マルクスの歴史の五段階説について質問です。
例えば、古代奴隷制で階級闘争が起きて中世封建制に移った時はまだ階級があるのに、近代資本主義社会から共産制社会に移った時は階級がなくなるのは何故ですか。
逆に古代奴隷制から中世封建制に移った時はまだ階級があるのは何故ですか。
五段階説という解釈自体が、今や時代遅れですが、それはともかくとして、階級関係の発生、存続と消滅にはそれなりの条件があります。階級関係が発生するかしないかは、直接生産者たちが、彼らが生産に当たって生産活動に必要な生産手段にどのように働きかけるかに依存します。
アジア的、古代的、封建的という3つの生産関係においては、生産手段は、原則的に共同体に属するものとして、労働する諸個人によって取り扱われますが、その共同体自体が、労働しない諸個人によって、何らかの形で支配されていることから、現場作業に携わる労働する諸個人(=直接的生産者)は、その限りで他人の意思に従って労働せざるを得ないことになります。
上記三つの生産関係は、共同体を基礎としており、その限りで直接生産者たちが、伝統や仕来りに従って、労働遂行に必要な諸手段を自分と一体不可分のもの、自分自身の身体の延長のように扱うという点においては、共通性を持っています。
共同体の成員同士の間では、階級関係は、存在しません。しかし、それら共同体が、丸ごと他の共同体の支配下にはいる、そしてそのような共同体間の支配隷属関係が、階層的にピラミッド状に積み重なっていって、天辺にはある一つの共同体、または個人が積み上げられた諸共同体の総体を支配する(アジア的/これは、僕の個人的な解釈で、アジア的生産関係をマルクスがどんなものと考えていたのかは、議論が分かれます) 、奴隷所有者である農民たちが軍事的・政治的共同体を形成する(古代的)、自営農民の共同体を領主層が支配する(封建的)、というように、共同体が共同体のまま存続できずに、支配隷属関係を伴うものに変質し、直接生産者の生産諸手段に対する働きかけが、彼ら自身の意思、彼らが属する共同体の意思(慣習、仕来り)に従ってではなく、別の諸人格の意思に従って行われるようになっている状態が、階級関係です。
近大ブルジョア社会(=資本主義社会)は、この階級関係を完成させます。共同体を完全に解体し、労働する諸個人と生産諸手段を完全に切り離し、労働する諸個人は、毎日の労働において取り扱う生産諸手段を、完全に他人の、すなわち自分の雇い主の意向従って取り扱うことを余儀なくされます。もちろん、細部については、彼らの自主的判断の余地も与えられていますが、その範囲は当然ながら雇い主が決めます。
アソシエーション革命は、このような生産手段と労働する諸個人との切断を、克服し、個人的所有を再建することを最も核心的な内容としています。資本主義後の社会、アソシエーション社会においては、労働遂行に必要な諸手段は、再び労働する諸個人が自分の身体の延長であるかのように取り扱うところのものとなるのです。
具体的には、協同労働のための協同組合を組織し、生産諸手段を協同利用の対象として取り扱うという方法が主なものになると思われます。
生産手段も労働力も労働する諸個人が協議のうえで自分達の意思に従って協同利用することになるので、他人に労働力を売ることはなくなります。
労働力が商品でなくなる以上、他人の労働力買って、自分の意思に従った労働をさせ、収益を上げるという資本主義的経営は不可能となり、資本家は消滅します。
草莽崛起(The Rising Multitude)