”マルクス主義者よ、反論できるか。”--ええ、できますよ! | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐…それは資本の国家を愛すること。。。自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!
The Rising Multitude


 

いわゆる「マルクス主義者」ではないつもりですが、マルクス派ではあるのでお答えします。

 

福祉国家を目指すこと自体には、特に反対ではないので、その点に関しては反論の必要を感じません。ただし、福祉国家は通過点に過ぎないとも思います。問題は2点。搾取を放置して暴利だけをピンポイントで処理できるのか、それがもしできるとしてもそれだけで十分なのか――ということです。

 

さて、搾取と暴利の定義、別エントリーで確認いたしました。どちらも不等価交換によるものと考えておられるようですね。しかし、不等価交換だけでは、価値(GDPで考えてもよい)は増殖しません。

誰かの利益は、他人の損失となり、既存価値の奪い合い、ゼロサムゲームにしかなりません。

残念ながら、現時点において「労働主義」の「資本主義論」には、〈生産〉概念がなく、すべてを〈交換〉で説明しようとしているため、"〈搾取〉と〈収奪〉を区別すべき"との宣言はあっても、事実上両者は混同されています。

「労働主義」の理解に立つ限り、両方とも、等価交換原則を何らかの方法で徹底させれれば、解決することになるからです。

 

搾取は不等価交換ではありません。交換過程の問題ではなく、労働力の消費過程=資本の生産過程の問題です。

 

労働力の価値通りに支払って、労働力の価値以上に労働させることで、価値の増殖がなされることをいいます。

 

マルクス派は、あらゆる学問的批判を歓迎いたしますが、批判のためには、まず批判対象を正しく理解することから始めていただく必要があります。

 

ところで、どうして労働者は、暴利をむさぼる資本家から生活資料を購入してみすみす、収奪される羽目になっているのでしょうか。

 

それは、労働力を商品として売ってしまったため、生活資料を自分で生産することができず、労働力を売って得た賃金で生活資料を買うしかないからです。

 

つまり、搾取が暴利の前提なのです。

 

確かに、生産過程=労働力の消費過程と切り離して、交換及び部pン敗の問題として暴利を解消することは理論的には可能です。等価交換原則を徹底し、これを破ることを禁止するか、あるいはご提案のようにこの交換を規制する代わりに、暴利の結果に課税して被害者に再分配すればよいのです。

 

仮にそれによって暴利が解消できても、搾取による資本の増殖を止めることはできません。資本はこの増殖によって得た資金で国の政策、政治家、メディアを操作できます。結果、暴利に対する規制も完全な実施には至らないでしょう。ガス抜き、アリバイ程度の内容にとどまるはずです。

 

おっしゃるとおり、搾取と暴利は別物です――残念ながらあなた御自身はその違いが理解できていないようですが――。しかし、暴利の基礎に搾取があるのです。暴利だけを問題にする姿勢では、暴利そのものの解消も覚束ないという事実を直視すべきでしょう。

 

 

 

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