1. 第一次世界大戦後~英国委任統治の開始(1917~1920年代)
- バルフォア宣言(1917年)
- 英国が「パレスチナにおけるユダヤ人の民族的郷土(1)の設立を支持する」と声明を出し、シオニズムを国際政治の場に引き上げた。
- サンレモ会議(1920年)と英国委任統治(1922年)
- 英国は国際連盟の委任統治下でパレスチナを管理し、シオニストの移民政策を支援。
- これにより、組織的なユダヤ人移民が進み始めたが、まだ大規模な衝突には至っていない。
2. 1930年代の移民急増とアラブ反乱(1936~1939年)
- 1933年のナチス政権成立以降、東欧やドイツからのユダヤ人移民が急増(1931年時点で17.8万人→1939年には47.5万人)。
- パレスチナのアラブ系住民は、自国がユダヤ人国家化する危機を感じ、1936年に大規模な「アラブ反乱」が勃発。
- 英国は反乱を鎮圧しつつ、1939年に「白書」を発表し、ユダヤ人移民を制限しようとする。
→ この段階でパレスチナの人口・土地所有比率が大きく変動し、衝突が顕在化。
3. 1947~1948年:パレスチナ戦争とイスラエル建国
- 国連のパレスチナ分割決議(1947年)
- 国連がパレスチナを「ユダヤ国家」と「アラブ国家」に分割する決議(国連決議181号)を採択。
- アラブ側は反発し、シオニスト武装組織(ハガナー、イルグン、レヒなど)がアラブ系住民への攻撃を本格化。
- ナクバ(1948年)
- イスラエルの建国と、それに伴うパレスチナ人の大量追放(70~80万人)。
- デイル・ヤシーン虐殺(1948年4月)など、アラブ系住民への暴力的排除が行われる。
→ イスラエル国家の建設を通じて、パレスチナ人の組織的な排除と領土拡大が決定的に進行。
ーーーー
(1)この段階では、シオニスト自認する人々の間でも①同信集団にすぎないユダヤ教徒を「ユダヤ民族」とする、②この「ユダヤ民族」という虚構を前提として樹立される「単一民族国家」こそ「民族的郷土」である、という二つの妄信は圧倒的な支持を受けていたわけではない。むしろこの時点での「民族的郷土」は、信者が迫害を逃れた平穏に暮らせるコミュニティを意味する場合が多かった。尤もそれはユダヤ教徒や世俗派ユダヤ系市民の立場であって、イギリス帝国主義が別の目論見をすでに持っていた可能性はは除できない。