唯物論的歴史観の公式を解説してみた♪ -その4- 生産力と生産関係 | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっするといままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになるこれらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変するこのとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。》

〇 「いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる」…「それ」は、「社会の生産力」を指す。「社会の生産力」は、その発展段階に対応した生産関係の中で運動を始める。言い換えれば、人々は、自分たちがその段階で発揮できる生産力に適合した生産関係を形成して生産を行い、生産力を作動させ、発揮するのである。この時生産力は、この既存の生産関係の中で、最初の発展段階にとどまるのではなく、徐々にであれ、急速にであれ、さらに発展・向上していく。その結果、その生産関係の中では、それ以上の発展が不可能な段階に達する。これまで生産力の発展・向上を助けてきた生産関係が、逆に生産力の発展を妨げるようになることを、マルクスは、生産力と生産関係との「矛盾」と表現している。
 
〇 「これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する」…「桎梏」とは、手錠などの拘束具のことである。生産力のそれ以上の自由な発展を妨げるようになった生産関係は、人の自由を奪う拘束具のようなものだという意味である。ここで、注意するべきは、「一変する」という指摘である。生産関係は最初から生産力の発展や向上を妨げるわけではなく、あくまでもその生産関係の中で生産力が一定のレベルまで発展・向上した結果、それ以上の発展を妨げるようになるのである。

 これは、たとえて言えば、幼児の衣服が、体温低下などを防ぎ、幼児の健康を守ることで、幼児の成長を助けるが、幼児の身体が十分に成長すると、それまでのサイズの服では、かえって幼児に窮屈な思いをさせ、成長の妨げになり、より大きなサイズの服に取り換える必要が生じるのとよく似ている。また、カニや蛇のように脱皮する生物の、身体の成長と殻や皮膚との関係についても同じことがいえる。

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〇 「社会革命」「社会革命」とは、「経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、、くつがえる」ことである。上の図は、このうちの「経済的基礎の変化」だけを表している。この生産関係の変化に伴って、政治制度や法体系も変更される、それが社会革命である。Iの部分の解説で述べたように上部構造(政治制度や法体系)には既存の生産関係を保護する役割がある。既存の生産関係が生産力のそれ以上の発展の妨げとなってきているのに、上部構造は、時代遅れとなりつつある生産関係を守る傾向がある。新しい生産力とそれを発展させることができる新しい生産関係を定着させるためには、古い生産関係だけでなく、それを保護している上部構造も取り払って、新しい生産関係にふさわしいものに取り換える必要があるのである。

※ 17~18世紀の西ヨーロッパ諸国では、生産関係が、共同体を基礎とする人格的な依存関係から資本主義的な生産関係(商品生産関係と資本賃労働関係の組み合わせ)に移行したことに伴って、政治制度も騎士・貴族の支配するものから、市民による民主主義的政治制度へと変更された。これが、いわゆる市民革命、イギリスのピューリタン革命や名誉革命、フランス大革命などである。日本の明治維新についても、異論唱える研究者はあるが、同様に共同体を基礎とする人格的存関係から資本主義的生産関係への生産関係の転換に伴う、政治的変革の過程であったとみてよいだろう。明治維新も一種の社会革命だったのである。