【J.O'Neil 論文】 文末注(2)--ノイラートの論理実証主義批判-- | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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4.  エセ合理主義に対する批判を展開する際の、ノイラートの主要な標的のひとつは、ポパーであった。ノイラートは、ハイエクが悪い仲間と関わっていると非難している。
《あなたは、論理実証主義(私は、論実証主義という語は用いないことにしています。なぜならコントとその「一族」はまさに絶対論の教義を喧伝したのであって、政治的にもそうだったからです。したがって我々と彼らのつながりを断ち切ることが我々にとってより教訓的であると考えます)は、本質的に「多元主義」であるとみなしています。ところが、ポパーは本質的に絶対論者です。思い起こしていただきたいのですが、彼は、唯一「最善」の世界像が存在すると考えています。彼は、否定的性格の事例を孤立的に取り出して、それによって仮説を決定的に棄却できるなどと考えているのです。彼の著書についての私の論文をお読み下さいましたか?…私には、自由と寛容の戦士であるあなたが、どうして私のような、全体主義をその根元から破壊しようとする者ではなく、絶対論者の学者たちと完全に一致しているとお感じになるのか、不思議でなりません》(Neurath to Hayek 26.7.45 in Neurath 1945b)
 
ノイラートがここで言及している論文とは、「エセ合理主義という偽造物」(Neurath 1935)である。ポパーの反証主義は、思考の領域におけるエセ合理主義に他ならない。それは、有効な科学的議論は、真理の候補[から真理でないものを]明確に棄却する一連の演繹的規則の中で捉えることができるという信念から生じている。