古典派経済学の特徴 -その2 - | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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科学としての経済学の始まりである古典派経済学の創始者のひとりアダム・スミスは,労働価値説を唱えました。人々の日々の暮らしに役立つ商品やサービスのほとんどは,誰かしらの労働によってこの世に生まれてきます。労働なしでも役に立つものもあります。例えば,空気や太陽光線です。でも,それらには「値段(価格)」がつきません。労働抜きで手に入るものは「値段」がつかずタダ[1]になる場合が多いのです。スミスは,資本主義に到達したり,それに近づきつつある社会(彼はこれを「文明社会」と呼んだ)では,人々は自分の労働の成果を交換し合って生活しており,その際,労働が交換比率の基準(尺度)になっていると考えました。


リカードは,古典派経済学を完成させた人物とされています。彼はスミスの時代にはまだ目立っていなかった,資本家と労働者の階級的利益の対立(例えば,資本家は労働者がなるべく安い給料でなるべくたくさん働いてほしいと望み,労働者は逆のことを望む)が,例外的なことではなく,ごく当たり前に起こってしまうことだと認めたうえで,それは,資本主義の問題点ではあるが,それ以上に資本主義にはよいところ[2]があると主張しました。


シスモンディは,はじめ「自由放任」論を強く支持し自国であるスイスにその理論を熱心に紹介していたのですが,産業革命直後のイギリス社会の状況を知って,資本主義の抱える問題点や矛盾[3]は資本主義の存続そのものを危うくするという主張を展開しました。それに対してジョン・ステュアート・ミルは,労働者階級が不当に劣悪な状態に置かれていることを認める一方で,資本主義の発展の最終的な結果(遠い将来)においては労働者の地位も向上するとの考えを示しました。


俗流経済学は,そのような資本主義の問題点を基本的には一切認めず,彼らの目の前にある資本主義がそのままの状態で理想的な社会状態を実現しているものとして正当化しました。


こうした流れを受けてマルクスは,次の3つの柱をもつ理論を展開しました。3つの柱とは,資本主義的な生産形態の独自性の解明労働を基礎とする社会観の徹底経済構造の分析を社会の総体的把握の基礎とする考え3つです。そして資本主義は必然的に別の社会的な仕組みに転換すると結論づけました。


 さて,以上は,古典派からマルクスまでの〈社会経済学〉の流れでした。そこでは,資本主義という経済の仕組みは,今後も維持可能かどうかが主要な争点でした。次は,〈エコノミクス(近代経済学)〉です。



[1] このように人間の生活に役立つにもかかわらず,タダで手に入れることのできるものを「自由財」と呼びます。

[2] “労働者の衣食住に必要な商品が軒並み安く上がりに生産できるようになれば,安い賃金でも労働者は生活水準を下げずにすみ,他方資本家も人件費が安くて済む分利益も増え,両者の利益の対立はかなり緩和される。そんなことが成り立つ可能性があるのは,資本主義くらい”,とまぁざっとこんな考え方です。

[3] 労資の利害対立,そこからくる労働争議や繰り返される不況(恐慌)など。これらを避けるためには資本主義以前に立ち返るべきとの考えも示した。







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