草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐…それは資本の国家を愛すること。。。自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!
The Rising Multitude

「士は武士なり。君下に武士を立てて衆人直耕の穀産を貪り、若し之れを抗む者あれば武士の大勢を以て之を捕縛す。是れ自然の天下を盗むが故に、他の己れを責めんことを恐れてなり」(安藤昌益)

 



「侍をして国中にあらしむべからず」(播磨土一揆)




「君民の共に重んずる所は社稷である。社稷を重ぜざる民は民ではない。社稷を重ぜざる君は君ではない。」

「君を主とするから、暴君政治の弊が起る。民を主とするから、賤民政治の弊が起る。」

「憲法即ちコンスチチューシヨンといふ語は、本質といふ意味である。國の本質は、社稷の外にはない」 (権藤成卿『自治民範』平凡社、一九二七年、二七八~二七九頁)。

 



 一君万民 : 一人の君主の下では、他のすべての人々は平等であるという思想。

 

 吉田松陰は「天下は一人の天下なり(天下は天皇のもの)」という一君万民論を説いた。これは、幕藩体制下の身分制度を否定し、天皇の下で全国民(万民)が平等に国難に立ち向かうべきだという思想である。

 奇兵隊は、この「一君万民」の精神を軍事組織として体現したものだといえる。武士だけでなく、農民、町民、力士、僧侶など、志があれば身分を問わず入隊を認めた。これは、藩(封建社会)の兵ではなく、天皇と国家のために戦う「万民」の結集を意味する。そこでは、 力量中心の編成を行い、旧来の家格を無視した運用がなされた。後に明治政府が行う「四民平等」や「皆兵制」の先駆的モデルと評価されることが多く、一君万民論が目指した「身分を超えた国民国家の形成」への第一歩であったと言える。ただし、実際の運用面では、依然として給与や服装に身分差が残っていたという指摘もあり、完全な「平等」というよりは、「一君(天皇)」への忠誠を大義名分として、既存の身分制を突破するための手段として機能した側面が強い。

 

君民共治:君主と人民が共同で政治を行うという考え方

 

 明治初期の政治家、特に大久保利通らが提唱した国家構想で、欧米列強に追いつくための富国強兵・殖産興業には国民一人ひとりの自発的な活動が不可欠であり、国民を抑圧する絶対君主制でも、完全な民主政治でもない、日本独自の「君民共治」という統治形態が適していると考えられた。君主の権威の下、一定の制限付きながらも国民の政治参加(例えば府県会の設置など)を認めるという、立憲君主制的な性格を持っている。 

 

権藤成卿の自治主義的「君民共治」論:天皇の権威の下、国民一人ひとりが自発的に地域の「自治」に参加し、共同で国の政務に当たるべきだという考え方

 

 大久保利通らが唱えた上からの制限的政治参加としての「君民共治」とは異なり、西洋的な民主主義や個人主義に対抗し、日本の伝統的な共同体的な精神(共存互恵の観念)に基づく政治体制を理想とした。権藤は、日本の古来からの「成俗(せいぞく、地域の慣習やしきたり)」に基づき、人民が自らを治める「自治」こそが政治の基本であると考えた。近代化に伴う資本主義経済の浸透や、国家による画一的な統制に批判的で、農村共同体を理想的な社会の基盤とする農本主義の立場を取ったのである。国家や政府による人為的な法律や制度(「偽道」)を排し、「天理自然の常則」に従うべきだと主張した。五・一五事件の思想的背景となったとも言われるが、彼は工作者というよりは純粋な思想家だった。 実際、日帝は彼を訴追することはできなかった。事件に直接関与していなかったからである。

 権藤は、農村などの最小単位の共同体を「社稷(土地の神と五穀の神)」と呼び、これが自治の最小ユニットであると考えた。外部から押し付けられた法律(偽道)ではなく、その土地で自然に育まれた習慣やルール(成俗)を重視した。権藤の「君民共治」は、絶対的な権力者としての君主ではなく、象徴的な権威(天皇)の下で、全ての民が自治主体として横に繋がることを意味するのである。 

 

一君万民とルソー的集権化(結束主義)の共通点 

 

中間団体の否定:

  • 一君万民: 幕藩体制や士農工商といった封建的な「中間団体」や身分制度を否定し、すべての国民が「一君」に直結することを理想とした。これにより、藩という領邦国家的な枠組みを解体し、国民国家の形成を可能にした。
  • フランス革命初期: ル・シャプリエ法(1791年)などでギルドや同業組合といった中間団体を禁止した。これは、ルソーが『社会契約論』で説いた「一般意志(公益)」は、個別利益を追求する中間団体によって歪められるという思想の影響が強く出ている。
「平等」の名の下の均一化:
  • どちらの思想も、封建的な特権を廃し「平等」を実現するという点では進歩的だったが、その結果として、多様な中間組織が持つ自律性や多様性を排除し、国家(あるいは「一君」)の下での均一化・集権化を招いたという共通の側面がある。

