会的捨象し、対自然的側面だけを抽出した自然的な労働過程なのである。したがって、この自然的労働過程=人間生活の自然的条件が、人間と自然との質料変換を行為によって媒介・規制・管理するのである。
人間の生活の自然的条件…自然的労働過程…行為によって自然と人間との質料変換を媒介・規制・管理する過程
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┗ 行為のありようを歴史・社会的に規定する諸条件