(承前 ハイエクとノイラート)市場のない諸アソシエーション その2 | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

 
Economy and Society Volume 32 Number 2 May 2003: 184-206
Socialism, associations and
the market
John O'Neill


 
☆ハイエクとの論争の中で、アソシエーション主義は、自由と多様性を促進するということを根拠に擁護されている。
 
私の論文、「自由のための計画」において、次のことを強調しようと私は、努めた。計画は、個人に対するこれまで聞いたこともないような抑圧と結びつくことがあり得ること、しかし、また、それは、我々をこれまで聞いたこともないほど自由にできる場合があること、そして、この「自由」とはすなわち、可能限り多様な生活様式、計画諸機関によって支えられる非順応主義であること、などである。(Neurath 1945a)
 
この点は、彼の論文「自由のための計画」において、権力と忠誠との多中心性の喪失に関連付けられている全体主義についての今ではよく知られている分析によってさらに発展していく。それぞれに配分された機能と権限を持つ多種多様なアソシエーションの存在が、自由のための制度的条件として擁護されている:
 
民主主義国の「自由」はそれぞれのメンバーが、例えば、彼の家族に、彼の地域共同体に、彼の政治的な仲間に、彼の教会に、彼のロッジの集会に、国際運動にそして彼の国に、というように一つ以上の忠誠心を持つことを認められるという事実によって説明できるだろう。民主主義国においては、市民がどのようにこれらの種々の忠誠を処理して、そしてどのようにしてそれらを組み上げるべきかを知っていると期待してよい。(Neurath 1942: 429)
 
独裁的、全体主義的レジームの基礎は、「他のものへの忠誠心を『滅ぼし』てしまうようなたった一つの忠誠心へと向かう傾向、そして、多様な忠誠心が相並んで成長していくことが許されないということのうちに存在している」(Neurath 1942: 429)。全体主義についての、この今や耳慣れた説明は、「市民社会」という語で表現されてきた。ノイラートのバージョンの重要性は、諸アソシエーションが繁栄することと交換関係が栄えることとの間の明確な区別、「市民社会」という用語の最近の用例の多くがぼやけさせてしまった区別を維持する点にある。
 
彼は、我々は国家計画あるいは「『貨幣秩序』の国際主義」を選択しなくてはならないという、20世紀の政治的な思考と活動の多くにつきまとった仮定を斥ける。確かに、ノイラートは、貨幣秩序自体が画一性の一定の種類を生成する傾向があることを示すために論点を変える傾向がある。