日本共産党のように訳語だけすり替えて御終いにしては、かえって事柄の本質が理解されなくなるのですが、しかし、「独裁」の語が、マルクス・エンゲルスによって主張されている内容を誤解させるものであったことは事実です。Diktatur des Proletariatsは、代表制議会がブルジョア独裁であるのと同じ意味で階級独裁です。
白紙委任の代表制は、すでにルソーが喝破したように権力の受託者が全権を掌握している期間中に自己の権力地盤を強化できます。地盤・看板・鞄を盤石にし世襲体制を構築するのです。これでは、選挙民はどの奴隷主に我身を預けるかを定期的に決めることができるだけです。
Diktatur des Proletariatsは、これに対抗する措置です。その枢要は、(1)白紙委任に対置される拘束委任制度(派遣制、代理人制)、(2)主権者から自立化した権力の走狗となりがちな官僚制にまでこの代理人制を適用すること、この2点です。つまり、権力の受託者を主権者が恒常的に規制する仕組みです。
《人民代表と〈国家統治者〉を全人民が選ぶ普通選挙権それはMarxistの, そしてまた民主主義派の最後の言葉だが, 統治する少数者の専制を隠蔽する嘘であり, それが所謂人民の意志を表すかの様に見えるだけに, 尚更危険な嘘だ。そこで結果として, 特権的少数者が人民大衆の大多数を指導する事になる。》 ( バクーニン『国家制とアナーキー』 )
〈代議制民主主義+官僚制〉=ブルジョアジー独裁に対しては、この批判はかなり妥当します。問題なのは、バクーニンが、ブルジョアジー独裁独裁のコアである代議制を的確に批判しながら、それに対する対抗措置である、マルクスの派遣制度との決定的な違いを理解できず、両者を混同してしまっていることです。
そのため、バクーニンは、B独裁に対する対抗措置を自らは提起できないか、できたとしても恐らくは、マルクスと実質的に変わらないものになるでしょう。バクーニンがこの問題もっと深く掘り下げていたら、おそらくマルクスとかなり近い見解に到達したと思われます。