市場のない諸アソシエーション:理論と実践 その1 (ハイエク、ノイラート) | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

 
Economy and Society Volume 32 Number 2 May 2003: 184-206
Socialism, associations and
the market
John O'Neill


 
☆社会主義のアソシエーション的モデルは、ギルド社会主義の運動と結び付けられることが多い。アソシエーション社会主義を目指すノイラートの独自路線は、イギリスのギルド社会主義運動とは別のものである。それは、彼の父、ヴィルヘルム・ノイラート(5)の凡カルテル主義とラーテナウ流のギルド社会主義に負っている(Neurath 1920a1920b)。しかしながら、ノイラートは、イギリスのギルド社会主義に対して、特に彼らが自治に重きを置いている点に、少なからず共感していた。
 
1921年のコールとテイラーの著書への書評でノイラートは書いている:「中央ヨーロッパでは、自治の理想に対する感覚の鋭敏さは不十分である。多くの人々が、住居、食糧、衣服、教育、娯楽、公衆衛生についての、信頼に足る社会主義的公僕からなる軍隊による社会主義的分配に対して、これら経済諸分野の自治と同じ程度の賛意を寄せている」(Neurath 1921)
 
だが、ノイラートは、二つの主要な理由により、ギルド社会主義者によって提起された社会主義のモデルを退けている。第一に彼は、ギルド社会主義者たちが市場を引き続き受け入れている点で、これを拒否した(6)。より一般的には、諸協同組合が競争を余儀なくされる市場経済は、社会主義を実現できないだろうというマルクス派の伝統的議論に彼は従ったのである:「社会化の後も、個々の経済機関が広範囲にわたる自治権を保持して、それらの間で商品と貨幣を交換するなら、これは資本主義的経済行為に従事することになるだろう。その時、個人の資本主義は、集団の資本主義に席を譲るだろう」(Neurath 1925)
 
第二に、幾分明確さに欠けるものの、ノイラートはギルド主義者の提起した社会主義モデルの国家主義に対しても批判的である。G.D.H コールの「ヨーロッパ、ロシア、そして未来」(London: Gollancz,1941)への傍注でノイラートが繰り返し批判しているのは、計画経済の単位を国民国家に集中させる傾向である。典型は、コールのヨーロッパ経済のための計画へのノイラートのコメントである:「なぜ、権限が重複してはいけないのだろうか?国家に対する物神崇拝は、見過ごせない」。ノイラートのアソシエーション主義は、国家的領域に基礎を置く単位ではなく、重複的に機能する計画諸単位を中心に据えている。地理的範囲よりも機能に着目する考えは、第1大戦後の著作の、軍国主義への対策として書かれた部分で紹介されている。
 
世界社会主義の社会では、諸々の生活分野は、分離不可能な国家の諸単位となることなく、最も多様な仕方で互いに関連付けられることになるだろう。例えば、航行可能な大きな河川の沿岸域が建築、輸送と生産のために一つの行政単位を形成する段階に我々は至るかもしれないし、それに対して教育は依然として言語に依存しているかもしれない。例えば、国家的な領域は、保健行政の管轄領域とは異なる境界線を持つかもしれない。習俗、慣習、ものの見方や法的制度等のよりくっきりとした境界線が現れる限りにおいて、それらは、武装保護下にある主権の境界線である必要はない。諸国家の獰猛な性格を根絶する方法は、これ以外にない。(Neurath 1928:271)
 
このアソシエーション主義は、ノイラートの著述を通じて発展していった。それは、のちに、1949年の彼の小論「自由のための国際計画」のうちに表れた。その中で彼は、分散的で重複しあう計画を進める諸機関を支持し、権力と機能の国家への集中に反対した。