つづく

 

 

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莽崛起(The Rising Multitude )

 シビック・ヒューマン―バイオリージョン・セキュリティとは、市民的連帯を基盤に、人間と他の生命の共生圏を守る安全保障の新しい枠組みである。

 

安全保障概念の比較表

概念

基盤

主体

対象

目的

特徴

国家安全保障

領土・国家主権

国家

 

国民・領土

外敵からの防衛

軍事中心、国家単位

ヒューマンセキュリティ

個人の尊厳

国際機関・国家

個人

暴力・貧困・災害からの保護

個人中心、人権重視

エコセキュリティ

生態系

国家・国際機関

環境

環境破壊防止

環境中心、政策依存

コモンズ論的安全保障

資源共有

コミュニティ

共有資源

持続可能な利用

利用自治・協同管理

シビック・ヒューマン―バイオリージョン・セキュリティ

生態圏+市民連帯

市民ネットワーク

人間+非人間生命

共生圏の維持・再生

地域単位、分散型、生命圏倫理

 

 

 あまりにも名称が長い。伝統的表現を用いれば、「社稷護持」で済むが、今時これで意味が分かる人はいまい。ひとまず頭文字をとってCH-BSとする。「ヒューマン―バイオリージョン」、つまり人間が参加する生態圏を市民的連帯によって防衛する枠組みである。

 

 

ガバナンス(中位層:統合面)

  • ポリセントリック(多中心):流域評議会、里山・沿岸協議体、都市近郊コミュニティなど複数の結節点。
  • 境界の取り扱い:政治的境界ではなく、流域・生態系の境界を優先。
  • 補完性の原則:最小有効スケール(集落→流域→広域ネットワーク)。
  • 協定・規範
    • 生態圏協定(例:水・土壌・生物多様性の保全ルール)
    • コモンズ信託(共有資源の守護)
    • 相互援助協定(災害時の越境連携)
     

https://ksu.repo.nii.ac.jp/record/10877/files/BIJCKSU_28_314.pdf

 



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そもそも、マルクスが資本主義社会の中にその萌芽を発見した共産主義社会は、国家なき社会です。官僚機構に変わってってネットワーク組織と流動的な分業(アドホクラシー)によって社会的活動の調整が行われる社会です。

これに対して、われわれが間違って「社会主義国家」、「共産主義国家」と呼んできた国々の経済体制は、正確には国家資本主義と呼ぶべきものです。

国家資本主義は、遅れて資本主義化(≒近代化)を開始した国が帝国主義列強の餌食になることを避けてできるだけ早く近代化を達成するために採用せざるを得なかった仕組みです。

自ら土地を所有する自営的農民や、村落共同体で共同的に土地を所有する共同体的農民から土地を取り上げ、かられを単なる雇われ農夫や都市の工場労働者に転化させることがこの体制の主たる課題です。

農地改革と同時に都市にも工業建設を進めなくてはなりません。明治期の日本もはじめのうち大規模資本を必要とする重工業などは、官営工場を設立して開発を推進しましたが、日本よりもさらに遅れた国では、これをもっと徹底して行う必要があり、ほとんど全ての産業が国営・準国営の形態で設立・運営されるようになっていったのです。

経済的な権限を国家に集中させる必要は、結局のところ政治的権威の集中にもつながります。利権を官僚が握り、この利権を守るために政治権力も彼らが握ろうとする、資本主義国ならどこにでもあることですが、それが極端な形で現れたのが国家資本主義のケースだと考えることもできるでしょう。

ちなみに、国家資本主義型の独裁的な開発様式は、必ずしも「共産」主義と結びつくものではありません。明治期の日本もかなり薄めでしたが、開発独裁の傾向を持っていました。それは「共産」主義ではなく、「尊皇思想」「国権主義」などとの結びつきが強いものでした。

第二次大戦後のフィリピンのマルコス体制、インドネシアのスハルト体制も、反共を国是としていましたが、国家主導の経済建設と政治的自由の抑圧という点では、国家資本主義の色彩の強いものでした。

何か思想が初めにあって、それが経済体制や政治状況を決めるのではありません。逆です。その「国」の置かれた経済状況からその国にとってある程度合理的な経済体制のあり方やのその建設手法の選択肢がいくつかに絞られてくるのです。

その選択肢の中から、その時々の偶然的な出来事なども作用して、実際にどんな体制が目指され、それを実現するためにどのような手法を用いるかが決まって行き、その結果として、この体制構築にふさわしい思想というものが形成されてくるのです。

