【改定】「主客二元論の克服」と〈労働と対象化〉 | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

You created these problems
And you don't know what to do
You know you can solve them
1.自己と対象は、どちらも対象的自然。自己は、自己意識である以前に有機的身体、対象は非有機的身体。
 
2.マルクス労働論の主たる問題意識は、観察者の立場の批判におかれていた。
 
3.システム原理としての本質的矛盾は、労働の矛盾、すなわち疎外された労働である。
 
4.対象を自己の非有機的身体として組織化することは労働によってのみ可能となる。自己意識にそれはできない。
+++++++++++++++有井行夫「労働に即する社会把握の復権のために」(大谷編『21世紀とマルクス』桜井書店、2007年所収)
 
 
自己意識としての自己意識の立場、すなわち観察者の立場とは、自己の問題意識に相関させて対象を恣意的に設定したり、解消したりすることに終始する態度を言う。
 
実践的に対象を捉えるものではなく、対象をその本質に即して把握する代わりに、対象に自己認識を投影して終わる。
 
「主客二元論の克服」が提唱される場合、ほとんどは、無自覚的であれ、自覚的であれ「主体(主観)」が「客体(客観)」を包摂する構図で「克服」がなされることになっている。
 
直観的には「正しく」見えても、具体的な産出物、成果に乏しいのが実情だ。
 
対象に即して正しいのは、有機的身体(人間的自然、実在的な自己)による非有機的自然(環境的自然)の包摂である他の人間諸個体や非有機的身体としての環境的自然(人工物を含む)を自己の身体を媒介させること、すなわち労働実践の一つ一つが主客二元論の克服なのである。
 
そして、この実践は、ハイエクのいうノモスへの配慮そのもの、設計的人為ならざる自生的秩序に従うことに他ならない。
 
※ピンポイントですが、内容的には重大な変更をしたので旧稿は破棄します。
 
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自生的秩序の思想家、安藤昌益先生の自然真営道