ノイラートの議論の意義…再び認識論上の議論へ(6)【J.O'Neil 論文】 | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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Economy and Society Volume 32 Number 2 May 2003: 184-206
Socialism, associations and the market
John O'Neill


 
しかしながら、ホジソンが、非市場型社会主義に対抗して提起するもうひとつのより有力な議論がある。彼は次のように書いている。《社会経済システムは、本質的に且つ不可避的に、歴史的に階層をなし、深く相互に絡み合った諸制度と諸慣例から成り立っている。社会がより高度に発展するほど、制度はより複雑になり、絡み合いはさらに深くなる》(Hodgson 1998: 429)
 
私は、この点は、ホジソンが挙げるものとは別に、非市場社会主義者に対して深刻な問題を提起していると考える。それは、生活の全領域で市場関係とその規範が絡み合う度合いの問題である。伝統的マルクス主義の、廃棄されるうる市場という殻の中で存在し成長する社会化された経済というイメージは、ノイラートが社会化計画を作成したころに比べ、いまや妥当性を失いつつある。むしろ、市場関係は、全領域に広がっている。要するにそれは、技術的埋め込みと同種の社会的埋め込みの形態のようなものである。
 
市場的秩序は、それが最善のものであるから必然的に生き延びているのではなく、あらゆる人間関係に深く結びついているために、オルタナティヴの構築は、その実現はおろか考えることさえますます難しくなって来ているから生き延びているのである。規範の適用範囲の、歴史上のそして生活領域上の局所性というものは、次第に想像し難いものとなっている。
 
しかしながら、依然として社会的・経済的関係の非市場的諸形態ー贈与経済から社会的承認の公共的ネットワーク、科学者コミュニティ、親族関係、協同組合etc.までーが存在する。そして、それらの存在を前提するなら、ホジソンの議論は、二つの方向に向かうことになるだろう。ひとつは、こうした社会的多様性の境界を守りつつ市場的秩序を受け入れる方向である。もうひとつは、市場規範と所有権の拡大に対する最近の抵抗に結びついている。市場規範と所有権の拡大には、社会主義的未来の可能性を持つ――そして、知的自由を守り、協同活動の領域を確保し、価格付けできない環境財を維持する――社会的多様性を毀損する可能性がある。
 
この意味において、最近の反資本主義運動の否定的性格――何を支持するかよりも何に反対するかにおいてより明確であるという性格――は、完全な弱点であるとみなされるべきではないだろう。むしろ、それが擁護しようとする非市場的生活形態の多様性は、可能なるポスト資本主義的未来の一層多元主義的なイメージを指し示しているのである。そして、この見方によれば、ノイラート独自の社会化計画は、ノイラートの時代とは全く異なる、我々自身の目前の状況に適用できないことは明らかであるが、多元主義と経済的寛容に基づく可能なる未来の構造についての彼の説明は、それらの運動に対して大いに推奨されるべきものなのである。