【知恵袋】「資本主義の矛盾って何が矛盾しているんですか?」 | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

労働の社会的性格と私的形態との矛盾です。

労働の社会的性格には、二つの側面があります。

1.他者依存性(他人の協力を必要とする)
2.社会的有用性(他人の必要を満たすことができる)

このうち「1.他者依存性」は、さらに二つの内容に分かれます。労働能力の形成過程とこの能力の発揮(労働遂行)過程、それぞれにおいて、労働は他人の協力を必要としています。

こうした労働の社会的性格は、人類誕生以来、継続している事柄です。ただし、一定不変というわけで葉ありません。他者依存性は、歴史とともに強まったり弱まったりという変化が認められます。社会的有用性は、対象となる他者の範囲が広がったり狭まったりしています。

資本主義においては、それ以前の社会に比べ、他者依存性ーー特に労働遂行におけるそれーーが格段に強まります。つまり、集団的労働が一般化します。また、社会的有用性も、その範囲が著しく拡大します。国境を越えて世界中の人々を対象として、その必要を満たすことができる労働が行われています(必ずしもし成功するとは限らないので、より正確には、「満たすことを目的として」というべきかもしれませんが)。

その一方で、資本主義における労働は、私的労働として行われています。何をどれだけ、どのような方法で作るかは、労働過程を支配している人間が勝手に決めることができます。独立自営の人は、自分自身の労働過程を支配し、資本家は、自分が雇った他人たちの労働過程を支配しています。

いうまでもなく、後者が次第に優勢なる傾向があります。

資本主義においては、その能力が社会的に形成され、能力の発揮も社会的、協同的行われるものである労働が、その成果も含め、私的個人や私的グループ(複数の資本家が1人格のように振舞う「法人」)によって私物化されています。

そのため、社会的必要の充足も、偶然性にゆだねられています。需要に対して供給の過不足が常に生じ、価格による調整では埋められないギャップが景気変動を生み出します。過剰な生産能力(雇用労働者と設備)が大きくなりすぎたとき、恐慌を通じて雇用と設備の暴力的廃棄が行われるのです。

また、私的な労働過程では、資源や労働力の浪費に対する社会的規制が不十分となります。過労死などは、そうしたことに起因しています。

矛盾の現象形態には、まだまだ、多くの事例がありますが、さしあたり、恐慌と過労死の二例にとどめて起きます。

 

 

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