だから実際に、国家資本主義でしかなかった「共産主義国家」の「共産主義」や「マルクス主義」は、マルクス自身の理論とは似て非なるものに完全に変形されています。これらの国々で支配的な地位に付いた人たちが、自分たちの都合のいいようにアレンジして行った結果です。

「共産主義(実は開発独裁主義)」思想、例えば「画一的平等主義」が独裁体制を生むのではありません。開発推進のために権力集中が必要だから独裁体制が成立し、この独裁を正当化するために手近な理論・思想を勝手に作り変えて利用するのです。

マルクスは人間の権利は《不》平等であるべきだといっているのですが、スターリン型国家資本主義体制下では平等が大切という思想が喧伝されていました。国民から多くを取り上げて官僚が必要とするところに資源を集中させるためにそのような思想を吹き込むことが好都合だったのです。

わざわざ歪曲するなら、マルクスを利用しなくてもよさそうですが、歪曲してでもマルクスを利用したい理由の一つは、マルクスが「プロレタリアートの独裁」という言葉を使っているからです。ここでマルクスが言っている《独裁》は、三権分立に対して、三権を兼ね備えたものとしてのコミューン、レーテ、ソヴィエトなどの評議会制度のことです。しかもこの評議会の議員は、有権者の拘束委任を受け、有権者の意向に沿って活動しない場合は、いつでも解任できるというものです。

つまり、マルクスは、立法・司法・行政権の執行者に対する有権者による管理・監督のことを《独裁》と表現したのですが、国家資本主義の支配者にとっては、これをちょっと捻じ曲げれば、反対に官僚による国民統制を正当化してくれる理屈になると見えたようで、《独裁》の言葉がマルクスの意図とは正反対の意味で利用される結果となってしまいました。

市民社会がある程度成熟している発達した資本主義国で、マルクスの理論が学問的に自由に研究されていくなら、このようなことが起こる心配はなくなるでしょう。

 
 
イヴァン・イリイチをご存知でしょうか(唐突でごめんなさい)。
 
彼は、資本主義的生産様式(イリイチ自身の用語では産業的生産様式、または商品集中社会)と国民国家の成立過程で、民衆はその自律的能力を次のようにことごとく奪われたのだと指摘します。
 
地域生活に根ざした言語(方言)は、母国語として特殊な場所(学校)で特殊な訓練(公教育)を通じて専門技術者(教師)の指導の下習得しなければならない、技術へと転化しました。このことにより民衆は自ら教えあい学びあう能力を失ったのだと彼は、言います。
 
また、かつて人々は病気に対する治癒力を持っていました。しかし、商品集中社会へと移行して以後、病気への対応は、病気になったその人自身の体の問題 (人身の自由!) であるのにも関わらず、本人が妄りに手を下してはいけない事柄とされ、専門家によってのみ供給される高価なサービス商品となりました。こうして人々は治癒力を失ったのだと、イリイチは主張します。
 
これらの変化すべて、人々を商品に依存した生活に取り込み、マーケットとして企業の儲け口・および労働力という企業活動の資源として組織することと表裏一体です。
 
民衆の文化と伝統もまた、このような商品集中社会形成の過程で、産業家たちによって樹立された国家権力によって剥奪され、かれら産業家の権力を権威付けるために利用されたのです。
 
商品・貨幣・資本(企業)が、できるだけ広い範囲を駆け巡り常に新しい儲け口を探し出せるようになるには、地域ごとに異なる商習慣や言語文化は邪魔なのです。新しい産業、新しい地域を求めて動き回る資本(企業)にあわせて企業活動に必要な資源である労働力もできるだけ広い範囲を自由に移動してもらわなければなりません。人々がムラ意識を持っていてよそ者が居づらいような閉鎖的地域の寄せ集めがかろうじて国家としての体裁を保っているような状態では、資本の活動には不都合なのです。民族=国民としての単一の文化、言語、できれば宗教が必要なのです。
 
こうして民衆の文化は、産業活動に奉仕するために組織された国民国家(資本の国家)によって民衆から強奪され、産業活動の生贄となったのです。
 
国民国家によって奪われた文化と伝統を取り戻すためには、まず国民国家そのものを解体することが必要です。資本の国家からの伝統と文化の解放とは、現存の国家を解体して自治的・分権的な生活圏域ごとの地域的行政システム(身の丈にあった政府!)に置き換え、これらのゆるやかな連携を、民族、言語etc.の違いに関係なしに、ただ生活の必要に応じて取り結ぶようにして、生活に根ざした民衆文化の復興を図ることに他なりません
 
オリジナルはkinks。